ダイゴさんから聞いていた彼のお父さん。微かに残るダイゴさんへの手がかりとして、彼を頼ろうと次の目的地をカナズミシティに決めた。決めたものの、決まったのは目的地だけ。
どうやってカナズミシティまで行くか。新たな問題が出来てしまった。
ポケモンセンターに貼ってあった地図で見てみたら、カナズミシティはトクサネシティから真西に行ったところにあるらしい。ほとんど地図の端っこと端っこだ……。 険しそうな道のりに心が折れそうだ。
とりあえず、ミナモシティに行こう。ダイゴさんと行ったミナモシティ。そこからカナズミまでも相当の距離がありそうだけれど、そんなのは今考えても仕方が無い。とりあえずは大事だ。とりあえず、ミナモについてから考えれば良い。
カナズミに一歩近づくためにまずは陸続きの本島に上陸すること。それが、とりあえずの目標だ。
海を渡るにはトレーナーならなみのり。ポケモンを持っていない人間は船だ。
とりあえず海岸に出て、乗せてくれる船を探すべくわたしは地平線の見える方へ歩き出した。
「!」
「ー!」
名前をふたつの声で二度も呼ばれて、わたしは足だけでなく心臓も一瞬止まるくらい驚いた。
なぜって、トクサネに知り合いはいないし、わたしは兄さんに黙って家を出てきた身だ。一瞬兄さんに見つかったのかと思ったけれど、わたしを呼んだのは男女の二つの声だった。
「」
「こっちだヨ!」
わたしを呼んでいるのはうりふたつの顔した男の子と女の子だった。わたしを招く手の動作が完璧に重なっている双子。わたしは彼らに近寄っていいか迷った。だってわたしの知り合いに双子ちゃんはいないのだから。
「えっと、わたし? わたしのこと知ってるの?」
「知ってるに決まってるじゃない」
「そうなの……?」
「え。は僕たちのこと知ってるでしょ?」
「えと……ごめんなさい」
「覚えてないの!?」
「ボクたちの名前言えるよね?」
「それは……。………」
「信じられない」
「もう。フウとラン、だろ!」
「ど、どっちが?」
「ええ? そっから教えなきゃいけないの?」
「どうしちゃったの? 記憶力悪すぎだヨ」
双子の女の子が放った言葉が胸に突き刺さった。わたしはこの双子のことも“覚えていない”。
「ほんとに、ごめんなさい。申し訳ありません……」
「いいケド」
「ていうかなんで敬語?」
「なんででしょうね、あはは……。あの、申し訳ないけどわたし、行かなきゃいけないところがあるので、これで」
「ふうん。どこ行くの?」
「それは……」
「どうして黙るの? ただの世間話だヨ」
「えと、わたしカナズミに行くつもりです」
「カナズミ? 遠くない?」
「ポケモン持っていないのにどうやって行くの?」
「それは、とりあえず船に乗って」
「乗って?」
「乗って?」
「……あとは着いてから考えます」
やっぱり。双子は声を揃え、鏡合わせのように肩をすくめた。
考え無しなのは見抜かれていたらしい。
「まぁにはミクリさんがいるからネ」
「相変わらず甘やかされてるんだね。まぁ、カナズミまででしょ。ボクたちが送るよ」
「え、そそ、そんな悪いです!」
「カナズミに一直線で着いたら嬉しいでしょ!?」
「そ、それは……」
不意にさっきポケモンセンターで見たタウンマップが思い出される。トクサネからミナモ、ミナモからカナズミ。途中には山あり森あり、絶対に楽じゃないと分かる道のりだ。
「はい、嬉しいことには素直になって!」
双子の男の子がボールを投げる。出てきたのはポケモンにしては人間味のある顔をしたネイティオだ。双子の女の子の方に引っ張られ、わたしはネイティオの背に強引に乗せられた。
「ほ、ほんとうに良いんですかっ!?」
「むしろ本気でひとりでカナズミに行くつもりだったの?」
もちろん本気だった。たとえ無謀なことだとしても。
口ごもったわたしに、双子の男の子は呆れ顔だ。
「ってたまに無茶なこと平気でやるよね」
「そ、そんなことは……」
「いいから行くヨ。しっかり掴まっててね!」
「よろしくお願いしまっ……!」
全てを言い切らないうちに、双子の、フウとランのポケモンは浮上した。
ネイティオの背中から見る地上は壮絶な光景ばかりだった。高い山、深い森、うねる川……とにかくひとりで横断するには険しい地形ばかりが目下続いて、わたしは自分がどれだけ考え無しの行き当たりばったりだったかを思い知った。
