ダイゴさんとデートをしているここがもしも密やかながら決して食事の邪魔にならないウェイターさんのいる一流のレストランじゃなかったら。というのはつまり人目が無かったらということを想像していて、それはそれでもうちょっと考えただけで顔が真っ赤になりかけるから妄想は慌ててかき消すのだけどもし本当に、ここに人の目線が無かったら。わたしは叫びだしてこんらん状態のポケモンも驚愕、我にかえるような奇行に及んでいただろう。
それくらい目の前に差し出されたものはわたしのキャパシティに軽快なステップでとびひざげりをかましてくれた。
「だ、だだだだだだダイゴさん……! こここれって!!」
「うん、指輪だよ」
「ゆっ、ゆーッ!!」
「僕からのプレゼント。そんなに驚いて喜んでもらえるなんて嬉しいよ」
もう自分がどんな顔をしているのか定かじゃないけれど喜んでいることは伝わっているようでありがたい。
「ちゃんは僕絡みだと本当に何でも喜んでくれるよね。いつもありがとう」
ダイゴさんはご満悦と笑顔を浮かべている。上手におしゃべりができなくて、わたしは首をブンブンと横に振った。ダイゴさんから何かを贈って貰えるというそれだけでわたしの人生では奇跡みたいな出来事だから飛び上がって驚かずにいられないだけだ。ダイゴさんだってわたしの反応を純粋に喜んでくれる。そうして向けて貰えるダイゴさんの愛情の、なんと美しいことか。
「つけてみてくれるかい。どうか君の指に似合うようにって、作ったものだから」
やっぱり、やっぱり既製品じゃなくオーダーメイドか。
予想はしていたものの、また余裕がなくなってきて手の中いっぱいに汗が噴き出す。ダイゴさんなら当然のように自分の身につけるものはオーダーメイドで揃えていそうというイメージは持っていた。だけどそれだけじゃなく、この指輪が特別に誂えられているのではと思ったのは指輪のデザインが、素敵だから。
ダイゴさんが両手につけている指輪のようにシルバーの真ん中に一筋のラインが入ったデザインは、女性の手に合うように全体的にボリュームダウンされ、華奢な印象が加えられていた。男性の指に丁度良いデザインも、女性の指では寂しくないようにと中央にひとつストーンが埋め込まれている。それも悪目立ちのしない、小さな石。けれどそのサイズに見合わないくらいよく視線を引きつけ、そして光を反射し、人を魅了するきらめきを放つのだ。
「………」
「どうしたんだい、ちゃん」
「指輪が、す、すてきで。素敵すぎてしまっておきたいくらいです……」
つけてみてとダイゴさんは言ってくれたけれど、わたしはむしろこれを隠してしまいたいと思った。大事なところに仕舞っておいて、そしてどうしようもなく心がくじけそうな時にだけ取り出せばわたしを救ってくれる。そう女神様のようにこの指輪を扱いたいと思った。
「気持ちは分かるけどね。これは君につけてもらわなきゃ意味が無いんだ」
わたしの発想をダイゴさんは笑ったけれど、ばかにするような調子は一切含んでいなかった。
向かいの席に座っていたダイゴさんは立ち上がりわたしのすぐ横に近づいた。
「ほら」
手を、と言われ、無意識に左手を差し出してしまった。あっ、とは思ったのだけど問題は無いと言うようにそれを捕まえられ、あとには退けなくなってしまった。
「どうしようかな」
ダイゴさんらしくない、じれた呟きが聞こえて、その指輪は人差し指に通された。
「わ、わ……」
こうして指につけられていると、本当によく分かる。わたし向けのデザインに調整されているけれど、これは事実上のペアリングだ。ダイゴさんを知る人なら、一目で分かってしまう。
「……、っ……!!」
「あはは、顔が真っ赤だね」
ダイゴさんの言うとおり、わたしの顔はひどく血の巡りが良くなってることだろう。事実全身が熱い。そして目はきらきらしてしまっているはずだ。だって夢の中で生きている気分なのだから。
「ダイゴさん、あの! ありがとう、ございます……」
「僕も。受け取ってくれて、ありがとう」
指輪のプレゼントは今夜のデートのクライマックス。そろそろ出ようかと言われ席を立った。けれども自分の体重が無くなってしまったかのように上手く歩けない。自分が果たして地面を踏めているのか、よく分からないのだ。
