ホウエン中の男女、いや世界中の男女がそわそわし始めるバレンタインデー。私はその中でもトップクラスにそわそわ、いや恐々としている自信がある。全ての原因は私の恋人が握っている。自分のプロフィール欄に「けっきょく ぼくが いちばん つよくて すごいんだよね」なんて現在も書いているあの人である。

 ダイゴさんがそれでいいというから、私は迷いながらも数年来、ダイゴさんの恋人をしている。けれど、一度だって自分が彼に釣り合うと思ったことがない。世の中には私よりももっと素敵な女性は山ほどいる。そういう人々に引け目を感じると同時に、悩ませられるのは自分がダイゴさんを満足させてあげられる人間なのかどうか。常々自信が持てないから、プレゼント選びも毎回必死だ。冗談じゃなく、死に物狂いだ。誕生日プレゼントに、クリスマスプレゼント、そしてバレンタインデー。毎度のように彼が喜んでくれるものを苦しみながら選んでいる。

 先月あたりだろうか。クリスマスも終わったばかりだというのにバレンタインが近づいていることに気づいた私は、現実逃避も込めて冗談で言ったのだ。

「ダイゴさん、知ってますか? ガラル地方だとバレンタインデーでやることが違うんですって」
「ふうん?」

 短かな返事ながらダイゴさんの目がきらりと光って、眉がわずかに上がる。こういう相槌をするのは、ダイゴさんが興味を示している証拠だったりする。

「ガラル地方のバレンタインデーは、男性から女性にプレゼントとかカードとかを贈るんですって。多いのはお花だとか。こっちとは正反対ですよね」

 そんな話題をダイゴさんの耳に入れたものの、別に逆チョコみたいなものを期待していたわけじゃなかった。もちろん一切考えなかったわけじゃなく、もらえたら嬉しいだろうなぁ、くらいは考えた。けれど私は別に苦しみからバレンタインデーをボイコットしたいわけではない。
 チョコレート選びの苦労については辟易している。だけどダイゴさんに何かをプレゼントするのは好きだった。ひどい緊張が必ずセットでついてきてしまうけれど、ダイゴさんの笑顔、それに私のプレゼントを純粋に喜んでくれる姿を見ると、私もとても幸せな気持ちになれる。そしてダイゴさんへの”好き”が倍増する。だから私は今年のバレンタインデーも苦しみながら、精一杯の愛とチョコレートをダイゴさんに捧げるつもりだった。




 待ち合わせ場所が近づいてくるにつれ、顔を熱くしながら思わずため息を吐く。

 ダイゴさんと付き合い始めたとき、私はもっと彼に振り回されると思っていた。ダイゴさんが良くも悪くも普通とは違う男性だ。だから、私がこれからするのも普通とは呼び難い恋になると思っていた。
 だけどそんな予想を裏切って、ダイゴさんはひとつひとつ丁寧に私との日々を重ねてくれている。
 バレンタインデーの日も、当たり前のようにダイゴさんは予定を空けていてくれて、笑顔を一緒に私と何をしようかと話し合ってくれた。私が「何か美味しいものでも食べたいです」と言ったら、ダイゴさんは「僕も同じことを考えてた」と屈託なく笑みを深められた。僕も同じことを考えていた。普通のセリフのようなのに、ダイゴさんが言うとなんだか可愛くて、それでいて気障っぽい。うっかりまた彼を好きになってしまったのは言うまでもない。

 毎年のようにバレンタインデーはやってくる。そして毎年のように思うのは、好きで好きで仕方がない相手にふさわしいチョコレートなんて、きっと一生見つからない。だからこそ早くダイゴさんの笑顔が、喜ぶ顔が見たいと思った。その瞬間しか、私はこの苦しみを忘れられないだろうから。

  待ち合わせ場所に着いた途端、頭も体も、何もかもが止まった。立っていたのはバラの花束を抱えたダイゴさんだ。たくさんのバラの鮮やかさが視界に飛び込んできて、一瞬くらっと来た。その次に、数秒遅れて感じたのは、ダイゴさんはなんてバラが似合うのだろうということ。そして最後に、その可能性にたどり着いた。私が数ヶ月前話した、ホウエン地方とは違う、ガラル地方のバレンタインデーについてを。
 さあっと血の気が引いていく中、ダイゴさんが私に気づいて駆け寄ってくる。

ちゃん」
「ダイゴさん、もしかしてそれ……」

  恐る恐る聞く私へ、ダイゴさんは目を細める。

「もちろんちゃんに、だよ」
「っごめんなさい! 私がガラル地方の話なんかしたからですよね……! 私、そんなつもりじゃ……!」

 今更、先月辺りの自分の発言が軽率だったことに気づいた。あんな風に言われたら、バレンタインはプレゼントが欲しいアピールに受け取られても仕方がない。しかもダイゴさんという人は、気がいいというか、私には不思議なくらい甘い、というか……。
 とにかく、今はわかる。ガラル地方のバレンタインの話を知ったら、ダイゴさんならなんでもないような顔をして、私にプレゼントをくれたりする。彼はそういう恋人なのだ。

ちゃん、違うよ。君は勘違いしている」
「え……?」
「僕のこれは便乗だ。君が言ってたガラル地方のバレンタインというのが僕にとって都合がいいから利用させてもらっただけだよ」
「ううう……」

 ほら、ダイゴさんは端から端まで優しさに満ちたことを言う。私だけが美味しい思いをするような出来事なのに、ダイゴさんは、ただの自分のエゴだと簡単に言い切る。ますます申し訳なさが募って、私はダイゴさんの前で小さくなっていくる。

「うう、ごめんなさい……」
「謝らないで。僕はただ、自分がいいな、と思うものには与えたい男なんだよ。今年のバレンタインはちゃんにプレゼントを上げたかった。自分のしたい通りにしたら、きっとその方が僕の気がすむと思ったんだ。……ほら、持ってみて」
「えっ、わ……!」

 私の持っていた荷物をダイゴさんはさっと引き取り、代わりに私の手の中にそのいっぱいのバラを手渡して来た。あっという間に私を包んだ香りに、涙が引っ込んだ。生花だからか意外に重たい。でもその重みが、まるでお話の中のような花束に現実味を与えている。眼前に広がる花たちは綺麗だ。だけど私はダイゴさんにも、この花束にも釣り合う気がしない。
 嬉しいのと、やるせないのとか混じって、涙腺が緩んで来た。

「うん、いいね」

 ふと、そんな囁きが聞こえた、と思った瞬間だった。ふに、と柔らかなものが唇に触れる。頬にも、押し当てられる冷えた鼻先の感覚。あっ、と思った時にはお互いの服が擦れる音がして、ダイゴさんの微笑みが、ゼロ距離から元の距離へ戻っていくところだった。
 戸惑っている隙をずるいくらいに巧みについた、キスだった。

「ま、ま……!」

 街中なのに! それを訴えられないくらいに真っ赤になってうろたえる私を見て、ダイゴさんは砕けたように笑い出した。

「うん、僕にはこっちの方が楽しくて仕方がないや」

バレンタインデーの今日、私が何よりも求めていた、一番の笑顔を見せてダイゴさんはそう言い放ったのだった。