あのひとは本当に目立つひとだ。カイナのいちばの人混みで、特に待ち合わせもしていなかったのに見つけられた。だけどそれは恋の効能あってのことではなくて、彼自身の持つ輝きの仕業だろう。
ダイゴさん、カイナに来ていたんだなぁと、彼に街中で偶然会えたことに驚きつつも、私に声をかける気は全くなかった。
嫌な予感に気づいていた。見たく無い、見てはいけないと直感が走る。けれど自分にブレーキをかけるよりも早く目線はひっぱられていた。その先で、彼、ツワブキダイゴは新芽そのままのような女の子トレーナーの視線を独占していた。
数週ぶりに見かけた彼は、さらりと女の子トレーナーに笑いかけている。きっと彼にとってあの少女は見込みのあるトレーナーなのだろう。
ダイゴさんは無邪気に、相手から向けられている感情には鈍感に、表情を変えていた。その子のポケモンを観察して何か呟き、眼を細める。そしてしきりに頷いたかと思えばおもむろに、その子に石を取り出し、差し出した。二つの指輪をはめた手が、彼女の未来を信じて、進化の石を手渡している。
ダイゴさんと、対する彼女の表情を順番に見比べて、私はたちまち雨を頭から被ったような心地になった。ああ私はまた、恋敵が増えた瞬間に立ち会っている。
「あ」
一方的に見ていただけのダイゴさんと目があって思わず声が漏れ出た。向こうも私と同じように小さく唇を開けていた。私はちょこっとだけ頭を下げて、雑踏に身を投じた。彼らをもう見なくて済むように。
いつものカフェに逃げ込んだ私は席に通してもらうなり、ぐったりとテーブルに上半身を溶かした。嫌なものを見てしまった。知らない女の子が、ダイゴさんに恋をする瞬間。
私もダイゴさんに恋するひとりでなければ、きっと甘酸っぱいシーンを見たとニヤニヤできていたのだろう。でも実際は他人行儀に会釈して、偶然の再会をフイにしてしまった。
「あ゛ー……」
ふらつく視界でメニューを読んで、かろうじてサンドイッチと飲み物を注文して、あとはとりあえずおいしいみずを頼む。甘いものは飲むのも食べるのもできない気分だった。実際、胃の奥がつきつき痛んでいる。
サンドイッチが運ばれてくるまで、目をつぶろうと思った。もう何も見なくて良いように。
こうしている間もおそらく、ダイゴさんがたくさんの憧れを集め続けているんだろう。それは昔から変わらない事実だ。けれどだからといって現実に直面し続けるほど私の恋は強固じゃない。
情けないことに私は傷つきたく無いという気持ちは、ダイゴさんを好きな気持ちに負けないくらい強かった。だというのに。
「さん」
さっきは聞くことのなかった声が耳を震わす。目を開けた正面の視界で、ダイゴさんはすました顔で私を一瞥した。
「待たせたね」
さっき、道の端と端で会釈をしたらそのまま離れて行った、その程度の仲の私に対して待たせたねとは。洒落た言い方をする。
もちろん待ち合わせなんてしていない。特にダイゴさんとここで何度か会った、ということもない。黙って返事をせずにいるとにこやかに「さっきはどうも」と付け足されてしまう。ますます肩身が狭くなった。
なんできたの、このひと。嬉しいけれど、先ほど見た光景に辛さも募る。なんて返事をしたら良いか分からなくて、私は目線を景色に外すことしかできなかった。
「具合が悪いのかい?」
「え? そう見えますか? 気のせいだと思いますけど……」
どちらかというと心因性の具合の悪さなのだけれど、勝手に嫉妬して勝手に苦しんでいるだけなのでダイゴさんには何も言えない。
微妙な空気の最中に、私の注文していたサンドイッチが運ばれて来た。
「お待たせいたしました」
「僕もお腹が空いたな」
ダイゴさんが向かいの席に座る。と同時にメニューを見だしたダイゴさん。食べていくつもりかこのひと。つまり、小一時間はこのひとと一緒だ。
「僕も、同じものを。コーヒーをつけてもらえるかい」
「……は、はい」
ツワブキダイゴは愛想笑いですら形が良い。ウェイトレスさんが頬を染めている。
あーあ……。白けた気持ちになって肩を落とすと、何かあったかい? それを僕に教えてくれる気になったかい? とでも聞くようにダイゴさんは軽い期待の眼差しを向けてきた。ウェイトレスさんの反応も気づいていない様子だ。自覚、やっぱりないんだなぁ。そうじゃないかと思ってたけど。