お見せの外は熱を脱いだ風が吹いていて、体を撫でていくものの、わたしの体の熱を持っていってくれない。ふと横を見ると、ダイゴさんが笑い声を噛みしめている。
「すごく、ふわふわしてるよね、ちゃん」
「ふわふわ……?」
「うん、可愛い」
「そんな、だって……」
わたしは自分の左手を目の前にかざす。人差し指の輝きに体が胸が浮き上がる。
「本当にこれ、分かる人が見たら、ダイゴさんからだってすぐ分かっちゃう……」
「そうだよ。虫除けのための指輪なんだから、出来るだけつけて貰わないとね」
「む、むむ……!」
虫除けって! 甘い言葉にまた鳴き声みたいな音しか出せなくなる。そんなに寄ってくるひともいないと思うのだけど、ダイゴさんは真剣に言っているようだ。
「本当はどんな時も一緒にいたいと思っているんだけど、まだそういうわけにはいかないからね」
「そう、なんですか……」
ダイゴさんに指輪を貰った。その高揚感はまだわたしの胸を苦しくさせている。だけど少しだけ、小雨を浴びたように目が覚めてきている。
「ちゃん……? どうしたんだい、さっきまであんなに嬉しそうだったのに」
見透かされているなぁ、と顔の横の髪を耳にかけた。
「わたし……。この指輪、とても素敵だと思います。色も、デザインも、石もサイズも。何から何まで全部、……大事にしたいです。ダイゴさんからのプレゼントだから」
この特別な出来事を悲しい思い出にはしたくないから、笑って見せるのだけど、気づいてしまった寂しさがまた別方向へわたしの心臓をつねった。
「だけど……」
胸の内を言おうか言うまいか迷う。だけど今、素直になるのが正解なのだ。恋人同士の関係で、素直でいることを教えてくれたのもダイゴさんだから。だからわたしは、自分のわがままを彼に見せることを選び取ろうと思える。
「この指輪があるからって、ダイゴさんが安心して遠くに行くっていうのは、だめ。いやです……」
様々な角度にダイゴさんの影が潜むこの指輪は、確かに彼がいなくてもわたしにはダイゴさんがいることを教えてくれる。だからって本物のダイゴさんが横にいてくれる時間が一秒でも減るのはいやだ。
こんなに素敵なプレゼントを貰っても、なおわたしはダイゴさんを求めて、彼にわがままをぶつけていて、途方もない自分が嫌になる。ダイゴさんは、わたしをどんどん欲張りにしていく。
「ちゃん」
名前を呼ばれて、それから手を繋がれた。初めての音がかずか耳に届く。わたしの指輪と彼の指輪が擦れ合う音だった。
「僕は、ちゃんを手放したり、放っておくつもりはさらさら無いよ。だけど僕たちは別々の人間だから、どんなに一緒になりたいと願っても、離れていなければならない時間はどうしてもある。この指輪はね、一緒にいられない時間を僕がもう少し安心して過ごしたくて君に作ったんだよ。でもちゃんは、本当に僕の想像を超えるのが上手だよね」
「え……?」
「指輪だけでそんなにふわふわして、危ない状態になるとは思わなかった」
今、なんと言われたのだろうか。嬉しい言葉をたくさん注がれた中で、妙に目立つ毛色の違う言葉。
「あ、危ない、ですか?」
「うん。すごくふらふらして、今にも転びそうで、すごく危なっかしいよ」
ダイゴさんがこちらを見る目が、急に子ども扱いしてるそれになった。はしゃいでいることは否定できないけれど、そんな、ダイゴさんの庇護欲を煽るほどとは。
「だから目も手も離せないから、大人しく僕の隣を歩いて帰ろうね」
「はい……」
子ども扱いを望んではいないけれど、わたしは確かに今、たったひとつ指輪が嬉しくて危なっかしく浮いている。見てるだけでは何を起こすか分からないからダイゴさんも左手をわたしに使わざるを得ないというのに、矛盾して、彼の元でますます自由に変化していく自分を感じる。
「ダイゴさん、本当に、大好き」
「僕も大好きだよ」
繋ぐ右手も左手の指輪も。ダイゴさんがわたしに不自由を与えるごとに、わたしは安心して、星空にリングを重ねて、それを見上げて歩き出したりなんかする。その様子がまたダイゴさんの意識を引き寄せて、捕まえられて、自由になって。そうやって連なっていくものを感じると、何度目かの感覚がわたしを襲う。わたし達はお互いを引力で引き寄せ合っている。そしてわたしは恋するべくこのひとに出会い、なるべくしてこのひとの恋人になったのだ、と。