カラマンシーの花の色


 同じ部屋に、ひとつ屋根の下に、ダンデがいる。それを意識するといつだって心臓の跳ね方がおかしくなっていたけれど、今日のは格別だ。私の心臓はドムドムとボールのように暴れている。そろそろ肋骨がおかしくなりそうだ。

 いけない。油断しきっていた。ダンデが帰ってくる可能性が大いにあるこの部屋でダンデへの想いを口にするなんて、迂闊だった。
 でもまさか、本当にダンデが帰って来るとは。しかもこんな、タイミング良く。良いというか、私にとっては最悪だけれど。
 しかも相手がソニアというのもまた運が悪かった。ソニアは私たちの状態をよく知ってくれている。だからこそ通話が長引くうちに、この家ではなかなか口にできなかった本音が声になってしまった。

 一応なんでもないふりを繕って、食事を済ませ、世間話もクリアし、今は洗い終わった食器なんかをしまっている。が、いつダンデからの追求が来るのかと怖くて仕方がない。
 本当に、どこまで聞かれていたのだろう。それを確認しないことには、下手に口を滑らせそうでたまったものではない。でも相手はダンデだ。10年無敗のチャンピオンだ、様々な勘や観察力を伊達ではない。聞きたいところだけれど、私じゃうっかり墓穴を掘りそうだ。無理だ、言い出せない……。
 どうすることもできず、私はいつも通りを演じている。うっすらとかいた汗を吸った衣服が体に絡み合って動きづらい。
 静かにイブニングティーを楽しんで居たダンデは、私がため息のような息を吐ききった瞬間に口を開いた。

「告白、するのか?」

 しゅばっ、と勢いよく振り返ってしまった。やっぱりばっちり聞かれていた。内心叫び出したいくらいだが、ここで怖気付いていてはいけない。自分を奮い立たせるためにも頷いた。

「す、する……! しますとも!」

 そう、私は告白するのだ。芽が出た時から何年も何年も育てて、もう木のように重たく根付いてしまっている気持ちを、目の前の男になんとか伝えたいと思っているのだ。なんなら今からしかけようかと唾を飲む。
 ダンデの反応が気になって、口を結んで伺った。けれど「そうか」と言われたきりだった。
 私の方はどうにかなりそうなのを、どうにか抑えている。なのにダンデは違う、全然違う。本当に私たち、同じ気持ちなのだろうか。温度差に、あの夜の日に抱いた期待ががりがりと削られ、強度を失っていく。

 ダンデの表情を見たくて、本当は何を考えているか知りたくて視線を注いでいると、「心臓を吐き出しそうな顔をしているぞ」とダンデに笑われてしまった。

「そ、そりゃあね。初めてのことだし。緊張する」
「初めての告白、か。それはすごいな。オレはその相手のこと、今だに何も知らないが」
「あは、あははは……」

 気のせいだろうか。微妙に、こっちを見るダンデの目がギラリと光ってるみたく感じるのは。同時に発言に棘も感じてくる。ソニアに一部始終聞いてもらって、棘の鋭さの具合をジャッジしてほしいくらいだけど、思い浮かべたソニアは笑いながらも「勘弁してよー!」と引いて行ってしまった。

「でも、思うんだが」
「ん?」
「告白の結果が良くなくてもハロンに帰る必要はないんじゃないか?」
「いや、それは」

 私の言葉を遮ってダンデを続ける。

「それはそれだ。気にせずここに居続ければいい。オレは平気だ」
「ありがと、ダンデ。でも、もしその人に断られて、無理だって言われちゃったら、私は帰るよ」

 帰らなきゃならない、そうに決まってる。ダンデは自分がまさか告白されると思ってないから、平気だなんて言えるだけだ。告白してきた相手とひとつ屋根の下、はさすがのダンデも気まずいはずだ。
 もし、ダメなら、今度こそ別の未来を見つけて生きていかなきゃならない。
 私は不意に思い出した。こうやって想像するだけで辛くなるから、次第に恋心をゴミ箱に入れたいなどと思うようになったことを。
 片思いは、一途な想いはやってみると全然美しくなかった。現実は単調で、地味で、ゆっくり死んでいくようでもあった。時間をかけて染み付いていった痛みは。