ダイゴさんといると絶えずこういう場面に出くわしてしまうんだよなぁ。ダイゴさんと女性が喋っていると思ったら、じきに女性の側が目をとろんとさせていくところに、本当に何度も出くわしているので、私は半ば諦め気味だ。
「さっきは……すごく楽しそうでしたね。あのトレーナーさん、知り合いだったんですか?」
「いや。僕から声をかけたんだ。珍しいポケモンを連れていたからね」
「珍しいポケモン? どんな?」
「見てなかったのかい? アローラのすがたをしたサンドだよ」
「そ、そうでしっけ」
痛いところを突かれてしまった。私ときたら、ダイゴさんばかりを見ていて彼女の側にいたポケモンを全く見ていなかった。確かにまあ、足元に白くて丸いポケモンがいた気がする。多分。
「こおりのいしは、最近僕も手に入れていてね。でもそれを使えるポケモンに実際会ったのは初めてだったんだ。こおりタイプのあのサンドにホウエンの気候は少し辛いようだったけれど、ちゃんと丁寧に育てられていたポケモンだったよ」
ポケモンとそれと石について語る時のダイゴさんはすごく純粋に見える。
あの時だって、そうだった。純粋に、ポケモントレーナーとしてあのトレーナーに興味が湧いた。ポケモントレーナーとして珍しいアローラのサンドを見て、感想を素直に口に出したりして。ポケモントレーナーとして見込みある彼女への応援を込めて石を渡した。ダイゴさんにとっては本当にそれだけで、行動に込められた感情もシンプルだ。
そのトレーナーが女の子だったのも、たまたまそうだった。彼にとってはそれだけの話。
ダイゴさんは生き生きと楽しそうで、けれどたくさんのトレーナーの視線を奪う風格もまとっている。その表情はやっぱり魅力に溢れている。
ダイゴさんは何かを狙って行動なんかしていない。私も含め、勝手に好きになられただけの、言ってしまえば被害者の側なのだ。だからダイゴさんを責めるのは違うとわかっている。
けれど、厄介なことに、私はあの女の子の胸中が痛いくらいに分かってしまうのだった。
「さん」
「は、はい」
「すごく難しい顔をしてるね。僕に何か言いたそうに見える」
言えと命令されたわけじゃないのに、ダイゴさんが笑わずに目を細めると、なんだか逆らえない気がしてしまう。机の下でぎゅっと手を握りしめながら、恐る恐る口を開く。
「……ダイゴさんはもう少し、自分の振る舞いが与える影響を考えた方が良いと思い、ました……」
「え、っと。どういうことなのか、分からないんだけど」
「その、さっきのを見てて、思ったことで。トレーナーとして興味があったのは分かるんです。でも、そんなに簡単に優しくしない方がいいというか……」
言葉を紡ぐうちに、徐々にはっきりとしてくる、伝えたいこと。ここから先、私を喋らせてくれたのは、これ以上モテないでほしいという願いではなくて、彼に恋してきたひとたちへの同情、のようなものだった。
「ダイゴさんから石をもらったら、期待してしまう子はいると思うんです。慣れてない女の子なんてすぐ、ダイゴさんのことを好きになっちゃう」
実際そうだと思うのだ。ダイゴさんのような容姿で、清潔さのある身なりで、嫌味もいやらしさも感じさせずにスマートな仕草で言葉をかけられると、ぽーっとなってしまうひとは多いのだ。
「うん、そう、ダイゴさんが優しくしたらダイゴさんのことを好きになっちゃう子がいてもおかしくないんですよ……」
ダイゴさんの側は本当に親切心からの行動であるために、下心を微塵も感じさせない。そういう優しさに、きゅんとくる女の子はきっといるし、今までもいた。石をあげて自己満足して帰るダイゴさんの背中に熱い視線を送っていた女の子は、実際にいたのだ。
「ダイゴさんにその気がないのがわかるから、余計に可哀想に思ってしまうんです」
その気もないのに、無自覚に気を持たせている。罪な男というのは、目の前の彼のことを言うのだろう。
ダイゴさんはやっぱり思ってもいなかったようで、小さく口を開けて固まっている。ああ、やっぱり自覚なしだ。
「その、具体的にどうしたらいいと思うんだい?」
「え……」
「僕は僕だから、具体的に言われないと分からないまま、また繰り返してしまうと思うんだ。何をやめたらいいかな」
