はじまりは、ナゾノクサ。本当の最初は、家のお庭の片すみに、だいぶ汚れてしまったじょうろを見付けたことだけれど、それをしげしげと見つめていたわたしとじょうろの間に入ってきたのが、やせいのナゾノクサだった。人間の子供なわたしをこわがらないナゾノクサは、頭の草を大きくふって、わたしをじょうろの方へと呼ぶのだ。
「何? どうしたの?」
のぞみどおりわたしが近づくと、ナゾノクサは短く声を出してよろこんだ。どうしてナゾノクサがわたしを呼ぶのか不思議だったけれど、じょうろにじゅうぶん近づいたところでようやく気がついた。
「あ……」
古ぼけたじょうろの中には、たっぷりの冷たそうな水が入っていた。ここは日かげで、三日前の雨がたまって、残っているみたいだった。
「これが欲しいんだね」
今日はビーチで海開きも行われる、初夏の一日。かんかん照りで、わたしも、何もしていなくてものどがかわくくらいだ。くさタイプのナゾノクサには、この水がきっとごちそうに見えるのだろう。
たっぷりの水で重たいじょうろを両手で持ち上げて、ナゾノクサの頭からかけてあげる。
頭の大きな葉っぱに、ナゾノクサの丸い体に、すきとおった水が当たって流れていく。とってもおいしそうに見えた。
じょうろからの水浴びを、ナゾノクサは大好きになったみたいだった。ナゾノクサからわたしを迎えに来て、またじょうろの方へ呼ぶんだから、きっとそうだと思う。昨日あげてしまったから雨水はもう無いけれど、わたしはその中に冷たい水をたっぷり注いで、それからナゾノクサに全部をかけてあげた。
晴れた日には必ず、自分の朝ごはんを食べるのといっしょに、じょうろの中を水で満たした。
ナゾノクサの次は、マダツボミだった。ナゾノクサが連れてきたかわいいお客さんは、さいしょはわたしをこわがっているみたいだった。やっぱりこのナゾノクサが人なつっこかったんだろう。わたしをじょうろにみちびいたみたいに、マダツボミのこともさそってくれたのだと思う。
「あなたってお友達をふやすのが上手なんだね」
人間のことがこわいのはしょうがない。わたしはひとまず、ナゾノクサにお水をかけてあげた。今日もナゾノクサは、全身で喜びながらお水を浴びる。ナゾノクサは、ポケモンから見てもやっぱりとても美味しそうに水を飲んでいるみたいで、マダツボミもそろそろと、近よってきた。
「はい! きっときもちいいよ!」
ナゾノクサの奥にいるマダツボミにも、このお水がかかるように、わたしはじょうろを高く持ち上げた。
ほんとはお水が欲しくてしかたがなかったんだろう。すぐにマダツボミは目を閉じて、気持ちよさそうに水を浴びた。わたしも喜んでじょうろの水をかけてあげた。マダツボミは、足からお水を飲むのも得意みたいだった。
暑い一日に飲む、おいしい水のお客さんはどんどん増えていった。
三匹目はヒマナッツ。じょうろの口からふりそそぐ、小さな雨を、うるうるとした瞳で見上げて喜んでくれた。
そのヒマナッツは、キマワリをつれてきてくれた。キマワリはわたしがお水をかけやすいようにと、少しかがんでくれた。わたしもいっしょうけんめい、うでを上に伸ばしてかけてあげた。
四匹のポケモンに、じょうろ一杯の水では足りない。お水が空っぽになると、わたしはすぐキッチンに戻って、つめたい水を満タンにして、またみんなに注いであげた。
五匹目のくさポケモンは小さなスボミーをつれた、ロゼリアだった。ロゼリアはじょうろのお水をかけてあげると、ふたつのお花をきらきら輝かせた。わたしもスボミーも、それを「とってもきれいだね」って言い合いながら見つめた。
ハネッコにポポッコ、チュリネやアマカジもお庭に集まるようになると、お水のおかわりもたくさん必要になる。キッチンに戻って、じょうろを重たくして、水をかけてあげる。それを何回もくりかえすとわたしはたくさん汗をかいたけれど、ポケモンたちはみんなとびはねるように喜んでくれるから、大変だとは思わなかった。
「わ、わ……!」
今日も、ポケモンたちにたくさんおいしいお水を、と思いながら外に出て、わたしは圧倒されておどろいた。
今までで一番、大きいポケモンがお庭に遊びにきていたからだ。黄色い体に大きなハスの帽子。本物のルンパッパを見たのは、その日がはじめてだった。
ルンパッパものどがかわいているみたい。その顔に元気がなくて、わたしはいそいでルンパッパへとじょうろをのばした。
「あ……っ」
だけど、ルンパッパは背が高すぎた。上を向きすぎたじょうろは、重力のまま、お水をこぼす。ルンパッパじゃなく、わたしの上に。頭からぬれて、洋服の中まで冷たくて、びっくりしてじょうろまで落としてしまった。
「ご、ごめんね! すぐ入れてくるからね!」
キッチンにもどって、じょうろに水を入れながら、わたしはぐるぐると考えた。どうしよう。手を伸ばしても、ルンパッパには上手にお水をかけてあげられない。
重たくなったじょうろを持ったわたしの足元にジャンプしてきたのはナゾノクサだった。ルンパッパのところへ戻るわたしの横をついて歩いてくれるから、最初はわたしを心配しているのかなと思ったけれど違った。
ナゾノクサはわたしが到着すると、ぴょんと跳ねて、マダツボミのもとへ行った。マダツボミはナゾノクサに何かをお願いされたみたいだ。わたしをじっ見ると、それは起こった。
