何年も前だ。リーグ委員会の秘書課に配属された私がローズ委員長に指名を受け、オリーヴさんの下に付き従うことになった。異例の昇進だったけれどローズ委員長の指名には逆らえる人なんていなかった。そうして就いた先で、私はダンデさんに出会った。

 と言っても、出会ってすぐのダンデさんを私はあまり覚えていない。時々、話しかけられたりはしていたけれど、激変した仕事内容についていくのに必死でよく覚えていないのだ。
 オリーヴさんの部下に抜擢されても、自分の仕事にはなかなか自身が持てなかった。それどころか自信消失するばかり。当時の私は自分の判断を不安から常に疑っていた。

 もし二人が退任することがあっても、私の上には絶対ローズさんオリーヴさんの二人が存在しているものだと思っていた。何をするにしても二人からのアドバイスを受けながら、二人の考えを写し取りながら、私の仕事は続くのだ。盲目に、いや意図的に目を閉じて仕事を続ける私に、投げかけてきたのがダンデさんだった。

さんは未来のことを考える?』

 珍しくローズ委員長に待たされて、退屈していたダンデさんが世間話のつもりで問いかけたのだろう。さすがチャンピオン、世間話のスケールが違う。一瞬、ぽかんとしてしまった。

『未来ですか?』
『うん』

 当時のダンデさんはまだ肩につかない髪の長さだ。私にとって少し年下のダンデさんは少年で、私は子供の相手をするように答えたのだった。

『難しいですね。ローズ委員長もオリーヴさんも素晴らしい方々ですし、私は二人についていくので精一杯で……』

 未来についてふと考えて見た。けれど、私には何も思い浮かばなかった。と同時に落ち込みがやってきた。
 こんなんだから、私はだめなのだろう。優秀すぎる二人を目の前にして思うのだ。私が一番になることはない。私は、この世界の主人公では無い。だからこの後も一生、二人に付き従っていく人生が続くのだ。

『オレは未来のこととか考えないわけじゃないけど。でもバトルの時、ただ目の前のことを見てる』
『そうですか』
『最初はそれが周りが見えてないみたいで嫌だったんだ。けどいつだったかな。その目の前のことが、大きな未来につながっていると気づいた』
『………』
『そしたら大丈夫だ、って思えて。だからオレは安心して、目の前の物事に集中しているんだ』

 自然と両肩が下がって、胸の奥が膨らんでいく心地だった。

 視線を落とすと、モニターに貼られた大量の付箋、書き込みすぎて真っ黒に見える手帳、代わり映えのない私のデスク。けれどダンデさんの言葉を聞いた今は、違うものに見える。
 未来は今も私には見えない。だけど私が仕事としてこなすこのひとつひとつが、大きな未来に繋がっている。ダンデさんはそう言った。
 魔法のようだった。このデスクについてから、ずっと積み重なっていた不安が、重荷が、チャンピオンと言えど一人のポケモントレーナーの言葉に砕かれていくのだから。

 密かに心震わしていたのに、ダンデさんは世間話をする声色のまま、続けた。

『そういう感覚もあってで、オレは方向音痴なんじゃないかという気がしてきたんだけど。』
『え?』
さん、どう思う?』

 もしやこの少年は真面目に未来の話がしたかったわけじゃなく、自分が方向音痴である一因を見つけて、それを誰かに言いたかっただけなのでは。それに気づいたらまた肩の力が抜けた。
 なるほど。目の前のことがいずれ大きな未来に繋がってると信じるから、目的地も忘れてダンデさんは突っ走ってしまうと。一理あるかもしれないと吹き出して笑うと、ダンデさんも歯を見せて笑った。



「……覚えていますか?」

 随分昔の話をしたからだろう。ダンデさんはかなり驚いた顔をして、声も出さない。

「あの時に私は、心配しなくとも、目の前のことは未来に繋がっているって、ダンデさんに教えられたんですよ。でもやっぱりあれは、方向音痴の一因を言いたかっただけですよね?」
「は、いや、あれは……」
「いや、覚えていなくてもいいんですけれど」

 ダンデさんにとってはきっと、暇つぶしの世間話だ。けれど私にとっては人生の節目と言ってもいいかもしれない。特に何か、私の能力が大きく上がった、なんてことはなかったけれど、少年チャンピオンに心構えをもらった大事な思い出だ。

「ほんと、ローズ委員長はいなくなって、オリーヴさんは仕事ができる状態じゃなくなってしまって……。終わりが見えなくて、絶望しそうになりました。だけど、目の前のことに飛び込んでこなせば、未来に繋がってると思うと……」

 言葉に詰まる。パンクしそうな頭の片隅で、あなたを思い出していたんです、とは言えないから。

「勇気というのでしょうか……。そんなかっこいいものではありませんが、ただ、恐怖に飲まれることなく動き続けることはできました」

 ブラックナイト事件の渦中、私も怖くて、怖くて、どこかへ隠れられたらと思った。けれどやっぱり私を繋いでくれたのはダンデさんだった。
 ナックルシティへと急行したダンデさんに続き、人々を守るために動いたジムリーダーたち。それを追いかけるようにしてリーグ委員会も動くことができた。満点の対応だったかと言われると反省も多いけれど、機能麻痺に陥らなかっただけ救いはあると思っている。

