知り合いのお店で催してもらった私の誕生日パーティー。美味しい料理、大きなケーキ、私を祝ってくれるたくさんの人々とそれからプレゼント。華やかで、楽しくて、めまいがするくらい。なのに私は人々の間に、猫背で白衣の男を探している。くしゃくしゃの緑の髪をの、いるはずのないトリトを、いないとわかっているのに探している。
トリトは私に興味を持たない。私は幼い頃から彼に視線を注いできたというのに。
幼いトリトが優しくピンプクを抱き上げた瞬間、同じく幼かった私にはかみなりが落ちた。なんて優しい手つきでポケモンに触れるひとがいるんだろう、それも男の子に。衝撃に見舞われて、その時から私はトリト自身やトリトが好むものに対してそれは深い深い興味を持って来たというのに。トリトの世界では私よりも断然、ポケモンだ。
私の片思い歴はかなり長い。片思いしていない年数の方が少ないくらいだ。思えば私は彼の気をひこうとあの手この手を尽くして来た。例えば、トリトに毎朝欠かさずに挨拶することを目標としたり、引っ込み思案のトリトでも付き合いやすい人になろうと言葉遣いや仕草なんかを研究したり。
でも、私はトリトにとっての大勢いる人間のうちのひとりからは抜け出せなかった。
私が変わることができなかったようにトリトも、酷くあがったり、人見知りしたり、自信が無い故に人に一切頼ろうとしないところは変わらなかった。誰よりもポケモンのことを考えているところも。
彼は彼の良いところ、悪いところ全部をそのままにして成長してしまったと思う。私もできないことはできないまま、大人になりつつあった。
「あーあ」
楽しかったパーティーがおひらきになって、私は花束と持てるだけのプレゼントを抱え、酔いを醒まそうとフウラの風に吹かれながら歩いていた。星空に興奮が浮かんで行く。素晴らしいパーティーだった、トリトがお祝いしてくれなかったこと以外は。
酔っていたのと、そんなことを考えながら歩いていたせいか、足は慣れた道を辿り、私はいつの間にやらトリトの家の前についていた。
「あーあ……」
暗い窓辺。まだトリトは家に帰っていないらしい。今夜、研究発表の打ち上げがあることは聞いていた。さらに深いため息が出る。
歳をとるにつれさらにトリトはポケモンへの情熱は浮き彫りになっていったと思う。同時にちっとも私に関心を示してくれないことも明確になっていって、躍起になった私は手当たり次第の手段を尽くした。彼を様々な場所に連れて行ったり、行ってみたいお店につき合わせたり、本を読む彼の隣で私も一生懸命を本を開いてみたり。
トリトの持つ感覚は他の人と違うってわかっているのに、見た目においても努力した。普通の可愛いがトリトに通じるわけがないのに、無知な私はトリトに振り向いてもらえる魅力的な自分を目指すにあたって、流行を参考にするしかなかったのだ。
私の努力は、ある意味では実った。私は友人関係が広くなったし、見た目を褒めてもらえることも多くなった。
けれど結局トリトの関心や視線はいつもポケモンに注がれている。
ミス・フウラを決めるコンテストに応募した時も、自分でも予想外なことに本当にミス・フウラのひとりに選ばれてしまった時も、ミス・フウラとしての任期を無事に終えた時も、トリトは研究で忙しくしていて、ミス・フウラとして働く私を見に来てくれたことはなかった。
そんな惨敗してばかりの私の均整を保っていたのは、トリトがポケモンに”しか”興味がないということだった。私は誰かに劣っているわけではない、そのほかの誰もがトリトの中では等しく特別ではないのだ。
大丈夫、トリトは私を好きではないけれど、そのほかも好きじゃない。そんな後ろ向きの価値観だけが私を支えてくれていたのに、最近のトリトは変わりつつある。その証拠が、研究発表の打ち上げに参加したことだった。
普段、トリトはそういう場は苦手だ。苦手な場に行くよりは自主的に研究の時間を作るのがトリトだった。
けれど、トリトが変わり始めた。風祭りの後ぐらいから、だろうか。トリトはかすかに雰囲気を変えた。
相変わらずなところはあるけれど、以前より生き生きとしていて、最近は他の研究員との関係も良いらしい。打ち上げへの参加に緊張を覚え、顔を青くしたり赤くしたりしながらも「行って見ることにしたんだ」と言っていたのが先月だった。
その日、私の誕生日なんだけど。とは言えなかった。私とトリトは恋人でもないんだし。それに、最近変わり始めたトリトを応援したい気持ちは私も持っていた。「いいんじゃない?」と言って彼の背中を押したのだった。
「わ、トリト」
