※ガラル地方に引っ越してきた系の夢主
ガラル地方のバレンタインは私の知るバレンタインと違うと知ったのは、ビートくんにチョコレートを渡した後だった。
『どうして急にチョコレートなんです?』
喜びとも拒絶とも違ったリアクション。ビートくんにしては冷たさのかけらもない、本気の戸惑う視線を向けられて、私は自分が何かしら間違えたことに気がついた。
至急ビートくんから回れ右をし、ホップをスタンプ連打で呼び出した。
『バレンタインだからビートくんにチョコあげたんだけど、明らかにリアクションがおかしくて!!』
『ああ、それは……』
ホップはあっけらかんとした顔で教えてくれた。
どうやらガラルのバレンタインデーは男性から女性にプレゼントをしたりカードで愛を伝えたりする方が主流らしい。もう一度言う。男性から、女性へが、主流らしい。
一気に血の気がひいた。やらかした。周りに人がいないことを確認して、ラッピングまで気合いを入れた手作りチョコレートを渡してしまった。チョコレートの試作を重ねたし、ラッピングのリボンの練習だってした。その頑張りは全て空回りに終わったのだ。
ビートくんをめちゃくちゃ困らせてしまった。しかも男性側からアクションがあるはずなのにビートくんからは何もなかった、ということで私は二重に撃沈した。
あげたチョコレートを回収することも今更できない。寝よう。寝て、全てを忘れよう。それしかもう私にはできない。残酷な真実を知った私はよろめいて自室のベッドに沈み込む。遠のく意識の中、今日のことを黒く黒く塗りつぶして、私のバレンタインデーは終わったのだった。
バレンタインデーのことは、もう思い出さないよう厳重に蓋をして、次の日から私は何もなかったという体で過ごした。ビートくんが何か言いたそうにしても聞こえないフリ、逃亡、なんでもありでゴリ押しだ。あの日の違和感はとにかく忘れてもらい、ビートくんから何も言われなくなったところで私の方も綺麗に忘れ去ったつもりだった。
だから、ビートくんからそれを差し出された時に、一体何かわからなかった。
「は、な、なに、これ……」
「あなたの住む地方ではこういうイベントがあるって聞きましたよ。バレンタインデーの一ヶ月後に、男性からお礼を送る、と」
「調べたんだ……」
「あなたの様子が変でしたので、まあいろいろと」
ピンク、ピンクだと日頃から言っているくせに、きちんとブルーを基調としたリボンがかかっているプレゼント。私に向かってまっすぐに差し出されてはいる。プレゼントとビートくんの顔を交互に見る毎に私は驚愕していく。驚きと、封印したはずのバレンタインデーの大恥とが両方一気に吹き出してきて、胃の中が気持ち悪いくらいだ。
あのチョコレートの意味を、遅れて知られてしまった。叫び出したい気分だ。
いや、チョコレートのことはまだいい。ちょっとでも喜んでくれたらいいな、と願ってはいたけれど、くれぐれもそれ以上の期待はしないように自分に言い聞かせて準備を進めていた。
あの日のこと、忘れたい! そう私に悲鳴をあげさせるのは、ビートくんからは何もなかったということ、その一点だ。そこに、私の小さな憧れに対する答え合わせが詰め込まれている。ビートくんが何も知らずにチョコレートを受け取ったように、私もホップに聞かねばガラル地方のバレンタインを何も知らないまま終わっていたのだ。本当に余計なことをしたなと一ヶ月経った今でも後悔が募る。
「どうしたんです? あなたのところのホワイトデーって、諸説ありすぎて正直よくわからなかったのですが、これで合ってますよね?」
「間違っては、ない、けど……」
「なら、早く受け取ってくださいよ」
いつまでも受け取らない私にいい加減、腕が疲れてきたんだろう。ビートくんの口がひん曲がりはじめている。
ビートくんからのホワイトデーのお返し。彼が私のために用意してくれたものだ。欲しいか、欲しくないかのどちらかと聞かれれば、欲しい。だけど彼の無意識の行動から知ってしまった真実は、大きな存在感を私の中で残酷に放っている。
「わ、忘れてくれてよかったのに!」
なぜ受け取らないのかと、ビートくんの紫の瞳は言いたげだ。苦しくなって、私はそう言った。なるべく明るく、おどけたようにして。