「すごい……!」
マダツボミは小さくてもポケモンだ。だって、つるのムチをわたしに伸ばして、軽々と持ち上げてしまうんだから。マダツボミに持ち上げられたら、すぐにルンパッパのてっぺんが見えた。
わたしはそこにたっぷりのお水を注いであげた。体の大きなルンパッパにはじょうろ一杯では足りなくて、水を足して、マダツボミに持ち上げてもらって、三杯目でやようやくルンパッパの頭のお皿は満たされたみたいだ。
最初はわたしを怖がっていたマダツボミ。その子がルンパッパにお水を飲んでもらうために、力を貸してくれた。うれしいのに、目からは涙がにじんでくる。
「ありがとうね、マダツボミ。それからナゾノクサも! ルンパッパも、喜んでくれたと思うよ」
そのルンパッパは立ち上がって、それから手を大きくふり出した。右に、左に、それからぐるりと回したり。足の動きも加わって、ルンパッパを見ているだけで楽しい気持ちになってくる。ほら、あんなにうれしそうだよとまた2匹を振り返ろうとしたわたしの鼻にぽつん、と冷たいものが当たった。
「あ……」
上を見ると、あんなに晴れていた空が、灰色の雲でいっぱいになっている。ルンパッパが踊り続ける上に、急な雨雲が集まって、そして雨が降り始めた。
くさポケモンたちが、空から降ってくるたくさんのつめたい水に喜んで、ルンパッパと一緒に踊りはじめる。
わたしもさっきの失敗で、もう洋服はぬれていた。雨が降ったからじょうろも必要無い。雨に向かって両手をひろげる。頭から、肩から、空に近いところからわたしもぬれていく。
暑い日に水を浴びていたポケモンもこんな気持ちだったかな?
そう思うともっともっと水に濡れたくなった。空に向かって手を伸ばす。目を閉じて、水を感じる。わたしはお庭に来てくれるポケモンたちの気持ちを、分かりたい。
ぎゅっと目を閉じていた。わたしのひざの裏を、葉っぱがかすった。足元を見ると、ナゾノクサがじめんに置いたじょうろの横で跳ねている。
こんなに雨が降っているのにもっと水が欲しいらい。雨水もまじったじょうろの中身をわたしはナゾノクサにかけてあげた。よくばりだなぁなんて思いながら、でもナゾノクサがうれしそうにするから、わたしもうれしくなった。
お庭に来てくれるポケモンは、少しずつへっていった。なぜかというと、夏が終わるから。日差しが弱くなって、毎日の暑さが遠くなって、くさポケモンたちもあまりのどがかわかなくなったみたいだった。だからわたしのじょうろから、特別に水をもらわなくても平気なんだろう。
ゆっくりと見ない子が増えて、気づけばあの子も、あの子も見なくなった。きっとどこかで元気にしているんだろう。
ルンパッパが踊ると雨が降った。あの日が一番のお祭りさわぎだった。
朝起きて、朝ごはんを食べる。お母さんがしまっていた、少し厚いお布団を干そうと窓を開ける。たしかに昨日の夜は寒かった。
じょうろに水を入れるのは、お庭にポケモンが来ていたらにしよう。ポケモンがいなかったら、じょうろの水がむだになってしまう。そんな風に考えるわたしは、なんとなく想像していた。お庭にはもう、だれもいないかもしれない。
外に出ると、半そででも平気な暑さだった。だけど、風はすずしい。お庭を見わたすと、やっぱりそこにくさタイプのポケモンはいない。木のかげにコラッタのしっぽが見えたけど、わたしのじょうろを待っているわけじゃ無いだろう。
うん。夏は終わるんだ。秋が来るんだ。わたしが家の中にもどろうと、ドアを閉めるところだった。ドアがむにゅ、と何かはさみこんだ。
「だ、だいじょうぶ?」
そう心配する言葉が、上手に出てくれなかった。想像しないようにしてたけど、わたしはほんとはいてくれたらいいな、と願っていたんだと思う。だから今ナゾノクサに会えて、嬉しい気持ちは単純じゃない。
ナゾノクサはドアにはさまれたけど、痛くはなかったみたいだ。わたしのことを気にしないで頭の草をゆらゆらさせている。
「あ、待ってて! 今、お水いれてくる……!」
ナゾノクサがわたしに会いにきたのはお水のためだろう。そう思っていつものじょうろにお水をいれたのに、戻ってくるとナゾノクサはドアからいなくなっていた。
出ていっちゃったのかな、と家のまわりを探して、見つからずに戻るとナゾノクサは見つかった。わたしの部屋の、日差しがたっぷり当たる窓ぎわで目をつぶっている。
「……これからもっと、寒くなるもんね」
お部屋の中じゃ、水はあげられないや。わたしはじょうろの中身をそのあたりの草や花にあげて、お庭に戻した。ふり返ると、さっき眠っていたと思ったナゾノクサがわたしを待っている。
「お水、もう捨てちゃったよ。いらないの?」
ナゾノクサはそこから動かないでいる。わたしを待っている。
「ひなたぼっこは? わたしのお部屋、使っても良いんだよ」
ナゾノクサはそこから動かない。わたしを待っている、そうだったらいいなと思う。
「じゃあ……わたしとお散歩しない?」
すてきな夏の時間の入り口に、わたしをみちびいてくれたナゾノクサ。お水はもう足りていて、この子がわたしに会いにくる理由はもう無くなってしまったかもしれない。だけど、わたしはナゾノクサと一緒にいたかった。
ナゾノクサがわたしの横を歩く。それは、すてきな秋の入り口に思えた。