※時間軸数年前で若きダンデさんが思春期気味
今年のリーグが無事に終了した。関係者だけが招かれる祝賀会。会場には「ダンデ 6年連続 防衛成功」の大きな幕がかかっている。賞賛を一通り浴び終え、ざわめきの中で、オレは胃のむかつきを覚えていた。
そもそもリーグ決勝戦の直後。体の疲れは感じていた。ポケモンたちはバトル後ということもありボールで休ませてあげられているが、オレは立場上あと数日は予定が落ち着かない。
普段は平気な顔をしていられるのに、決勝戦での最高の高揚感が薄れていくと、突き放したいような感情がじわじわとオレの足をからめとろうとする。
飲み物の入ったグラスを持っていると、いつか落とすのではないかと怖くて、テーブルに置かせてもらった。
「暗いなあ?」
「……、キバナ」
後ろから話しかけられ、ハッとした。
「気分でも悪いのか?」
「いや、体の方は大丈夫だ」
「まあ、あっちで座るか」
ちょうど空いていた、ローテーブルを囲むソファ席。まあ他の人と話しているよりは同じポケモントレーナーと話している方が気楽で、オレはキバナについていった。
「で。どうしたんだよ」
「なんでもないさ」
「オマエが少し暗い顔をするのがどんだけ珍しいか、分かってるか?」
「……笑わないか?」
「それは聞いてから、オレさまが決める」
「それもそうだな」
一瞬で反論の余地がなくなってしまった。なるべく笑わないでもらいたいが、確かにどういった感情を抱くのかは、決めるのはキバナ自身だ。
「実は、今は花を見たくなくてな」
会場に飾られた、色とりどりの花。リーグの開催を祝う花。チャンピオン防衛を祝してオレの胸に飾られた花も、不意に燃やし尽くしてしまいたい気持ちにかられる。
笑うと思ったが、キバナは間の抜けた表情をしていた。
「いや、なんでもない」
「言えよ。なぜ花が見たくない?」
きっとキバナにとってオレの悩みが予想外すぎたのだろう。好奇心ではなく、意味がわからなすぎてもう少し何か情報が欲しくて質問をぶつけてくる。そんなキバナを制したのはカブさんだった。
「やめておきなさい、キバナくん」
自分のグラスを持ったカブさんが、すっとローテーブル周りに参加してくる。
「そう無理に聞き出すものではないよ」
「ありがとうございます」
「まあキミも、年相応の男の子なんだから、あまり溜め込みすぎないようにね」
カブさんには色々とお見通しのようだ。キバナにも不快感を取り繕うことができず、心配をさせてしまった。オレはそんなわかりやすい顔をしているのだろうか。
「……誰かに話した方が、良いんでしょうか」
「ん?」
「その、カブさんがあまり溜め込みすぎないようにと、言うので」
「うん。無理に話すこともないが、あまり抑圧すべきではないとぼくは思うよ」
心当たりはある。花を見たくないという気持ちは、今日ばかりではない。あの日の光景が何年もかけてフラッシュバックして、この不快感が徐々に作り上げられていった。
普段はチャンピオン・ダンデでいられるのに、彼女にまつわる不調に飲み込まれると途端に負の感情は振り切れなくなった。そう、彼女はいつでもオレをどうしようもない渦へと連れ込む。
「欲望や欲求というものは、あまり溜め込んだり押さえつけたりを繰り返していると、歪むものだ。キミも年相応の男だから色々あるとは思うが、上手な発散方法を見つける方が健全なんじゃないかな」
「………」
「聞こうか?」
無言で頷くと、カブさんも無言でオレを待った。
目を閉じて考え出す。何から、何までを話せば良いのだろう。説明しなければならないと思うが、余計なことを話しすぎるのも避けたい。
「は、……あ」
「へー、って子?」
ローテーブル周りにはカブさんとキバナしかいなかったのに、突然女性の相槌が混ざる。今のはルリナの声だ。顔をあげるとルリナばかりではなかった、ヤローが体を縮めながら座ってこちらを見ている。
ジムリーダーはジムリーダーを呼ぶのだろうか。マクワもたっぷりの料理を取ったお皿片手に向かいに座る。いつの間にかオレの周りには若手のジムリーダーたちほぼ全員が集まっていた。
「続けてください」
「……みんなで聞くのか?」
「すごく興味あるもの」
カブさんは自分で選びなさいと言わんばかりに口を閉ざしている。オレは、自分でも判断つかずにいた。これから話すことが、他人に聞かせて大丈夫なのか、それとも避けるべき事柄なのか。
