「わーーーっ!!」
って、誰でも叫び出してしまうと思う。昼下がり。家のドアが急に開いたと思ったら、そういえば最近何やってるか全く分からないななんて思っていたダイゴさんが立っていて、あれ?なんか珍しく眉をしかめているけど貴方のお顔立ちってそんな切なげな表情も映えますねなんて思っているとその顔がかつかつかつかつ無言で近寄ってきて。ぎょっとしていると、後ろからがっつりガッシリ抱きしめ、というかホールドされたら。色気のない叫びくらい出てしまうと思うのです。
「ちょっと! なんですか!」
私を掴んで離さない手をぱしぱしと叩いてみるも、腕も緩まることを知らず、背中からは呼吸しか返ってこない。
いつもの場所でうたた寝していたキルリアも飛んできて、けれどそれがダイゴさんが原因だと知ると目を呆れさせて戻っていってしまった。いやその反応もわかるけど! かんじょうポケモンなんだから、このダイゴさんの感情を私に教えてくれてもいいじゃない!
「どうしたんですか? ダイゴさん、急にこんな……」
いつもの調子では無い彼に、何かがあったことは分かる。尚も手が緩まないか、指の先を潜り込ませようとする。効果は今のところ無い。
はたと気づくと私の目の前にはパソコンの画面。そうだった、仕事関係のメールを書いていたところにこのひっつきダイゴさんに急襲されたのだった。とりあえずメールを仕上げるか……と手を動かし始めると、抱擁がさらに強くなる。苦しいくらいに。
えーもうほんと、何がしたいんだこのひとは。
なんとか耐え切って、メールを送信。一息ついて、やっぱり気まずく思うのは背中の体温だ。
「ダ、ダイゴさーん? とりあえず熱くないですか……?」
人間ふたりがくっついているせいだろうか。それともなんだかんだダイゴさんが健康な成人男性の証だろうか。背中の存在はとくとくと脈を打って、しっかりと熱を生み出し続けている。
窓の外の青い空。ぬるいと言われるホウエンの風。雲も、海もきらめて、目の奥を刺してくる。
「いやかい?」
ダイゴさん、ようやく喋った。だけどそんな弱々しい声を出さなくても。私はダイゴさんが嫌ではないのだから。身動きができないし、熱いし、意味も意図もわかっていないけれど、嫌ではない。
嫌なのは、私も窓を開け放した部屋で少し汗をかいていたことと、ウエストが自己ベストな状態ではないことだけだ。
「嫌じゃないですよ。ただ、……」
言葉にする前に大きなあくびが私の口から出た。お昼ご飯も食べ終わった上に、食後のコーヒーを忘れている。なにより、ダイゴさんの鼓動が私の思考をぼやけさせていく。
彼が今日も生きていること、普通の人間みたいに彼が疲れてしまったか傷ついてしまったかしたこと、私を捕まえてどうにか癒されようとしているらいしこと。そして彼の抱えているものが少しずつ溶けようとしていること。それらが背中から伝わってくる。
でも安らぎをもらっているのは私の方だ。しかも強制的に。部屋の奥でキルリアが眠っているのが見えた。私も気づけばソファにやら夢の世界やらに吸い込まれるようにして眠っていた。
たっぷり寝てしまった。時計を見ればおそらく一時間半ほど。背中のダイゴさんは剥がれていて、私が握らされているのはピカチュウドール。目をこすりながら部屋のドアを、ひとつひとつ開けてみたけれどダイゴさんはいなくなっていた。
なんだったんだ、あのひとは。一体なんだったの。残り物のスープを温めながら、苛立ちや悲しみではなく、忘れてしまいそうな夢を握りしめるように繰り返す。
家にいないとわかったあとも私は、クローゼットなんかも開けたりした。彼の衣服が吊るしてあったらと期待してしまったのだ。
結局最近何していたかもこれからどうするかも聞く暇がなかった。だめとは言わないけれど、それは少し嫌なことだった。
「ただいま」
キッチンでびくんとひとりで跳ねてしまった。おたまを落とすところだった。すたすたとダイゴさんは部屋に入ってきて、テーブルに袋を置く。
やっと目覚めた私にダイゴさんのパーフェクトな笑顔。本人はただ笑んでいるだけだけど、完成度がパーフェクトなやつが照射される。
「お庭のきのみ、少しもらっていいかい?」
「ど、どうぞ」
ジャケットを脱いで、椅子の背にかけて、ダイゴさんが庭に出る。傍らにはココドラを連れて。
ダイゴさんが完全に庭に降りるまで私は動けなかった。背中が遠くなってからそろそろと動いてテーブルの上を確認する。
彼が持ち帰ってきたのは、パンだった。
泊まるなら、明日の朝に食べるパンを買ってきてくださいねひとりぶんしかないのでと、前にも言ったことがあった。確かに現在わが家のパンのストックは、食パン一枚しか無い。しかも一番はしっこ、裏側全部が耳のやつ。
ダイゴさんは私が眠っている間に出かけて、明日のパンを買って帰ってきたらしい。自分が食べるためじゃなく、私が好きそうなパン。チョコチップを練りこんだもの、フルーツの乗ったパイ、チーズがかりかりと焦げた丸パン、そういうのをたっぷり買って帰ってきてくれた。
御曹司相手に残り物のスープを出してしまった本日のディナー。食卓に戻ってきたダイゴさんは「良い匂いだね」と言うとすっと近づいて両ほほにキスをくれる。眠ってしまう前は私の戸惑いを聞かなかった手は、気遣いを取り戻していた。
「なんなんですか……」
「君が眠っている間はきちんと我慢したからね。が目覚めるのを待っていたんだよ」
「………」
憎くなるようなことを言うだけ言って、次にはココドラと見つけた石の話をし出したダイゴさん。なんだか安心した。そんな私のことを誰かは笑うひとはきっといるだろうなぁ。
だけどパンのことも、離れていった手も、二度与えられた唇も、愛を感じて仕方がない。同時に自分の嫌じゃない、少し嫌、それから安心に自分の気持ちを感じて彼が好きだと感じて、仕方がなかった。