ここ数ヶ月のもんもんとしたものを思い返しているうちに、案外時間がたってしまったらしい。トリトが、この家の主がぐったりと疲れて帰って来た。ラッキーが付き添っているからこそ歩けているが完全にうなだれていて、前が見えているか非常に怪しい。
「お、おかえり」
「ただいま、」
虚ろな目をした彼は、なんで私がこんな夜中にトリトの家に来ているのかとかももう頭に入ってこないらしい。
「大丈夫?」
「う、うん……」
私も心配になって付き添うけれど、トリトはそれにも気づいていない様子だった。慣れない場に参加してきて、エネルギーを使いきったのだろう。歩くので精一杯らしい。
ラッキーに鍵のありかを聞いて、トリトのポケットから取り出す。ドアを開けてあげると、またへろへろと入って行った。
トリトの性格を思えば得意でない場に出ていったことだけでも十分、拍手で褒めてあげたいことなのに、トリトは相当頑張って帰って来たらしい。
玄関にプレゼントと花束を放り投げると、私は彼の白衣を脱がしてあげる。
「えっとラッキー、これどうしたらいい?」
これ、とは白衣じゃなくトリトのことである。ラッキーはトリトをいたわりながら家の奥へと促している。どうやらシャワーを浴びさせるらしい。
ラッキーに付き添われ、またよろよろとシャワー室に向かうトリトの背中。正直私はめちゃくちゃ心配だ。今あの状況でシャワーを浴びて大丈夫なのだろうか。ラッキーがついているから、まあ大丈夫か。
面倒を見てあげたい気もするが、恋人でもなんでもない私がシャワーには付き添うのは刺激が強すぎる。もちろん私にとってだ。
「はぁ……」
一難去って、肩の力が抜ける。脱力して、そのへんの椅子を借りて座り込む。
そのままトリトが上がってくるのを待っている自分に対して、自虐的に思う。私はなんで、トリトを諦められないんだろう。どうやら誕生日を忘れられてしまったらしいとわかっているのに、またこんな夜中に彼の心配ばかりしている。
腕の中でくだびれているのはトリトがさっきまで来ていた白衣。半分いたずらのつもりで袖を通してみる。
トリトの白衣は少し複雑な香りがする。薬品の匂い、様々なポケモンの匂い、そのすみっこにトリトの匂いがある。どうやら打ち上げにも着ていったらしい白衣から、いつもの香りがすることが私は正直とてもほっとしていた。
「わああああっ、! なんでいるのっ!?」
「あ、トリト。やっと酔いが覚めたの?」
シャワーはちゃんと浴びられたらしい。服は着ているけれど髪から雫が滴っている。慌てていられくらいには元気を取り戻せたらしい。
「な、なんで……」
「ほんと、なんで来たんだろうね」
「は、はは白衣を返して……っ」
「なんでー? いいじゃない、別に」
「よっよくないから!!」
トリトに見せつけるようにくるりと回って、ポケットに手を突っ込む。
「ん?」
指にがさりとポケットに入れるにしては少し大きめな紙の感触が指に当たった。
なにこれ。
出してみると小さな包み紙。リボンがシールで止めてあり、どうみてもそれはプレゼントの見た目をしていた。
「どうしたの、これ。誰かからもらった?」
それとも誰かにあげるのかな。
「まあ、いいけど」
なんとなく、トリトとのことで傷つき慣れている私は、案外普通に笑ってそれをポケットの中にしまうことができた。だというのに倒れてしまいそうな青い顔で「か、返してっ」と言うのはやめてもらいたかった。何か特別な理由でもあるのかなと勘ぐってしまうから。
慌てふためく彼に白衣を脱いで返すと、トリトは大事そうに白衣を抱きかかえる。私は努めて明るく言った。
「花束をね、いっぱいもらったからトリトにもあげようと思って。トリトの家、殺風景だし。洗面所とハサミ、借りるね」
「ええっ?」
玄関に放り投げたいくつかの花束から、私は小さめのブーケを拾い上げた。
グラシデアの花をポイントにしながらピンクのカラーが基調になったブーケはラッキーの色を思わせて、トリトの家にぴったりだ。うん、これにしよう。花瓶もなさそうなトリトの家だけれど、小さなブーケくらいなら飾れるだろう。
「すごいプレゼントの数だね……」
「うん、まあね。でもまあみんな集まる理由が欲しかった部分もあると思うよ。あ、この健康グッズ、トリトにあげよっか?」
「い、いいよ……。それはがもらったプレゼントなんだから僕はもらえないよ……」
「そう?」
ブーケを生ける、花瓶の変わりになるものを探しながら、聞く。
「トリト。今日は、どうだった? 楽しかった?」
「あー、うん。楽しかった、かな。いやでも、大変だったよ……」
「そっか」
「は? 誕生日会をやったんだよね」