「じゃ、じゃあ安易に石をあげるのをやめる、とか……」
しまった。ダイゴさんが切れ長の目をまん丸くしている。思い切り、何を言っているんだろう、という顔をされてしまった。
ダイゴさんは少し考える仕草をしたあと、姿勢よく座り直して私を見た。
「さん」
「はい?」
「この石をあげるよ」
「は、はい」
あれ、石をあげるのをやめたらいいんじゃないかと私は話していたのに、なぜ今手の上に石を落とされているのだろう。
「どうだい?」
「は……?」
「君が言った通りならもう僕のことを好きになっても不思議じゃないんだけれど」
「………」
「どうなんだい?」
テーブルに乗り出してぐいっと顔を覗き込んでくるダイゴさん。彼は何を言っているのだろう。私は混乱して、手の中の石と不思議なくらい真面目な顔をしているダイゴさんを交互に見た。
「これで本当にさんが僕のことを好きになるんなら、僕も安易に声をかけたりするのはやめるよ」
ぷっ、と、思わず吹き出しまった。
「もう、何言ってるんですか!」
「………」
本当に自覚なしのひとだ。
石をあげるからじゃなくて、ダイゴさんの純粋な接し方とか生き生きとした表情だとを間近で見た上でのとどめのプレゼントが女性を恋に落とすのに。
彼が持つ石がそういう魔法を持っているわけじゃないのに。ダイゴさんの勘違いが大人の彼にしては可愛らしくて、顔が熱くなってしまうほど笑ってしまう。
「そういう意味じゃないですって、もう……!」
「……ようやく笑ってもらえたと思ったら、こんな状況かい?」
ひとしきり笑って、治まって来た涙目の視界で、ようやく私は手の中の石をまじまじと観察することができた。見たことのない進化の石。けれどすぐにぴんと来た。これが、こおりのいし。初めて見た。
「まさかこの石、本当にくれるんですか?」
「あげるよ。気に入ってくれたかい?」
「はい……」
永遠の冬の魔力が閉じ込められた石が美しくて、見ほれてしまう。私があまりに子供っぽく石を見つめたせいだろうか。「はぁ……」というダイゴさんのため息が向かいから聞こえた。
「お待たせいたしました」
二人の意識を元のカフェの場に戻してくれたのは、さっきのウェイトレスさんだった。
テーブルに置かれたのはダイゴさんの分のサンドイッチ、それにコーヒー。そしてなぜかもうひとつ、厚紙のコースターが私に向けて敷かれる。
「これは……?」
コースターを重たく沈めたのは、フルーツの沈められた綺麗なアイスティーだ。どう見ても私の近くに置かれる。私はお水を頼んだはずなのに。
「こちらはオーナーからのサービスです」
「あ、ありがとうございます」
オーナーさんからの? 突然のことに驚いて店内を見渡すと、キッチンの出入り口に立っていた男性とばっちり目が会う。あのひとがオーナーだろうか。小さく会釈をするとオーナーらしき男性は満面の笑みを浮かべた。ダイゴさんが怪訝な顔で聞いてくる。
「知り合いかい?」
「? いいえ、全然」
「うん。少し気持ちがわかったよ」
「はい?」
「僕が石をあげちゃいけないなら、さんは笑っちゃいけないことになるね」
「なんでですか!」
ダイゴさんが石をあげることと私の笑顔が同義なわけがない。少女の恋と、オーナーの気まぐれが一緒なわけがない。
ダイゴさんは本当に、自分がしてしまっていることに気づいていないんだから。
「さん」
「何ですか?」
「さんと僕は顔が合えば、こうして楽しく話せる仲なんだから、会釈だけでさよならは寂しいというか、物足りないというか。今度会った時はこういうことはやめてほしい」
「………」
「逃げたらだめだよ」
そう言われても。私とダイゴさんに、それほど距離の近い関係性はない。
私はただ、その表情も、無自覚に放たれる甘さのある言葉遣いも、ダイゴさんから放たれるそれらはすべからく誰かを恋に導きそうだなと、ぼんやり考えた。魅力は痛いほどに感じる、けれどまるでフィルム越しに見るように、すでに私には効かないそれらに目を伏せた。
片思いをするだけの痛みより、自惚れの方が致命傷となると知っている。
フルーツティーに口をつけると甘酸っぱい香りが広がった。カフェに入りこむ光に輝くテーブルの片隅に置かれたこおりのいし。ダイゴさんと彼の言葉。私に効き目の無い全てを遠い視点で見つめるばかりだった。