話してみなければわからない。ジムリーダーを務める彼らの人柄ならわかっている。決して悪人はいないのだから、とオレは言葉を探して語り始めた。
「……は、オレの幼馴染だ。古くからたくさんのウールーたちの世話をしている家の一人娘で、贔屓目なのは認めるが……」
迷いながらもオレは付け足す。
「すごく、可愛い」
「そりゃあ惚れてたらね」
「惚れたとはまだ言っていないだろ」
「ダンデの顔を見てればわかるわよ」
「………」
「それで?」
自分の気持ちを見透かされて、肩から力が抜ける。
「彼女はウールーだけは誰よりも扱いが上手くて、愛情もたっぷり注いでるんだが、それ以外のポケモンはからっきしで、旅には出なかった。今もずっと故郷で暮らしている。たまに帰った時は必ず会っていたんだが……、………」
「彼女に男ができたんだな」
言い淀んだ事実を、キバナが言葉にしてしまった。オレは仕方なく頷いた。祝賀会とは思えないくらい雰囲気がオレたちの周りを包む。
「あー……」
「付き合ってる相手は、隣町の花屋の息子らしい」
「それで花が嫌いになったの!?」
「しばらく見たくないだけだ」
「噂話とかじゃあないんですか? 本人の口から聞いたんですかねぇ?」
「確かに本人からの直接の報告は無いな」
「じゃ、じゃあ!」
「でも故郷に帰る度に、明らかにの家に花が増えてるんだ。鉢植えだけじゃなくて、切り花っていうのか? 花瓶にも毎年新しい種が蒔いてある」
「それは、……」
救いを見出そうとしていたヤローの顔が固まる。
話してすっきりすることを期待していたが、また嫌な光景が蘇って来ていた。
あの家で笑う彼女がまぶたの裏できらめくのだ。陽の色、光を通した彼女の髪色、室内の影の色、そして花の色。
何を話していたかは記憶が曖昧なのに、すべすべと柔らかそうな手の甲や、唇の色だとかが、やたらに思い出せる。ただその唇が語るのは、今までの彼女が知らなかった花の名前や手入れの方法だ。誰から教わったかなんて聞きたくもない。
「それが、三年前なんだ」
「!?」
「だ、大丈夫かい、ルリナくん」
「あっぶねー、オレさまもドリンク吹き出すところだった……」
「ぼくも予想できませんでしたねぇ……」
「すまない」
「いや、オマエの真剣さがよーく伝わってきたぜ……」
またオレの周りの空気がどんよりと沈み込む。興味津々で聞きに来たのは彼らだが、せっかくの開放的で楽しい気分をオレの話で吸い取ってしまって申し訳ない。
どうにかドリンクを吹き出さずに飲み下したルリナが、息を整えてから同情の視線をオレに向けてくる。
「くよくよしなくとも、もっと良い子がいるわよ。ダンデならトレーナーとしてサポートしてくれそうな人とかどう?」
「ありがとう、ルリナ。言っていることはわかるが、オレはどうしても彼女がいいみたいなんだ」
「まあ、じゃなきゃ3年も悩まないよなあ」
「3年じゃなくてもっとでしょ」
そうだ、3年は彼女が花屋の息子と円満に付き合い続けている期間。オレが彼女を好きになったのはいつからなのか、その境目をオレは知らない。
ずっと昔からだったような気もするし、離れてから知ったような気もする。
チャンピオンを続けて、ちょっとずつ、一緒に過ごした時間より別々の場所で過ごす時間の方が多くなると、オレが勝手な独りよがりの想いを募らせているようにも錯覚する。
バカみたいな苦しみを話しても、そう大きく自分の気持ちは変わらなかった。ただひとつの変化は、
「花なんて嫌いだ」
これを声を大にして言えたことくらいだろうか。
「でもそのから、花をもらったら一生大切にするんでしょう?」
ルリナの的確な指摘だった。
大切にするものは花に限らない。彼女からもらったものを大事にするし、彼女自身だって一生をかけて大事にしたい。
が手を繋ぐのはオレじゃないのが、現実だが。
いつの間にか数人が退席して隙間が目立つようになり、盛り上がりも下火になり、そのうちにローズ委員長が締めの挨拶をして祝賀会はお開きになった。
会場にはまだ数人が残っているようだが、ポケモントレーナーたちに、深夜までまでここに居座りたい者はいないようだ。オレも帰路を辿ろうと外に出ると、同じタイミングでカブさんが帰ろうとしているところだった。
「今日はありがとうございました、色々と」