 でも不思議だ。ダンデは全くと言って良いほど、自分への可能性を信じていない。慢心しないのが彼の強さのひとつなのかもしれない。けれど、ダンデが私からの好意に期待もしていないことに、私は理不尽にも怒りたくなって来ていた。
 違う、こんな駆け引きみたいなことを続けたいわけじゃない。私の気持ちを伝えて、二人でハッピーエンドを迎えたいだけ。なのにどうしてこうも上手くいかないのだろう。


「わ、な、なに!?」

 後ろからダンデに抱きしめられた。驚いて、反射的に体をびくつかせた私をも柔らかくダンデは抑え込む。首筋に頬がすり寄った、その位置から囁かれる。

「オレは応援している、を」

 ダンデの表情は私からは見えない。けれどきっと優しく笑ってくれているだろう彼に、かろうじて、ありがとうを伝える。

「ソニアも言ってたもんな。自信を持つんだ。100パーセント大丈夫だ」

 やっぱりソニアとの会話、最後の方はしっかり聞いていたようだ。ダンデ本人が大丈夫だと言うなんて、思わず苦笑いしそうになった。けれどそれよりも、ダンデが続けた言葉に耳は引っ張られる。

「まあ、いずれにしろ、キミは帰ってこなくなるようだが。……それをオレは喜ぶべきなんだよな、の幸せを願うなら」
「ダンデ……」

 違うよ、ダンデ。そんなこと、望まないで欲しい。悲しくなってしまう。否定しようと口を開こうとした瞬間に、ダンデが腕に力を込める。

「うわ、く、苦しい、苦しいってば!」
「ははは」

 本当に、潰されちゃうんじゃないだろうか。この男にはそれができる。そんな気がしてやや本気で私が暴れ出すとぱっと離された。

 ちょっぴり意図的に痛めつけられた体を庇いながらダンデを振り返ると、彼はその目を細めていた。くっきりとなんでも映せそうに大きな瞳が、きゅっと引き締められて私を見据える。思わず私は体を強張らせた。バトルのフィールドで、ほんの一瞬見せる、相手の弱いところを知らしめるような一撃を放つ前のダンデを感じとってしまったから。
 だけど、何かされることはなく。ダンデは背を向けるとひらりと手を振った。

「それじゃあ、おやすみ」

 言われて時計を見ると、普段通りダンデの寝る時間だった。

「お、おやすみ……」

 言い終わる前に、もうダンデの部屋のドアはしまっていた。私の返事は間に合わずぽつんと、リビングに取り残されたのだった。






 明かりの消された部屋。はあ、とわたしは今夜何度目かのため息をついた。吐き出す息はシーツで生ぬるく暖められているが、眠気はどこにもない。
 いつもやってくる夢への誘いが、今夜は全くやってこないのだ。
 目をつぶっても、つぶっても、何か別のことを考えようとしても、浮かんでくるのはダンデのことだった。幼い頃の記憶も、それから途切れながらも繰り返した再会も別れも。それから私が花屋のあいつと別れたことを聞いたダンデが、会いにきてからのこと。

 時計を見ると、もう私は2時間以上もダンデのことで悩んでいたらしい。このままベッドにいても一向に眠れる気がしない。仕方なく、私は一度ベッドから起き出した。

 キッチンで一杯水でも飲んで落ち着くつもりだった。
 ダンデは彼の部屋で眠っていることだろう。彼は明日も仕事がある。なるべく音に気をつけ、そろそろとリビングに出て私は、ひっ、と声を上げそうになった。リビングのソファに先客の後頭部を見つけて。
 寝ていると思っていたダンデが、部屋にわずかに入り込む月光の中、座っていた。
 衣擦れの音がして、ダンデは振り返る。