ネイティオはなんの妨害もない空の道を通って一直線にカナズミに降り立った。
ケガひとつ無く目的地について、見知らぬ、いや、覚えていない双子・フウさんとランさんにいきなり迷惑をかけることに抱いていた抵抗は、伝えきれないくらいの感謝に変わった。
「ほんとに、ほんっっとうにありがとうございました! この恩は必ず……!」
「、堅すぎ」
「ダイゴさんに会えるといいネ」
「ど、どうしてそれを……?」
「分かるヨ! それくらい!」
「あはは……」
ちょっとだけ、ううん、ものすごく悲しくなる。フウさんとランさんには分かるのに、わたしにはわたしの事が分からない。自分のことだけじゃない。わたしはこんなにも親切にしてくれる人たちのことも分からなくなっていた。分からなくなっていることすら、気づいていなかった。
罪悪感から、わたしは二人に曖昧に笑うしかできなかった。
「フウさん、ランさん。あなたたちのこと、覚えていなくてごめんなさい! なんで覚えていないのかもわたしにはまだ分からなくて……説明もできなくてごめんなさい。でも、わたしもうふたりのこと忘れませんから!」
「」
「」
「は、はい!」
「フウさん、ランさんじゃなくて」
「フウとラン、だヨ!」
ネイティオの影が見えなくなっても、わたしはふたりの帰った空に向けて手を振っていた。そうせずにはいられなかった。
フウとランのおかげでたどり着けたカナズミシティは、予想以上の発展した都会だった。平屋か、二階建ての建物しか見たことないわたしには信じられない高さの建物が何軒もそびえ立っていて、まるで異世界に来てしまったようでひるみそうになる。
でもカナズミの都会っぷりに怖じ気着いてる場合じゃない。わたしを助けれくれたフウとランの笑顔を何度も思い浮かべながら、この町の一番高いビルを目指して歩き始めた。
ダイゴさんの言っていたカナズミで一番高いビル。それがデボンコーポレーションという大きな会社のビルであることを、たどり着いて初めて知った。
真下から見上げるデボンコーポレーションは、ひょっとしたらルネの火口よりも高いかもしれない。そう思わせる迫力があった。
あれ、ダイゴさん、このビル「うちのビル」呼ばわりしていなかったか……?
想像もしていなかったスケールに足がすくむ。けれど、ダイゴさんに繋がるものはもうダイゴさんのお父さんしかないのだ。びびってはいられない。意を決してドアを押そうとしたらそれは自動ドアだった。
落ち着け、落ち着け……。
「す、すみません! ツワブキさんという方にお会いしたいのですが!」
「弊社のツワブキに? お名前は?」
「と言います」
「ご用件は?」
「えっと、お聞きしたいことがありまして。……知人のことで」
「事前のアポイントメントはお取とりでしょうか?」
「え、そそそれは……」
受付のお姉さんの言葉がぐっさり刺さって汗が吹き出る。
わ、わたし、ほんとうに考え無し……。ダイゴさんのお父さんは偉い人。そうでなくてもこんな働いている時間に突然行って、会えるわけがないのは普通に考えれば分かることじゃない。
「アポイントメントは?」
お姉さんの声は再度、少し圧力を増してわたしへ投げかけられる。
「その……ありません」
「さようですか。申し訳ありませんが——」
「おい」
受付のお姉さんの言葉を遮ったのは、見知らぬ男の人の声だった。
「君、知らないのか。その人は良いんだ」
振り返ると立っていたのは、ここで働く人だろうか、スーツ姿の男性だ。
けれどやはり見知らぬ人。当たり前だ、こんな遠くにわたしの知り合いがいるはずがない。なのに彼はわたしを一直線に目指して歩いてくる。
「さん、お久しぶりです」
「え、っとごめんなさい。お会いしたことありましたか……?」
「前に一度お会いしたきりですから、お忘れになっていても無理ないですね。本日はどうされましたか?」
「あのっ、ツワブキさんにお会いしたくて来ました」
「ツワブキとおっしゃいますと、社長でしょうか」
社長!? その驚きは声にならなかった。
わたしはダイゴさんのお父さんがここにいるという手がかりだけを頼りに来た。けれど、まさかツワブキさんが社長さんだったとは。