「いや、ぼくは何もしていないよ」
「ずっと無言で聞いてくれていたじゃないですか。キバナたちが茶化しながら聞いてくれたのも、オレは悪い気はしませんでした」
「あれはあれで話しやすかったようで良かったよ」
夜風が、不快感を拭い去るように吹く。さっきよりもずっと、気分が冷えていく。
「どうしたんだい?」
「………」
「ぼくでよければ、続きを聞こう」
夜の中に、いつでも振り払える優しさでカブさんが立っている。他に誰もいない、遠くにポケモンの鳴き声が聞こえるのみだ。
「じゃあ、良いですか。こんな弱みは今日しか出さないので」
「ああ」
「……彼女が旅に出なかったのは、家族のためでもありました。あの頃、たとえ推薦状をもらったとしても、は家に残ったと思うんです」
「なるほど。そうだね。ぼくも一人のジムリーダーとして、家族を支えなければいけない子に推薦状を渡すかどうかは、考えてしまうかもしれない」
「彼女は高齢の祖父と母親と暮らしていて、当時は母親も何度か倒れたりして、家族の中心でした。オレを見送ってくれる時も、笑いながら”私が必要とされる場所はここだから”と言っていました」
思い返してみると、しばらくの笑顔しか見ていないことに気づく。送り出してくれた日も、不意に帰った時も、笑顔しか見せてくれていないことに。
「チャンピオンになって帰ったオレに、彼女は言ったんです」
あの時のも、明るい笑顔だった。
「故郷の心配はするな、オレの弟のことも、任せてと」
「……なるほど」
チャンピオンおめでとう、すごいよダンデ、とその場を飛び回ってオレを祝福したあと、が言ったことは、彼女なりの最大限の思いやりが込められていた。
『ホップのことは任せて。もちろん私じゃダンデの代わりにはなれないから、たまには帰ってきてあげてね』
それから屈託無く、でも安心して思いっきりバトルをしてね! と言われた。中でもオレを一番縛るのは、『私はそんなダンデが好きだよ』だ。期待するような意味はないはずなのに、胸が疼いていつまでもオレの中に残っている。
「……時間が経ってくると、その言葉を信じたオレの罪深さを知りました」
「………」
「自分のためじゃなく家族のためを考えて街に残ったに、オレはオレの弟のことまで”任せて”と言わせてしまった」
彼女のいってらっしゃいが、何度も送り出してくれた声が、いつまでも思い出せる。
「好きなひとで、大切にしたいひと、だったのに」
久しぶりに帰った故郷。変わらなかった彼女の家に花が増えていた。
が花屋の息子と付き合っていると聞いて最低としか言いようのない気分だった。けれど恋人に贈られた花に囲まれて、花の名を教えてくれる彼女が、オレには幸せに見えたのだ。
花に綻ぶ本当の笑顔を見て、オレは何も言えなくなってしまった。
彼女を、近くで支えてくれる人がいるのだ。それがオレであってほしいなんてのはワガママでしかない。
彼女が生きていかなければならない現実はハロンの街の中にあって、そこにチャンピオンという肩書きが何の役に立つだろうか。それよりも近い場所で暮らして、日々を一緒にして、彼女を支える男に、オレは勝てるものを見つけられなかった。
星空が見えると、昔はが横にいて手を握ってくれている気がした。“今だけは素敵な気持ちでいっぱいになれる”と真横で囁いた声。“でしょ?”と自分の考えを疑わずに問いかける声が蘇って、何度もオレの気持ちを現実から引き離してくれた。
大事な思い出のはずなのに、それすらも今や、自らの愚かさの象徴となった。今や星空が見えると、理由を見つける。奪ってやりたいと思う気持ちを殺さねばならない理由を。
彼女から、もらってばかりのオレ。相手は贈るもののある男なのだ。
「ダンデくんはまだ大人じゃなくて良いのに、考えが大人っぽすぎる」
眉を下げて困惑するカブさんの背でも星空が輝く。
「でも、間違ったところがありますか?」
ないね、とカブさんの同意を得て確信する。やはりオレはもう答えを得ているのだ。について苦しみ続けることは、間違っていない。
どうしようもない。間違えていないのならば、辛くともこの気持ちを手放したくないと思う。簡単にこれからも苦しみ続けようと思えるのだから、オレはやはり、どうしても彼女がいいみたいだ。
屈折した恋を捨てることを諦めた、その4年後。オレは彼女が花屋の息子と別れたことを知る。