わが社の副社長ダイゴさんは私を混乱へと陥れる名人です。
なんだかんだ副社長から声をかけられることが多かった今までですが、今日は初めて、副社長の部屋まで呼び出されました。

何の用だろう。
エレベーターに乗り、副社長室の手前。そこで、ぼんやりと業務のことを思い返していた私は、ようやく緊張を覚えます。
なぜなら副社長より手前、秘書さんが控えているからです。もちろん副社長の魅力を損なうことの無い、美人の女性です。あと胸が飛び出ています。秘書さんと比べられれば彼女は花、私は…、私は芋です。芋です。
ふいに目を合わせると、クールな視線に射抜かれます。


「あの」
「はい?」
「副社長は……」
「あ、その人は僕が呼んだんだ」


すべてを言うまでもなく、ダイゴさんが部屋から顔を出されました。


「入って」
「あ、ありがとうございます」


その秘書さんに腰を低くしつつ入室しようとしたのですが、一歩踏み入れようとしたところでわたしは固まってしまいました。
室内は、室内であることを吹き飛ばすほど石に溢れてしました。


「……副社長はいつもここでお仕事を」
「まあ。会社にいなきゃいけない時は」


副社長が数多くある肩書きのひとつとしてストーンゲッターを名乗っていることは周知の事実です。でもまさか会社のオフィス、ガラス窓の内側でホウエンの大自然を感じるとは。
それも部屋に置かれているのは綺麗にショウケースに収まるような石ではありません。苔生した、石というよりは岩がディスプレイされているのでした。
それでもあまり狭く見えないほど、お部屋は広いです。


「すごい、ですね……」
「気に入ってくれて嬉しいなぁ、ありがとう!」


石が生えるよう緑を足されていたり、ちゃんとした敷物の上に鎮座させられていたり。石の飾り方には愛を感じて、インテリアとしては有りです。オフィスとして適切かは知りません。


「見て。この子は新入り。それもついさっき」


机の上に置かれた、人の頭くらいの大きな石を副社長は愛しげに撫でます。


「貰ったんだ!」
「どなたから?」
「えーとね、この人」


副社長は名前を覚えていなかったらしく、机の上を滑らせるようにして名刺を渡されました。
それは業界内ではどちらかという評判の良くない、どちらかというと付き合い方を考えなければいけないような会社の方でした。

石を受け取った副社長。大変ご機嫌です。
わが社の副社長ダイゴさんは大変ちょろいみたいです。

っていうかその石を気に入ったのならお名前くらい覚えて差し上げれば良いのに。贈り物を受け取ってしまったのならなおさらだと、私は思ってしまいます。


「ああ。僕の趣味と会社の方針は別だから」


やはり副社長。こういったことに限っては公私混同はされないようです。少し見直しました。


「で、ご用件は?」
「え、この子を自慢しようと」


前言撤回です。




 * * *




季節は変わり目。寒い日に暑い日が紛れ、また冬に戻ってしまうような日々です。そのせいもあるのか、私は胃を痛めていました。
また、副社長からの呼び出しです。終業時間を過ぎたら上においでよ、とのことでした。