知らなかった。ダイゴさんのお父さんは、こんなにたくさんの人が働く会社の社長さんだったのだ。じゃあ、ダイゴさんは社長さんの息子だったのか。ダイゴさんの暮らしぶりの合点がついた気がした。
「社長ならそこら辺ほっつき歩いてます。私が案内しますよ」
「え、い、良いんでしょうか!?」
「もちろんですよ」
「あ、ありがとうございます……!」
なんだかよく分からないが、この人はわたしに親切にしてくれるらしい。
彼に案内され、デボンコーポレーションの内部へ入っていく。ドアがいくつも連なる長く清潔な廊下。白衣をまとう男女。スーツの男女。たくさんの人とすれ違う。わたしに関心を示さない人、反対に何かに気づいたように視線をくれる人といる。
「社長にご用件ですか」
「はい、そうなんです」
「珍しいですね、こちらに直接いらっしゃるなんて。珍しいと言えば、副社長を先日久しぶりにお見かけしました」
「ふ、副社長ってもしかしてダイ——」
「はい!」
わたしがダイゴさんと言い切る前に、彼は笑顔で頷いた。
「副社長は社にこそ顔を出してくれませんが、各地の貴重なデータをよくご存じなのでとても助かっているんですよ。ホウエン地方だけでなく全国くまなく旅されているので、見識はとてもお広くて。まあ、知識が石やどうくつに偏り気味なのが玉に傷ですが。それでも、チャンピオン級のトレーナーが付いていることは我が社にとって大きなメリットです。なんだかんだ人気もありますしね」
社員らしき彼はダイゴさんのことをぺらぺらと喋った。それがわたしに報告すべきことであるかのように。
「でもわがままを言うのなら、もう少しこまめに連絡が欲しいです」
どうやらダイゴさんが少し困った人であるのはここでも同じようだ。
「そこでひとつお願いなのですが、さんから副社長に口添えしてもらえませんかね」
「口添え、ですか?」
「さんから言われれば副社長も少しは考えてくださると思うんです。どうかもう少しこまめな連絡を副社長に、お願いできませんか?」
わたしがダイゴさんに言葉を伝える機会なんてこれからあるかどうか分からない。けれど、彼は道案内だけでなくダイゴさんのことを教えてくれたのだ。出来ることならお礼がしたくてうなずくと、彼は本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「チャンスがあったら、言いますね」
「ああ、良かった! ぜひお願いしますよ。……ああそこの君。社長がどこに行ったか知らないか?」
「社長なら今は出ています。あれですよ、あれ」
「あれ?」
わたしは次に飛び込んできた言葉で耳を疑った。
「あれです、副社長のお見送りですよ」
「そうか、ありがとう」
「あの! それ、どこですか……!?」
「さん? いらしゃっていたんですか」
「副社長ってダイゴさんのことですよね? ダイゴさん、いるんですか!?」
ダイゴさん、いたんだ。このビルに。
こんなに早くダイゴさんが見つかるとは思わなかった。見送りというのがもう次の場所へ行ってしまうということなら、急がないと。ダイゴさんがまだ別の場所へ行く前に捕まえないと。
急に焦りだしたわたしに、社員の人たちが戸惑っている。
不意に案内役の彼の視線がわたしの背後に飛んだ。
「あ、社長……」
廊下を歩いてきて呼び止められた男性。
振り返った一目で、その人がダイゴさんと血縁関係がある人だと分かった。髪の色、瞳の色、何より印象的だったのは浮かべている笑みのかたちだった。
「ん? どうしたんだね」
「社長、副社長は……?」
「ダイゴの見送りはとっくに終わっているよ。……、やあやあ! ちゃんじゃないか!」
「あの、は、初めまして」
「ああそうだったね、初めまして。私はツワブキだ」
案内してくれた男性がいぶかしげに顔を歪める。
やはり、この人も初めましてではなかったみたいだ。
ツワブキさんは笑顔を崩さずにわたしに手を差し出した。握り返しながらわたしは彼に懇願した。
「あの、突然すみません。ダイゴさんは行ってしまったんですか……?」
先ほど見送りが終わったとの言葉を聞いたばかりなのに、わたしはツワブキさんにそのことを聞き返していた。なるほど、と一言だけ漏らすとツワブキさんはその場にいたひとたちに笑顔を向ける。
「君たち、ありがとう。彼女のことは私に任せて仕事に戻りなさい。ちゃん、立ち話もなんだから、私の部屋に来なさい」