「え? 私そんなことトリトに言ったっけ」
「言ってない。僕が勝手に知ってるだけ」
そっか。トリトは今日の私の予定を知っていたらしい。冗談めかしていう。
「楽しかったけど、トリトがいなくて寂しかったよ?」
「またそういうことを言う……」
尻すぼみで消えてしまいそうな声。トリトのそれは、本当に冗談を言った時と同じ返事だった。
結局、いいグラスが見つからず、ブーケの花々はビーカーに飾ることになった。まあこれはこれでトリトっぽい。花束についていた栄養剤を水に溶いて、窓際においてあげる。
これでトリトが無頓着でもトリトのポケモンたちがある程度世話をしてくれるだろう。そして最近特にがんばりやのトリトを、少しは元気付けてくれることだろう。
「あ、ありがとう……」
「ううん、こちらこそ。夜中にごめんね、帰るよ。今日も研究お疲れ様」
「ま、待って!! お、送るから……は女の子なんだし……」
「え、いいよ別に」
「いいから。行くよ」
「トリトってそういうキャラだっけ」
「ああうん、キャラじゃないのは分かってるよ……」
生まれ育ったフウラシティ。今日に至るまで、トリトの家と私の家の間なんて何度行き来したか分からない。心配するようなことはなにもないのに、トリトはさっとまた白衣を羽織るとドアを開けた。
さっきまであんなにぐったりしていたトリトに送ってもらうのはなんだか悪いなと思ったけれど、フウラの柔らかい夜風に星空の下、二人で歩くのは私にとっては幸せなことだった。
「誕生日パーティー、してきたんだよね……」
「ああ、うん。まあね」
「どう、だった……? 何食べたの?」
「そんなの普通だよ。揚げ物とかフルーツとか、ケーキとか」
「そうだったんだね。……すごいね、は」
「すごいって、何が?」
「ほんと、全然僕と違って……。遠いなぁって思うよ……」
「何言ってるの、トリト。変なの」
「うん、そうだね……」
あと10メートル。この坂を登れば私の家、という角を曲がったところでトリトが止まった。
「あの、っ!」
トリトの声の大きさ、掠れたところ。それは最近何か思い切って頑張ろうとしている時の彼の特徴だった。
トリトは、何かを得て、私の知らない何かに気づいて、本当に変わろうとしている。
私は何をやっているんだろう、とよく思う。私はすでにトリト以外のたくさんの人間に囲まれて、私を褒めてくれる人はトリト以外にもたくさんいて、きっと、どこへでも行けるのに。
「には友達もたくさんいるし、その中には僕よりももっとすごい人とか、いい人がいるのはわかってる! 僕なんて昔からの付き合いなだけで、大したことない存在だってわかってる!」
「え、トリト……?」
「プレゼントももういっぱいもらっただろうけど、その、これは僕の気持ちだから……っ」
そうやって今にも死んでしまいそうな顔で差し出されたのは、さっき私は白衣の中から見つけたプレゼントだ。
「え、これ、私に……?」
トリトは首を何度も縦に振る。トリトもぶるぶると体を震わせているけれど、恐る恐る指を伸ばす、私の方こそ怖いくらいの緊張で震えていた。
トリトが誰にプレゼントするのか、それとも誰かにプレゼントをもらったのか、事実を知りたくなくてさっきは目を背けたプレゼント。ポケットの中で揉まれて、少しシワの多いラッピングを私は大事に大事に握りしめた。
「ありがとう、トリト……。私、これが欲しかったの」
「え、中身まだ見てないよね……? もしかしてシャワーしてる間に中身見てた……?」
「違うよ。ああもう、トリトって本当にばか。トリトにお祝いされたかったって意味だよ」
鼻をすんと鳴らして、じんわり涙ぐんでしまうから、彼は言葉をなくして驚いていた。わけのわからないって顔をしているのがトリトらしい。
「でもこれ、今日一日中ポケットに入れてたの? 会う約束とかしてなかったのに」
「それは……もちろん会えないって分かってたけど、でも、だからって諦められなかったというか、その……! ……、ごめん……」
「ううん、いいの。本当に嬉しい、ありがとうね、トリト」
つまりそれって、トリトは私の誕生日を覚えていたし、なんとかプレゼントを渡せたらいいと1日考えていてくれたということじゃない? 大変な1日を過ごすトリトの頭の片隅に、このプレゼントのことがあったと、期待してもいいのだろうか。
「えっと、誕生日おめでとう……」
ひとつプレゼントをもらったくらいでこんなに嬉しい。トリトからだと思うと言葉ひとつで舞い上がる。こんな風に私をさせてくれるのはトリトしかいない。だから多分、私の片思いと方向音痴の努力はまだまだ続くのだろう。