「眠れないのか」
「う、うん、なんかね。……ダンデも?」
「そういう夜もある」
「あー、まあ、そうだよね」

 私は微笑みを形作って、キッチンへ行った。一瞬、彼の隣に座ろうかと思った。けれど、座ったところで、寝る前のやりとりを繰り返すだけのような気がした。甘く揶揄われて、軽く振り回されて、半分子供時代に戻る。だけど大事なところへは踏み出せない。
 実際、何度決心したところで、進めていない。ダンデが選んでいると思われる、現状維持の状況から。

 水を飲み干して、シンクの底に息を吐く。目を固く閉じても眠気はなくて、やはり瞼の裏に顔を出すのは、ダンデだ。
 シンクの淵においてあった手。そっと手を重ねられる。横を見るとソファにいたダンデは私の横にたち、私を見下ろしていた。

「ダンデ……?」

 眼差しに込められた感情も、甘いと言っていいのか、苦いと言うべきか。ダンデの眼差しと交互に見るのは彼から重ねられた手。私の手が、すっぽり納まるダンデの手。否が応でもさざ波立つ意識。だけど私はそっと、自分の手を引き抜いた。
 彼の手のひらから移ってきた体温が、私の手の甲に残っている。だけど上手く喜ぶことができない。
 やっぱり、今の混乱した私では、ダンデに向き合えない。


「……、おやすみ。ダンデも、いいところで寝てね」

 彼をキッチンに一人置いて、私は自分のベッドに逃げ込もうとした。だけどそれは許されなかった。
 寝室に入って来たダンデが、シーツを捲り上げていた私の手を再度捕まえる。

「……どうしたの?」
が、忘れられるのも待っている。だが……。こういう方法もあると思わないか」

 夜中、寝室、迫るダンデ。これって、これって、つまりそういうことだよね……!?
 ハッキリと言われなくても、瞬時に理解してしまったのは、私も恋する人間の端くれだったということだ。
 ぼん、と顔から火が出そうになる、というか心臓はほぼ飛び出している気がする。部屋が暗いおかげで私が色々と想像を巡らせて愚かしいほどうろたえているのは、ダンデにバレていないようだ。

「えっと、その、慰め的な話をしていますか……?」
「そうだぜ」
「ダンデ、待っ……ひゃっ!」

 朝は私の頬をむにっと摘んできた指が、今は耳を擦る。その大人っぽいこと。知らぬ間に大人っぽい仕草もするようになった指は、そのまま私の体をパジャマの上から確かめていく。
 ベッドに座るよう、ゆるく体重をかけられる。流されてしまいそうだ。そもそも少しだけ怖いものの、ダンデに触れられるのは嫌ではない。このまま、体から力を抜けば、抵抗をやめれば、とも考える。

 でも、このままじゃだめだ。ダンデとそういう関係になるならなおさら、私はちゃんと気持ちを伝えないといけないと思うのだ。愛し合ってできるはずのことを、誤解があるまま、続けていいわけがない。だって私は、ダンデのことが好きで、彼を大事に思っているのだから。

「お願い、待ってってば!」

 彼の手を強く押し返した。言わねば。暴れる心臓をおさえこんで、言わねばと思うのに、はくはくと口だけが開く。

「すまなかった……」
「え……?」
「頭を、冷やしてくる」

 ダンデが私に背を向ける。律儀に締められたドアの向こう、やや駆け足の足音が離れていくのが聞こえた。

「待って!」

 乱されたパジャマを直しながら追いかけ、ドアを開けると彼は上着とモンスターボールをもう手に携えて、玄関の方へ向かっていた。

「ねえ、ダンデ!」

 体格差が悔しい。彼が足を早めてしまうと、私には全く追いつけないのだ。玄関のドアから彼が出ていく音が虚しく響く。負けじとそれも開けて、私はスリッパのまま階段を駆け下りて、夜風の中へと飛び出る。だけどその夜の中、私はダンデを見つけることはできなかった。

 そしてダンデは朝になっても帰ってこなかったのだった。