行ったことの無い場所、見た事のない景色は、それだけで価値は無限大。旅は何度もそのことを教えてくれた。
シロガネやまに入るまでのハードルは高く険しいのに、一度足を踏み入れてしまえば、ポケモンと空を飛んで帰ってくることで出来てしまう。今はこの厳しい山も辿り着いた今は、私の帰る場所だ。
シロガネやまの家を貸して貰ったのもそもそも、この場所に辿り着いたから、だった。雪の中で、これからあのそびえ立つ山頂へ登るのかと見上げていると、ある男性が話しかけてきたのだった。話を聞いてみると、このあたりにうっかり別荘を建ててしまった、けれどそもそも周辺のポケモンが強いこの場所で、留守の間に建物の管理を頼めるひとが見つからないとのだと言う。
『どうだい? ここでトレーナー修業をするのなら、僕の家を拠点にしなよ。この家もただ僕を待つより、将来有望なトレーナーに使って貰った方が嬉しいだろうからね』
仕立ての良いスーツに身を包んだ男性トレーナーはそう言って、切れ長の目の割りに人が良さそうに笑んだ。そして私に、家を適当に維持管理することを条件にして、雪山の別荘を貸してくれたのだった。
吹雪の中でもファイアローのほのおのからだは私を寒さから守ってくれる。
「あれ……」
冷たい風に拒まれながら目を懲らす。向かう先、無人のはずの家に、光がともっている。
誰かがいる。あのひとかもしれない、と想像した。こんな場所に、うっかり家を買ってしまうとんでもないトレーナー。あのひとだったら、私は伝えなければいけないことがある。
私がさらにファイアローの背に、身をぴったり寄せると、ファイアローも了解とひと鳴きし、加速した。
全身についた雪を払って戸をあけると、あたたかい空気に包まれる。冷たく静まり返った拠点に帰ってくるものだと思っていたけれど、嬉しいことに予想は裏切られた。
「おかえり」
「わ、なんだレッドさんでしたか」
出迎えてくれたのは、同じくシロガネやまで修行するポケモントレーナー、レッドさんだった。部屋をあたためてくれていたのは、彼のリザードンのようだ。
「帰って来るかな、と思って。おかえり」
「はい! タダイマです!」
誰かに出迎えて貰えたのが嬉しくて少し大きめの声で返事をすると、レッドさんも口元をかすかに緩めた。
カロス地方ではリーグを制覇し、凱旋パレードなんかもしてもらった。けれどそこを出てみれば次々に強いトレーナーに出会うことになった。レッドさんもグリーンさんに並び、私の勝つことの出来ないトレーナーのひとりだ。
レッドさんにはトレーナーとしては適わない。けれど生活力でははるかに勝るわたしとレッドさんが、たまに一緒に食事をしたり、ファイアローにあたためさせながらのランチボックスを彼の元に運んでもらったり。この凍てつく厳しい山で支え合うようになったのはとても自然な成り行きだった。
作り置いておいたシチューをあたためる。同時にふたりぶんのパンもスライスしてトースターの中に寝かせた。レッドさんはポケモンたちへの食事を用意してもらい、あとは料理が並ぶのを待ってもらう。
「またグリーンのところ?」
「はい! レッドさんに勝てる見込みもまだ見えて来ませンので、グリーンさんとこ行ってます」
「勝った?」
「負けました!」
「嬉しそうだね」
「だってグリーンさん、最高にかっこよかったから……!」
勝てないのはレッドさんもグリーンさんも一緒。だけど私はかれこれもう一ヶ月、グリーンさんとのバトルに病みつきになっている。
バランスの良いパーティに高威力のわざ。グリーンさん自身のせいかくも好戦的なのだろう。フィールドの中で向かい合うと、強敵のオーラがグリーンさんにはあって、それが最高に背筋をぞくぞくさせた。
「バトル後の手当ての時、お部屋のナカ、二人っきりになりまして、どうしようかとー!」
「良かったね」
「でもやっぱりバトルしてるときのグリーンさんが一番かっこいいです!」
「良かったね」
興味の薄い返事も気にならない。レッドさんの言う通り、グリーンさんと対戦できた今日という日はとても良い一日だった。
「私、本当に毎回負けてます。一度も勝ててまセン。でもバトルするとどんどんグリーンさんがかっこよくなって、それで、どんどん……なんて言うんですかね」
鍋の底をかき回しながら、言葉もかき回す。
「名声がアがる、と言うんでしょうか。グリーンさんに注目が集まって、バトルがどんどん最高を越えていくのがうれしくて……」
パンが焼けた。熱々のそれを手で跳ねさせながら皿に載せて、テーブルへと並べた。
「できた?」
「はい! お待たせしました」
「いただきます」
「イタダキマス!」
食べ始めても私の今日の報告は続く。この前よりもずっと胸の高鳴った一時を、誰かに話さずにはいられなかった。レッドさんは黙々とシチューを口に運ぶ。
「私、カロスであっという間にチャンピオンになりましテ。でも強くなって何がしたいのか、分かりませんでした。グリーンさんに負けて、でも私が本気のバトルをすると、グリーンさんがジムリーダーとしてさらに輝いていくのを見て、私は……」
こんなバトルもあるのだと、新しい世界をそこに見た。全てを力で叩き潰すための勝利じゃなく、負けても、あのひとが輝いていくと思えば失うものもなく。私はポケモンとは離れられずに生きて行くけれど、グリーンさんのために生きて行けたらいいなと、思ってしまったのだ。
「レッドさん、私、トキワシティに引っ越します」
「うん」
「できたら、トキワジムのジムトレーナーにしていただきます!」
「うん」
「無理だったら、しょうがないですが。というわけで近々お別れです、レッドさん」
「うん。おかわり」
「ハイ、まだたくさんありますよ」
ひとつ心残りは、この家を貸してくれたあのトレーナーと連絡が取れないところだ。彼は別れ際に「また来るよ」と残したが結局再会はしていない。勝手に出て行ってしまうのは忍びないけれど、私の気持ちは真っ直ぐにトキワシティに向いている。
「そうと決まれば物件探しです!」
修行の旅で野宿には慣れっこだったけれど、このシロガネやまで無事に生活できたことで自分の自活力には自信がある。
「……マサラタウンは?」
「マサラ?」
「トキワシティのすぐ南。まっさら何も無いところだけど、おれの家もあるし、グリーンの家もある」
「そう、なんですね!」
マサラタウン。行ったことないけれどグリーンさんが住んでいるということは、きっと気軽に行き来できるところにあるのだろう。見た事のない場所にはきっと新しい出会いがある。また新しいカントーの街に胸が高鳴る。
「マサラに行ったら母さんにひとこと伝えて。おれは元気だって」
「自分で伝えれば良いのに。しょうがありまセンねー、レッドさんは」
とは口で言いつつも今の私は最高に機嫌が良い。寄り添い合ったのはなんとなく。だけど、生きていくために支え合ったレッドさんとは、家族に近いような絶妙な関係ができていた。だから私の心の機微も意外に読み取ってくれて、
「うん」
と、微笑み混じりのあたたかな相槌をくれた。