とんでもない相手に恋をしたと思う。それに、とんでもない相手が生まれたのと同じ地方、同じ町に生まれ、同じ世代として大人になってしまった。

 町のベンチに一旦座ったら立てなくなってしまい、ポケナビをただ握りしめ続けて、もうどれくらいの時間が経ったのだろうか。手のひらに浅くかいた汗がたまってきて、ぬるりと滑りそうになっている。
 キャモメの声が遠い。一番付き合いの長いパートナー、エネコロロは私の足下で体を休めながら沈黙している。

「今どこにいるんだろうね、ダイゴは」

 エネコロロが愛らしい声で、関心無さそうに返事をした。

 ため息を長く吐いて、私はバッグにポケナビをしまった。もしコールできたとして、彼がどうくつにいれば電波は届かない。勇気を出したとしても、報われない可能性の方が高い気がしてきたのだ。そうだよ、きっと、コールしてもダイゴは出ない。
 諦めてしまえば、決まりの悪い緊張からも逃げることができた。

「ほんと、どこにいるんだろ……」

 今度はもうエネコロロは返事をしてくれなかった。

 この世界では、人間は簡単にひとりで生きられるようになる。
 それはポケモンのおかげであり、ポケモンのせいだ。ポケモンときちんと向き合い、心通わせれば、人間は自分の足でたどり着くのが難しいような場所にも行けてしまう。山の上、空の中、海の底……。どこまでも、遠くへ。
 同じカナズミシティで育ったツワブキダイゴという人間は、このホウエン地方で一番といって良いくらい、その両方を成し遂げている人間だ。ポケモンと心通わせているのは、彼のバトルの戦績が物語っているし、実際に地方を越えて、どこまでも遠くへ行ってしまっている。
 彼の行動は時々想像の範囲を越えていて、今はポケモンたちと、どこまで遠くへ行ったのか、私の頭では追いつかない。


「やあ、
「………」

 メタグロスから降り立ったその姿、声に、驚いたというレベルでは無いくらい驚いた。
 コール先が、ダイゴに繋がってしまうから。だからさっきまで私はただボタンを押すだけの動作ができないでいたのに、そのダイゴが今目の前に立っているのだから、私の全部を吹き飛ばしたこおの衝撃が、驚きの範疇に収まるわけがない。

「ん? どうしたんだい?」
「事故に、」
「えっ!」

 焦ったダイゴが距離をつめてくるので、私も焦って首を振った。

「ち、ちがくて。事故に遭った、みたいな気分……」
「本当にそれだけ?」
「え、うん……」

 ダイゴはいぶかしげに目を細めて、私を見る。

「僕が現れたことが、事故に遭ったみたいかい?」
「………」

 今の今までダイゴについて煮えきらない時間を過ごしていたからそう感じるのだ。けど、ダイゴに連絡をとる決心がつかなくて悶々としてました、なんて素直に言えるわけが無い。
 気まずくなっている主人の感情を読みとって、足下にエネコロロがすり寄ってくる。彼女は本当に優しくて、私を分かってくれている子だ。彼女のさらりと流れる毛が私を落ち着かせていく。

「だって、突然現れるんだから……」
「そんなつもりは無かったんだけどな。驚かせてごめんね。じゃあ、どこへ行こうか?」
「は?」
「せっかく顔を合わせたんだ。このまま別れるのは味気ないだろ?」
「は……?」

 私は愛想笑いしたいような、思い切り顔をしかめたいような、だ。
 味気ないって言われても、ツツジとかならまだしも、相手はダイゴだ。私に味気ない思いをさせるのに気づかないまま、放浪してしまうのはダイゴの方だ。

「僕たちがこうしてじっくり顔を合わせるのは久しぶりだと思わないかい?」
「まあ、ね」
「それを認めてくれるんなら、僕に付き合ってくれても良いよね」

 そう言うとダイゴは、私をメタグロスの上にと手を引いた。移動手段はメタグロスなのね。手を引かれて硬質な上に乗ってしまうと、私は彼のフィールドにすっぽり入ってしまった、という気がした。
 私はダイゴみたく、上手にメタグロスの上には立っていられないのでぺたんと座ると、ダイゴも合わせて横に、片膝を立てて座ってくれた。立っている時以上に視線が同じ高さで合う。

 エネコロロが軽いジャンプで飛び乗ったのを確かめると、メタグロスがすい、と動き出す。車や電車と全然違う。一度カントー地方で乗せてもらった最新のリニアに近い乗り心地だ。

「どこに行くの?」
「そう遠くじゃ無いよ。君は遠出、あんまり好きじゃんからね」

 分かりきっているという口調に、私はふてくされて唇をとがらせた。それでも「まあね、慣れないことをするの、苦手」と素直に言えるのはここが移動するメタグロスの上だからだ。この言葉を聞けるのはダイゴの他にはいない。

 私は、どちらかというと自分の知らない景色を見るためじゃなく、今いる場所でじっと逃げ出さないためにポケモンといることを選んでいった。
 逃げ出さないために、となりに一緒にいてくれるポケモン。そして心細いとき、ぎゅっと抱きしめてたらそれを受け止めてくれうポケモンを無意識に好んでいったように思う。
 やはり隣にいてくれるエネコロロをぎゅっと抱きしめる。ポケモンを好む理由も、ポケモンと何をしたいかも、私とダイゴとは重ならない。

「ねえダイゴ」
「なんだい」
「ずっとダイゴとどうやって会ったらいいのか分からなかった、って言ったらどうする」

 この状況になって、おそるおそるだけどやっと伝えられた言葉なのにダイゴはあっけらかんと返事をする。

「そんなの簡単だよ」
「………」
「だって僕からに会いに来てるんだから。は何もしなくたって僕に会える。そんなことで悩む必要は無いんじゃないかな。むしろ必要なのは、僕がいらなくなった時にちゃんと"いらない"って言えるかどうかだろ」

 自分がいらなくなったら、いらないと言われる。それは想像するだけで辛いことなのに、ダイゴは涼しい笑みを浮かべながらあっさりと口にした。
 多分、ダイゴは分かっているんだ。私にはダイゴを傷つける勇気なんて無いことを。ダイゴがどれだけ強い人間かと思い知らされていても、勝手に痛みを想像して出来なくなる。


「はい」
「君が誰と生きていくのかの選択に、僕は口出ししないつもりだ。が選んだものは、強い意志で貫いて欲しい。だけどね」

 ダイゴが声を低く落としたので、つい視線を奪われた。流れていく景色を後ろに、ダイゴの細められたまっすぐな目が、手につけている指輪が同時にきらりと光って、胸の奥に刺さった。

「勝手に独りで生きていくとか決めるのは、許してあげられないからね」

 許してあげるとかあげられないとか、ダイゴは何様のつもりなのだろう。御曹司であってもチャンピオンであっても、私の幼なじみであること以上の何者でも無いのに。

 でも、彼に許されないとどうなるのかは自然と想像がついた。ポチエナも歩けば当たる棒のように、私の目の前にはダイゴが現れる。そして私がきちんと"いらない"と言えるまでその日は続く。
 ひとりぼっちが許されなくて、"いらない"が言えないのならば、もう私の行く着く先は決まっているじゃないか。
 "ダイゴはもういらない"が言える私なんて想像も出来ない。そんな風に彼のことを扱える私が生まれたとしたら、それは酷くずたずたに傷つけられた後のこと。