「決勝トーナメントの進行はダンデさんに請け負っていただいて本当に助かりました」
「裏の進行はさんだった。ありがとう」
「私こそ、ありがとうございました」

 数秒、微笑みを交わして、次に私は時計を見た。次の予定がすぐさま頭に思い浮かぶ。立ち上がって、退室させてもらおうと思った。なのにダンデさんが私の肩を掴む。

「ダンデさん?」
さんは働きすぎだ。オレのベッドで少し寝て行くんだ」
「そ、そんな」
「シーツも変えてもらったばかりだ。確かこっちが仕事用の端末だったよな? 連絡が来たら俺が対応する」

 仕事を代わってもらうなんて、そんなことはできない、ありえない。私がやんわりと言い返そうとした言葉をも包み込んでダンデさんは宣言する。

「なぜなら俺がリーグ委員長を引き継ぐからな!」

 ダンデさんが新しいリーグ委員長になる? 一瞬で私の頭の中で、方々から聞いた情報が滝のように流れる。ざっと記憶を振り返ってみたけれどやっぱり、そうだ。

「は、初耳です」
「ああ、今決心できたんだ。ちなみに今まで誰にも言ってない」

 なるほど、初耳なわけだ。よかった、私が把握していない情報だったらどうしようと焦ってしまった。

「ぬか喜びしない優秀な秘書がここにいるし」
「わ、私ですか?」
「ああ。やってみせるさ。オレがリーグ委員長を受け継ぐ。そのためにも、オレに一番に必要なのはさんだ!」

 一番に必要。ダンデさんに言われた言葉がじんと私に染み渡る。

 私が一番になることはない。私は、この世界の主人公では無い。だからこの後も一生、ローズさん、そしてオリーヴさんに付き従っていく人生が続くとそう思っていた。だけどもうここに永遠を手にしていただろうあの二人の姿はない。
 あの日少年だったダンデさんが、声を大人にさせ、髪を長くして、私を射抜いている。

 こんな未来なんて想像できなくて当たり前だ。

「手始めに、と呼んでいいか?」
「もちろんです……」

 それは貴方についていく、という言葉のつもりだったのに。ダンデさんは照れながら私の名前を呼んだ。

「じゃあ、
「はい」

 眇められた目の琥珀色に、意識を奪われる。と思えば、口元は少年のように白い歯を見せていた。

 ダンデさんは未来のこと考える? そういつか聞こうと思っていた。ダンデさんがチャンピオンであることも永遠だと思っていた私は、いずれ仕返しのように問う機会がやってくると思っていたのだ。なのに、ダンデさんは聞かずとも姿で見せてくれる。ずるいくらいかっこいいこの人と、私はまた、未来へとつながる目の前の世界に取り組むことになったのだった。





(オマケ)
※ダンデさん視点


、なんで泣いてるんだ? オレの秘書はやっぱり嫌か……? なんなら少し休暇を取ってから考えてくれても……」
「違うんです。ここだけの話、副委員長があまりに頼りにならないので……、私もうどうしようかと……! このまま、私、裏の執行役員とかになっちゃうんじゃないかと怖くて……!」
「つ、辛かったな……!」
「ダンデさんだったら頼れます……」
「ああ、存分に頼ってくれ。そして今度はオレと、ガラルの未来を作る手助けをしてほしい。だけど今は眠ってくれ」

 さっきまでは疲れ切って、それこそオリーヴさんを彷彿とさせるような少し擦れた表情で固まっていたさん……ではなく。彼女はもう副委員長を担ぎ上げなくていいことに心底安堵したらしい。途端に崩れだした表情。そこから見え隠れする、ずっと見てきたらしさに安心をもらったのはオレの方だった。

 彼女に秘書であって欲しいと思ったのは、今までのリーグを知っているという実績の面ももちろんある。だけれどオレがパートナーに求めたのは完璧超人じゃない。だ。
 1時間だけ、と言いながらはすぐに眠りに落ちていった。
 初めて見るの寝顔。今までで一番あどけなく見える。
 オレは不意に辺りを見回す。この病室は個室で、当然オレと以外は誰もいない。ポケモンさえも今はボールの中だ。は一瞬で深く眠り込んでいる。
 状況は、例えば、頬やおでこに口付けて見たい衝動を助長させていた。

「……いや、良いわけないだろ!」

 誰もいないのだから、言い訳する必要もないのに、オレは気づけばそう声に出していた。彼女は「1時間だけ」と言って眠りについた。時計を見るとまだ10分も経っていない。オレには葛藤する時間がたっぷり50分、残されているらしい。
 苦笑いしながらオレは、イスに座りなおす。
 きっと明日からは二人でめまぐるしい忙しさに飲み込まれるのだ。彼女の寝顔を見つめ、悶々としていられるのも今のうち。そう思い、オレは残り時間たっぷり迷うことにしたのだった。




(リクエストボックスにいただいた「オリーヴさんの元部下でタワーダンデさんの秘書になったけど上手くいかなくて奮闘する話」のために書き始めましたが、違う話になったので短編として公開させていだきます。リクエスト内容から発想をいただきました、ありがとうございました!)

(オリーヴさんはマクロコスモス社の副社長ではありました。が、リーグ副委員長という表現ではなかったので、リーグ委員会においては単なるローズさんの秘書と解釈させていただきました。
ポンコツ副委員長の存在はこのお話だけの捏造設定ですのでご了承ください〜)