ジムの外に小さな影を見つけた。影と呼ぶ通り、黒のよく似合うその少女。彼女の名はナマエちゃん。ジムの入り口で、ナマエちゃんは僕を見つけるなり、少し下を向いて、前髪を軽く触った。
「ナマエちゃん、今日もジムに来ていたのかい」
「はい」
「寒くないかい? 僕のジムは暗い部屋も多いから、気をつけてね」
「はい」
そっけなく見えるが、彼女は週に何回かはこうしてジムの出先に現れる。その度にこうして簡単に言葉交わしている僕とナマエちゃんが、付き合いも意外と長くなってきた。
トレーナーかどうかは聞いたことがないから分からない。けれどポケモンバトルの申し出をされたことも、バトルについて聞かれたこともない。ただ、ナマエちゃんがゴーストタイプのポケモンたちと戯れているところはよく見かけた。
ゴーストタイプのポケモンを怖がる人も多いのに、ナマエちゃんは特に気にならないようだ。毎日のように話しかけたり横を歩かせたりしている。先日は、ゴースとアイスクリームを分け合っているところを見た。木の平たいスプーンですくい上げたアイスを舌に乗せあって、両方共が冷たさに目を細めていた光景はなかなか微笑ましかった。
彼女は自分がどんな人間かを教えてくれたことはない。けれどそんな彼女を見かけ続けた結果、ナマエちゃんはポケモンが、特にゴーストタイプのポケモンが好きで、また同じくゴーストタイプに好かれやすい女の子と僕は受け止めている。だからこそゴーストタイプのジムリーダーである僕のジムに、興味があって訪れるのだろう。
「あ、あと。この前のお餅、もらってくれてありがとう。あれ、甘くて美味しいんだけど、流石に食べきれないうちに固くなってしまいそうな量だったから助かったよ」
「……はい、ごちそうさまでした」
表情に嬉しさは滲まない。だけど仄かに香る、親近感。これでも僕とナマエちゃんは仲良くなった方なのだ。三日と空けずジムへ来て、僕を見つければ必ず近くへ寄って来ることもある。挨拶を欠かさないその行動の繰り返しを目の当たりにすると、僕も彼女に対して悪い気はしてこないのだ。
「あの、これ」
そういうとナマエちゃんは持っていた紙袋を僕に差し出した。
「みんなで食べてください。……マツバさんのポケモンたちと一緒に」
紙袋の中身は彼女手製のお菓子だ。僕はいつの間にかナマエちゃんからお菓子を受け取るのにも慣れっこだ。袋の中身は、美味しくて造形も可愛らしい焼き菓子なことが多い。ポケモンたちと食べることを見越した数の包みが詰まっているのもいつものことだった。
「いつもありがとう。今日はお花がたくさんあるんだ、ヨネコさんが水仙をたくさん切ってくれてね。お裾分けするよ。少し包んでくるから、ここで待っていて」
「あのっ」
「なんだい?」
「……今度、マツバさんのお家に行っても、良いですか? できれば、明日にでも」
「うん、いいよ」
そうすんなりと答えてしまう。ナマエちゃんは僕の家に来ると、僕の育てたゴーストタイプのポケモンたちをきらきらとした眼差しで見てくれるから。僕の育て上げたポケモンたちに曇りのない輝いた眼差しを向けられるのは、ポケモンたちにとってもそうだが、僕にとっても良い時間だ。
僕も忙しくて相手ができないこともあるけれど、ナマエちゃんは気にした様子もなく、僕のポケモンたちと遊んでいく。片手間ながら僕がゴーストタイプのポケモンたちについて彼女に教えてあげると、それくらい私も分かってると言わんばかりの顔をしたりするナマエちゃんはなかなか可愛いかったりもする。とにかく、ナマエちゃんがわが家に来るのは僕にとってもポケモンたちにとっても嬉しい出来事なのだ。
「ナマエちゃんならいつでも大歓迎だよ」
素直な気持ちを伝えた瞬間、ナマエちゃんは顔を一度うつ向かせ、そして照れたように笑んだ。少女らしさが花開く、いたずら好きそうな、無邪気な笑顔だった。
翌日、本当にナマエちゃんは僕の家に来た。いつでも大歓迎の言葉に偽りはなかったので、悪い気はしないが、翌日に来るとは思わなかった。相当ナマエちゃんは僕の家に来たかったらしい。
手土産を早々に僕に突き出すと、ナマエちゃんはいつもよりさらにもじもじと膝をすり合わせて落ち着かない様子だ。何か言いたげな彼女の言葉を待てば、やがて、かすかな声で僕に伝えられる。
「マツバさん、あの今日は」
「うん」
「わたし、改めてご挨拶がしたくて……」
「うん?」
「あっあの、マツバさんのヨノワールが……」
「僕のヨノワールに会いたいのかい? いいよ、ちょっと待ってね」
「えっ……!」
何を言われるかと思えば、ポケモンのリクエストだったようだ。
そういえば彼女はゴーストタイプのポケモンが大好きだけれど、ヨノワールだけには反応が違っていた。ヨノワールの時だけは、なんというか……。
僕の目撃したナマエちゃん。彼女にぴったりな言葉が見つかるより、ヨノワールのモンスターボールを見つけることの方が数段早かった。
「あれ」
ボールを手に取り、僕は違和感に不意をつかれた。なぜならボールの中にヨノワールがいないからだ。こういったことは時々あった。サマヨールだった時は無かったが、ヨノワールになってからというもの、時々僕の手から抜け出すのだ。
夜を遊びまわるのはゴーストタイプたちの常だ。その性質を分かっているから強く制限かけることはしていない。だけど参ったな、ナマエちゃんのの前、ジムリーダーとしてはやや恥ずかしい。
「ごめん、恥ずかしながら勝手にボールを抜け出ているみたいだ」
「はい、そうだと思います」
……ん? そうだと思います?
彼女の返事が、何かおかしくて僕の思考も一瞬止まる。
それからヒヤリと背筋を悪寒が走ったのは、二つの原因があった。ひとつはここにゴーストタイプのポケモンが出現したことによる寒気。もうひとつは、それが僕の元から姿を消したヨノワールでありながら彼女、つまりナマエちゃんの横に立ったからだ。
ナマエちゃんはさっと顔を赤くしながらも熱い目でヨノワールを見上げる。ヨノワールもひとつ頷くと、ナマエちゃんと抱き上げた。大きな手のひらに抱き上げられ、ナマエちゃんはうっとりと目を細める。
僕の理解の追いつかないまま、ナマエちゃんは言う。ヨノワールの腕の中から。
「マツバさん。わたし、ナマエは、マツバさんのヨノワールと真剣にお付き合いさせていただいています」
なんだ? 僕に見ているこの光景はなんなのだ?
「ちゃんとした挨拶が今日になってしまってごめんなさい。」
そうだったのか。あまりのことで、僕はからからの喉からそう吐き出すのがやっとだった。
(昔々プライベッターに上げていたものの再録&大幅加筆です)