「ちゃん、おやつ食べにいこ」
「は、はい?」
わが社の副社長ダイゴさんは私を混乱に陥れる名人です。私はPC用のメガネをかけたまま外に連れ出されました。
「あ」
ダイゴさんはわたしのデスクに戻ってイスの背もたれにかかっていたカーディガンをとってくれました。
なぜわざわざカーディガンを? と思ったらその疑問はすぐ解決されました。おやつは体の冷えるアイスクリームだったのです。
ダイゴさんはクッキーチップ入りのアイスを食べています。贅沢を感じられるワッフルコーンに乗るのはバニラの中にごろっとしたクッキーが入っているアイス。副社長らしいと思いました。
「あー。アイスが食べたかったんだよ。もうすぐ寒くなるから今のうちに美味しく食べとかないとね」
「は、はぁ……」
「冬でもアイスは食べられるけどこうやってお日様の下で食べるのは出来なくなるだろ?」
「そ、そうですね」
思ってみればもう9月も終わる。ダイゴさんなりの季節の見送り方なんだろうか。
「ねえ、ちゃん」
「はい?」
「なんとなく腰掛けちゃったけどこの石いいね」
「………」
最後にダイゴさんは部署全員分のアイスを買って、持たせてくれました。
そうして私は差し入れ持ち帰り要員というそれとない理由付きで副社長との残暑を過ごしたのでした。
* * *
わが社の副社長ダイゴさんは私を混乱に陥れる名人です。
「ふ、副社長……。何してるんですか……?」
「いやこの飛び石の色にびびっと来てね!」
そういって副社長は飛び石の……なんと表したら良いんでしょう、私の側から数えてみっつめの石が特にお気に入りのようで頬ずり出来るほど顔を近づけています。
そんな副社長は端から見れば道ばたに倒れているように見えます。
「そうすると何か見えるんでしょうか?」
「うん。石の成分を目視で観察しているところだよ」
「……こんなにいくつもある中でなんでその石なんですか」
「運命かな!」
分かりません。私には副社長が分かりません。
「あれ、運命信じないの?」
「私は……あってほしいけどあまり信じていない。そんな感じですね」
「僕は信じているんだけどなぁ」
「副社長はロマンとか好きそうですもんね」
「分かる?」
暇、というわけでも無かったのですが、そのまま私は飛び石に見入る副社長の横に、副社長が飽きるまで立っていたのでした。
一応道に倒れている副社長を心配する方々に「あ、大丈夫ですから気にしないでください」なんて言う案内役にはなれたのでした。
* * *
副社長のスーツの裾から覗くのは白いシャツの袖とこだわりの感じられるカフスボタン。けれど屈んだ時、立ったまま机の書類を見ている時、胸元のスーツの隙間にベストが見えるようになりました。秋です。
「……ん、これ? 暖かいよ?」
私のオヤジみたいな目線、ばっちりバレていたようです。
「ちゃんは寒いの辛くないの?」
「正直苦手です。冷え性は辛いです」
「女の子は大変だね。こんな日もスカートで。でもちゃんの足見てると秋を感じるよ」
「え、……え?」
「早速タイツ二枚履きしてるでしょ」
わが社の副社長ダイゴさんは私を混乱に陥れる名人です。
「嫌な気持ちにさせたいわけじゃないんだけど、そういう目で見てたのも事実だから謝るよ。ごめんね、ちゃん」
わが社の副社長ダイゴさんは以下略です。
っていうか観察眼がすごいです。
* * *
「ちゃん、おやつ買いにいこう」
なんとなくそろそろ来る気がしていました。私はメガネを外し背もたれにかけていた上着を持つと大人しく副社長の元へ行きます。
「何か食べたいものでもあるんですか?」
「んー。とりあえずシュークリームでも」
「良いですね。副社長は美味しいものいっぱい知ってますよね」
「カナズミは結構奥が深いよ。あ、ここでコーヒーでも飲んでいこう」
「シュークリームは?」
「帰りに買おう。持ち歩き時間は短い方が良いでしょ」
「まぁ、そうですね」
副社長の休憩につき合いコーヒーブレイクとなった。副社長は暑かったのだろうか、スーツの上を脱いでしまった。
ベストの全貌を見たのは初めてです。今まではパンチラならぬベスチラでしか見てきませんでした。さすがに周りの方々とは着ているものが違う、ような気がします。
「夏から副社長との思い出が随分増えたような気がします」
「うん、夏は恋の季節だからね」
「はい。……ん? はい?」
「僕に好きな子がいるの、知ってた?」
「え! そうなんですか! 全く知らなかったです……」
副社長にはなんだかんだで良くしてもらってきた。その内に私も副社長の好意に甘えるようになってきていたように思う。さっきだって、副社長から声がかかったことに驚きもしなかった。
副社長と数分ふらりと会社を出ることが当たり前のことになってきているのだ。
副社長に好きな人。
つまり私なんかよりずっと可愛いと思っている人がいるということだ。
「どのくらいお付き合いを?」
「まだ友達になれたか怪しいくらい」
「え、意外です。副社長ならどんな男性よりも有利な立場だと思いますが」
「それだけ?」
「え?」
「有利って思うだけ? その感想ってすごく、第三者視点からだよね」
どうやら副社長の望んだ答えではなかったらしい。そんなものだ。私はいつだって副社長に振り回される、それだけしか出来ない。
「ねぇ、どう思う? こうやってたまに連れ出されて甘いもの食べてる時間、好き? このままでいたいと思う? 僕も嫌いじゃないんだけれどね、このままだとただの良い人コースに入りそうじゃない? 失恋はさすがに阻止しなきゃね」
「副社長……」
「いつもたくさんのお菓子を持ち帰らせてごめんね、僕の好きな人」
副社長はカップを置くとするりと袖に腕を通し、軽く襟を直す。スカーフにラフさを残しながら整えると副社長は副社長の顔になる。
その時私は今まで目の前でコーヒーを飲んでいた人物がツワブキダイゴという一人の男であったことに気づきます。
副社長は伝票を取り、先に席を立たれてしまいました。
追いつかない頭を抱え副社長を追いかける。外の寒さは上着を突き抜けるほど鋭い。
副社長は木枯らし吹く中、薄い色の空を見ていました。
「ああ。シュークリーム、買いにいかなきゃね。どうする? 気まずかったら先に帰って良いよ」
「そんな……」
「そんなこと言うくらいだったら、帰り際に言えって話だよね。僕、君の前だと馬鹿みたいに安直だからなぁ」
「だ、ダイゴ、さん……」
「………」
ダイゴさんの何も言えなくなった顔。真剣なまなざしに私は次の言葉を継げなくなってしまいました。
だって私の気持ちはまだ固まっていない。きっと煙のように不確か。
「いえ、何でもないです……」
「そう。わかった。でも君が期待させたんだから覚悟してよね。嫌なことは嫌って言うんだよ。僕が傷つくくらい拒否しないとやめてあげないから」
帰り道、副社長は大量のおやつを私一人に持たせる理由をつらつらと話しました。
誰かを呼んで荷物を半分持たせて、それが恋や嫉妬のきっかけになったら悔やんでも悔やみきれないだろ。
そういうことだそうです。
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余韻台無しな没会話↓
「早く夏が来て欲しいな」
「恋の季節が、ですか?」
それは新しい恋を見つけたいとかそういう意味なのでしょうか。
「ん? 違うよ」
副社長は清々しい笑顔で言い放ちました。
「薄着と生足の季節が来て欲しいってこと」
そう言って副社長はイケメンであっても許されないセクハラのラインを踏み抜いたのでした。