言われた通り終業時間を迎え、エレベーターに乗り、副社長室の手前。そこが一番、胃が痛くなる場所です。気圧が変わるからです。きっと。

チン、という音を立ててエレベーターのドアが開きます。
今日も変わらない美貌の秘書さんが座って仕事をしています。


「お、お疲れさまです……」


あっけなく無視をされます。そそくさと私はその前を通り過ぎ、副社長室へのドアをノックしました。
入って、という声が聞こえます。


「失礼いたします」
「お疲れさま」
「はい。副社長もお疲れさまでした」
「おいで」


広いソファ。副社長の横を示されたのでそこに座ると、副社長は分厚いカタログを見せて来ました。
副社長の開いているのはぬいぐるみのページでした。


ちゃんならどれが欲しい?」


えっとそれはどういった意味なのでしょうか。


「プレゼントしたいんだ」


なるべく平静を装って聞き返します。


「どなたに向けてでしょうか?」
「親戚の女の子に」


そうですか、という返事はごく普通に出せました。


「ちゃんと選んであげるんですね」
「一応ね。僕が選ばないと受け取ってくれないんだ。一度人に見繕って貰ったらバレてさ、散々泣かれたよ」


副社長の選んだものに固執する。その女の子はきっと副社長への淡い憧れを抱いているのでしょう。
わたしも一応女の子。その気持ちは分かります。


「女の子だけど、やっぱりダンバルドールで良いかな」
「え。それは……!」
「かっこいいよ?」
「か、かっこよすぎるんですよ! 女の子ならもっと可愛いものを選びましょうよ! 可愛くて、それに少しお姉さん扱いしてあげるのも良いんじゃないですか」
「お姉さん扱い、か。……じゃあメタング」
「分かってて言ってませんか?」
「何が?」


一生懸命副社長を女の子の感覚へと誘導して、プレゼントはサーナイトドールをその女の子に合わせ特注することに決まりました。
幼い女の子へのプレゼントにあれこれ悩む副社長には不覚にも胸をくすぐられました。

カタログを閉じる副社長。私も安心でため息が出ました。決まって良かったです。


「ありがとう」
「いえ、お役に立てたみたいで良かったです」
「あのさ」
「はい」
「君にプレゼントを贈るなら僕は君と一緒に買いに行くことを選ぶよ。そんな時間を僕が貰いたいからね」
「あ、ありがとうございます。っ失礼します」


女の子へのプレゼントの感覚はズレまくっているのに、どうしてあんな台詞を思いつくのでしょう。
わが社の副社長ダイゴさんは私を混乱へと陥れる名人です。




用事が終わり退室する。
扉を閉めてすぐ、火照っていた顔は元通りになりました。
そこには秘書さんが立っていたからです。元々私より身長が高いのに、さらに足を長く見せるピンヒール。冷たい視線に見下ろされ、わたしは地面に埋まりたくなりました。芋ですから。

わたしも一応女の子。秘書さんの冷たい視線の理由は、それとなく分かります。


「お、遅くまでお疲れさまです……」
「ほんっと。貴女がいるせいで帰れないのよ」


髪をかきあげる色気のある仕草とともに放たれたのは、とても鋭利な言葉でした。


「こんなののどこが良いのかしら」


二発も。ダブルニードルはぐさりと胸に突き刺さります。
かっ、と頭の中が熱くなる。

わが社の副社長だけじゃない。秘書さんも、私を混乱に陥れる名人でした。




 * * *



ちゃん、おやつ買いにいこう」


副社長がオフィスに現れて、外へと連れ出してくれたことにわたしはほっとしてしまいました。
副社長から来てくだされば、わたしは秘書さんと顔を合わせなくて済むから。そんな、自己中心的な理由です。

今日の目当ては揚げまんじゅうです。
試食した限り皮がカリカリに揚げられていて、副社長が好きそうな食感だと思いました。


「もうすぐ熱いお茶が飲めなくなるから、こういう脂っこいものは今のうちにって思ったんだ」


なるほど、一理あります。副社長のベスチラももう見られなくなりました。
またこっそりと、スーツの隙間を覗き見ますが、やはりベストは見られません。

こんなののどこが良いのかしら。
秘書さんの言葉は正しいからこそわたしに突き刺さりました。
私もそう思います。毎度毎度、頭を混乱させながら、思っています。こんなののどこが良いんでしょうか、と。

でも、そんなこと思っても、副社長は私を選んで、私を呼んでくれるのです。


「ん?」
「いいえ。……暑いですね」
「うん。でも僕は嫌いじゃない」
「夏、好きなんでしたっけ」
「外が暑いとさ、石の冷たさが際立つんだよ。日陰の石とかもうオアシスだよね!」
「そんなこと思ったこと無かったですが、きっと気持ち良いでしょうね」
「うん!」