「じゃあいらないって言うんですね?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……。アレは私が間違えてあげたものだったのに、気を使わせてしまったなら申し訳なさすぎるなー、って!」
うん、やっぱり。今もビートくんからのお返しがもらえるという嬉しさより、申し訳なさの方が勝る。
私が間違えたバレンタインの贈り物をしてしまったから、ビートくんを戸惑わせてしまった。私の知るバレンタインデーについて調べる時間、それにお返しを選ぶ時間まで奪うことになってしまった。私がちょっと想像力を働かせて、ガラル地方のバレンタインについて調べていれば、こんなことにはならなかったのに。一ヶ月前、ベッドの中で圧し潰したはずの後悔が、またどろどろと水かさを増していく。
こうしてうじうじと言いたいことも言えずにいては、ビートくんにとっても良い気持ちはしないだろう。ちくりと、容赦のないことを言われても仕方がないなと覚悟した。けれどビートくんから吐かれたのは柔らかい息だった。
「気持ちはわからないでもないですけどね。ぼくの気持ちは、今のあなたには邪魔で、迷惑なものなんじゃないかと思っていましたから」
「え?」
「さんがチョコレートを渡してくれたから、ぼくも今、こんなことしてるんですよ。……やっぱり、間違えたって言うんですか?」
私はぶんぶんと首を横に振った。
「ビートくんに渡したのは間違えてないよ、いやガラルのバレンタインとは正反対だし間違えてるんだけど、なんだろう、間違えてるんだけど全部が違うってわけじゃなくて……!」
言葉を重ねに重ねてるのに、言いたいことがハッキリしてくれない。どんどんと気持ちがこんがらがっていく。それを見透かしたビートくんが呆れた冷たい視線で私を見る。
「大丈夫ですか? 自分で言ってて今混乱してるんじゃないですか」
「し、してます……」
「はぁ……まったく……。ぼくが確かめたいのはひとつですよ」
3度目の正直。ビートくんからのお返しが差し出される。ブルーのリボン。ラッピングペーパーは忘れずに薄ピンク。そのプレゼントの奥で、ビートくんは意を決したという顔をしていた。なのに、彼の言葉は、瞳の強さとはうらはらだった。
「ぼくからのプレゼントは、欲しがってはもらえないんですか?」
寂しい言い方だった。あわてて服をもう一枚着たくなる、だけどいくら着込んでも通り抜けてしまうような冷たい風を心臓に感じた。
ネガティブなことを言ってあえて私の気を引こうとしたわけでもないようだ。もっと違う言い方をしたかったのについ出てしまった。そんな振り払えない不安に対する悔しさが、ビートくんの眉根でくしゃくしゃになって寄っていた。
凍えそうだ。ビートくんがいまだに逃れることのできない寂しさに。私は一足飛びでビートくんの手の飛びついて両手で包んだ。
「ううん。これ、すごく欲しい」
「なら早くそう言ってくださいよ」
「ごめんね。ただ、私がお返しをもらっていいかわからなくて」
「欲しいんならちゃんと欲しがってください。遠慮なんてぼくにはわからない。もっと見返りを期待して、求めて、求められたほうがずっと楽だ」
「うん……」
「無償の気持ちは綺麗だなんだと言うけど、ぼくはいやだ」
「うん、わかった」
押し付けて、彼の知らないバレンタインの風習に巻き込んでしまったと思って尻込みしていた。失敗も恥も全てまとめて小さく潰してなかったことにしようとしていた。だけどそれがビートくんを寂しくさせるものならば、私はそっちの気持ちの方をやっつけたい。蓋をするのではなく、乗り越えたい。
「あ、ありがとう」
「いえ、ぼくこそ。ありがとうございました」
ようやくホワイトデーのお返しがビートくんから私の元へと手渡された。私が昔住んでいたところなら、もっと単純なやりとりで済んだはずなのに、お互いのせいでかなりめんどくさい出来事になってしまった。だけど心臓が、不謹慎な音を立てている。
見返りを求められないことが怖い。そんな弱気な姿を、ビートくんが私に向けてさらけ出してくれた。そのことが、春の嵐みたいに私をときめかせる。ああ、やっぱり恋だ。ビートくんに恋してみなければわからなかった、不完全な部分がこんなに良いって思えるなんて。初めてを山のようにもたらすこの恋心が愛しくて、この気持ちを教えてくれたビートくんが愛しくて、やっぱりきみを好きになってよかった。そう泣きたくなる3月だった。