わが社の副社長ダイゴさんは私を混乱に陥れる名人です。この人からはずいぶん、様々な戸惑いを与えられました。ですので、事のひとつひとつには驚きつつも、日々に何かが起きること自体には慣れたものと思っていました。

 けれどそれは、勤務時間内に限った話だったみたいです。


「な、なんで副社長がここに……!」


 有給で出かけた場所で、まさか副社長とばったり出くわすとは。私は完全に気を抜いていました。


「なんでちゃんここにいるんだい?」


 今回は副社長にとっても予想外の出来事だったようです。混乱の表情を浮かべました。


「僕は出張で」
「私は出身がここ、シンオウなんです」


 そう、私たちが偶然顔を合わせたのは、いつも顔を合わせるデボンから、遠く離れたシンオウ地方でした。


「出身? そうだったっけ」
「はい」
「ああでもそう言われると……、ちゃんは肌白いなーって思ってた。それも透き通るような白さだと思ってたけどこっちの出身なら納得だ」
「そ、そうですか」
「石で例えるとそうだな……」
「例えなくて良いです!!」



 * * *



「ああでも、驚いた」
「副社長のあんなに驚いた顔初めて見ました。私も本当にびっくりしました」
「しかも、二人して別々の理由でこっちに来たのにね」
「はい」


 私のよく見知った景色に、会社でしか顔を合わせない副社長が立っている。私の目の前には大変珍しい光景が広がっています。


「あ、もしかして私服?」
「まあ、そうですね」
「結構地味だね」
「おっオフですから。副社長は派手好きですよね」
「好きっていうか……」


 私の返しに副社長はなぜか苦笑い。ですがどう見ても副社長は派手好きです。
 またこれが趣味が良いのが憎たらしいと、私は思います。
 黒一色でないスーツにシルバーを効かせ、赤いスカーフを合わせるところ。所々アクセントで入る紫色は副社長のアイスブルーの髪色と調和させるためのものでしょう。

 詳しく聞いたことはありませんが副社長のスーツはオーダーメイドではないかと私は思っています。なぜならオーダーメイドでもおかしくないくらい、副社長に似合っていますし、サイズもぴったりです。またそれくらいのお金を費やすのは副社長にとって造作もないことなのです。
 本日、下着を抜くと上から下までトータル1万円で出来ている私とは雲泥の差というやつです。

 副社長は苦笑いのままこう続けました。


「これくらいの服装が僕は似合うんだよ」


 ああもう副社長って人は。本当にその通りだから、言い返せなくて困ります。


「でもちゃんみたいな服装、いいね」
「えっ。トータル一万円がですか?」


 うっかり、口が滑って今日の自分が大変安上がりなことを副社長にばらしてしまいました。
 けれど副社長は私を笑うことなく、むしろ興味津々といった感じです。


「へえ、一万円なんだ?」
「おっオフです、オフだからです」
「うん。そういうのが良いなって思うんだよ」


 私は首をかしげました。副社長の言葉がつかみかねます。


「だからオフの服装ってやつ。僕はいつもスーツだから。最近は会社にいること多いし、会社にいなくても僕はチャンピオンだから」
「あ……」
「洞窟行くときもこの格好だからね」
「大変ですね、チャンピオン……」
「まあね。でも光栄なことだから」
「でもスーツで洞窟はやめた方が良いかと思います……」
「そう?」
「危ないですし」
「心配してくれるんだ。ありがとう」


 でも、着替える時間が惜しいんだよ。出来るだけ長く、僕は石を探していたいからさ。

 そう言った副社長に、私は哀れみの視線を送るしかありませんでした。



 * * *



「長々とすみません。出張お疲れさまです。私、そろそろ……」
「時間なら気にしないでよ」
「しますよ」


 わたしが気を使うのはもちろん副社長にでもですが、同じ会社の同僚たちにもです。
 少し遠方へ出かけた副社長からの連絡が途絶えたと思ったら本格的に洞窟潜りをしていたという話は二月に一度は聞きます。


ちゃん」
「はい」
「良い機会だから靴、見に行こう」
「……なんでそうなるんでしょうか」
「探してるって前に言ってただろ」
「確かに探してますけれど……」
「去年までのサンダルが気に入ってたけれど今年はさすがに履けそうにないから新しいのを探してる。でも見つからないって」
「よく覚えてらっしゃいますね……」
「まあね」


 確かに副社長の言うとおり、わたしは今年のサンダルを見つけられていません。
 けれど、わたしはそれを副社長の前で言ったでしょうか。一通り思い返してみますが思い出せないのです。
 まあ、会社でも副社長との時間は意外に多いので、世間話としてそんなことを話したかもしれなません。


「近くならトバリデパートかな?」
「トバリは遠いですよ?」
「うんもちろん僕が送ってく。あ、ちゃんとここに返してあげるからね。あ、でもここら辺地元なら、トバリデパートなんて飽きてるかな」
「いえいえ、だからそんな……!」
「じゃあリゾートエリアって行ったことある?」
「無い、ですけど」
「うん、決まりだね」
「ほ、ほんとに行くんですか?」
「嘘言ってどうするの?」
「ええええ……! でも、そんな……!」
「何が気になってるの? お金のこと? ならちゃん、いつも僕のことなんて呼んでるか言ってみてよ」
「副社長、です」
「僕のこと分かってるんだよね。なら甘えなさい」


 副社長は副社長です。けれどその副社長のお金が私の、個人的に必要としているものに注がれるのは恐ろしいです。

 いけない。副社長がなんと言おうと、ここでわたしが副社長に甘える義理は無い。そう思いながらも、結局わたしは促されるままリゾートエリアへ足を向けてしまいました。

 理由を言葉にするのは難しいです。
 けれどむりやりまとめて、一番自分の気持ちに近いものを選び出すとしたら、“なんとなく”でしょうか。

 そう、本当になんとなく。わたしは思ってしまいました。

 ずっと探していたけれど見つからなかった新しいサンダル。今日この人と探しに行ったら良いものが見つかるかもしれない。
 買い物は運命。この人となら、ひょっとしたら運命の出会いもあるかもしれない、何か良いことが起こるかもしれないと、思ってしまったのです。


 その後。なんとなくで副社長についていってしまったわたしは、リゾートエリアという地名に恥じないリゾート値段というものを目の当たりして、泡吹いて倒れそうになるのですが。




 * * *



 副社長は買い物が終わるとわたしを元の場所へ戻してくれました。新しい靴を持っていること以外は、全くそのままに。
 あの人は我が社の副社長だというのに。送り迎えも無しにエアームドにまたがり、颯爽とホウエン地方をめざし飛んでいってしまいました。


「そのサンダル、履いたところ今度見せてね」


 飛び立つ前、副社長が残した言葉がそれでした。

 けれど今回いただいたサンダルは飾りが多く、会社の制服では履くことはできません。また通勤になんて使えばたちまち汚してしまいそうです。
 もし履くとしたら私服になってしまいます。

 ホウエンで副社長と私服で会う時間なんて果たしてあるのでしょうか。
 まさか。遠回しなデートのお誘いでしょうか。


「……ないない!」


 もし私がこの靴を履いて副社長に会う日があるとして、その時は彼もスーツを脱いでゆったりとしたシャツ姿、だったりするんだろうか。
 そして私はその人を、ダイゴさん、と呼んだりするんだろうか。


「っないないないない!」


 誰もいない空気に向かって首をふる私でした。