冷房対策に私が膝掛けの用意をし始める季節。それは副社長にとっては大好きな石と添い寝出来る季節です。

お待たせいたしました、と店員さんから声がかかる。綺麗に梱包された揚げまんじゅうを両手に抱え、わたしと副社長はやはりベストどころか上着もいらない日差しの中、社へ戻ったのでした。



 * * *



わが社の副社長ダイゴさんは私を混乱へと陥れる名人です。
しかし混乱というのは長続きしないもの。そしていくらその時驚いたとしても、二度同じことに合うと混乱などしなくなります。入社幾年か経ち、私もデボンコーポレーションならではの風景に慣れてきました。

例えば、副社長のお部屋が石だらけなこと、とか。
秘書さんから送られる、冷たい視線だとか。


さん、内線3番」
「はーい」


手を伸ばした先の受話器はひんやりと冷えていました。
オフィスには今年初の冷房が入っています。私の足が冷房と戦う季節がやってきたようです。


「はい、です」
『あ、ちゃん』
「っ、はい」


副社長、と言ってしまいそうなギリギリなところで気づいて息を飲んだ。
話の相手が副社長であること。それを知るのは内線を回してくれた同僚で充分です。


「何でしょうか」
『僕の部屋まで上がっておいで』
「あの、それは今すぐじゃないといけま」
『うん。待ってるよ』


私の言葉を遮って、しかも言い切ると内線は切れてしまいました。

どうしよう。目の前の仕事は、お世辞にもきりが良いとは言えません。
ですが相手は副社長。上司です。私はPC用のメガネを外しました。
立ち上がるとすぐ、隣の席にいた先輩から書類を回されました。


「はい」
「……なんでしょうか、これ」
「副社長のところに行くんでしょ?」


そうですけど。間違ってはいませんけど。どうして分かってしまったのでしょうか。


「私って分かりやすいんでしょうか」
「まんざらでもないって顔してるよ」


指摘されると恥ずかしさが急にこみ上げてきます。書類の束を受け取り、私は少し駆け足でオフィスを出ました。

エレベーターの中で私は自分で自分の頬を揉みます。まんざらでもない顔。それって結構だらしない顔のように思えます。

でも、先輩の指摘に納得している自分がいます。
階数は上がって副社長のお部屋に近づいていきます。多少緊張はありますが、胃痛はすっかり収まっていました。

エレベーターのドアが開く。と、副社長は自らコーヒーを煎れていました。


「……あれ?」


思わず声をあげてしまいました。そこに、あるはずの人がいないからです。
美人で、ピンヒールを履きこなす、胸が飛び出ている秘書さんが。


「ああ、彼女、辞めたんだ」
「どうしてですか? こんな、急に」
「急じゃないよ。前から決まってた。詳しくは個人情報だから言えないけど。事情があって先月で辞めることになっていたんだ」
「そう、なんですね」


私を混乱に陥れる名人、秘書さんがいなくなってしまったこと。それは私に喪失感と、最後の混乱を残しました。

秘書さんはどこへ行ってしまったのだろう。この仕事、いえ、ダイゴさんの近くを彼女は大事にしていたはずなのに。

寂しいですね、と言うと副社長は頷いた。


「そうだね。色々迷惑かけたけど、最後にここを辞めたくないと言ってくれた。爪が割れるのが嫌だからって、石の移動とかは絶対に手伝ってくれなかったけど」


辞めたくない。彼女の叫びが聞こえるようです。
数分さえも話したことは無いけれど、私は秘書さんと同じ気持ちを持つもの同士だからです。
私も、秘書さんと同じく、副社長に恋した者同士だからです。

副社長、いえ、ダイゴさんが、好き。
そう気づけたから、あの冷たい視線を正面から見返せると思ったのに。

苦手だった秘書さん、女性としての魅力では敵うはずがない秘書さんがいなくなってしまった喜びは確かにあります。
そういった勝ち負けを計算するくらいには、わたしはダイゴさんへの気持ちを自覚しつつありました。

でも今は、秘書さんがどこへ行ってしまったかが気になるのでした。



「君、秘書課に入らないの? 向いてそうだけど」


それはあと2カップ、胸が大きくなってから考えたいと思います。