マーコットの花の色


※第一話のダンデ視点



 幼馴染みのとの恋においてなら、オレは敗者の味を知っている。どれだけ望んでも手に入れられない。自分の持っているものでは到底届かない。努力は実らない。運に見放され、自己嫌悪で負のスパイラルに陥る。勝っているときは追い風が吹くのに、負けているときは向かい風で、逆境を跳ね返す難しさは並じゃない。
 彼女との間には自分の知らない世界ばかりが広がっていて、散々苦しめられた。だというのに、立ち尽くして去ることもできない。そんなオレの眼前に、報せは同じく幼馴染みのソニアによって落とされた。

、別れたらしいよ」
「そうなのか?」
「あのまま花屋の娘になっちゃうかもなぁと、わたしも思ったんだけどねえ。……ダンデ、やっぱり気になる?」

 歯を見せて笑うソニアの目にはいたずら心が宿っている。オレはどう振る舞うべきかわからず、曖昧に口の端を上げたり下げたりするしかなかった。

「だって今、フリーなんだよ? それって狙おうと思えば狙えるってことでしょ」
「だが」
「”だが”、じゃない! 言っておくけどね、ダンデが狙えるって話じゃなくて、他の誰でもを狙って良い状況だって話をしてるんだよ!」

 他の誰でもを狙える。ピタリと分かりやすく、動きを止めてしまった。が長く付き合っていたやつと恋人関係を解消した。それだけの事で自分の状況が好転したとは思わない。だが、悪化し兼ねない状況を放っておいて、また他の男に取られるのは我慢ならない。たやすく心情を見透かされたオレは、そのままソニアにあの手この手で背中を押され、気づけば里帰りをし、の家のドアを叩いていたのだった。

 さすがのオレでも迷わずに行ける、幼馴染の家。迷ってしまえたらどんなにいいかと思ったが、オレが長らく迷走させていた恋路とは裏腹に、すんなりたどり着いてしまった。
 最初のノックで反応がなかったので、もう一度ドアをノックする。やはり返事はなかった。この辺り一帯でも、少し古びているの家。田舎すぎて顔見知りしか来ないからとドアに鍵もかかっていない。少し開けて中を伺うが、やはり彼女も、彼女の母親も姿が見えない。

 時刻は夕暮れ時。家の中は赤く伸びた陽の色に染め上げられていた。開け放たれた窓からは冷たくなりかかる風が、草の匂いと共に吹き込んでくる。窓際を見て、オレは思わず口の端を引き締めた。

 が別れたと聞いて、オレが期待していたのは、殺風景になった彼女の家だった。オレに嫉妬やら焦燥やらを擦り込んだ花たち。オレはの破局に際して、それらが一切排除された家を望んでいたのだ。ただ別れたと聞いただけで、どのような理由で、何があってそこに至ったかなどは聞いていないが、大げんかをしたり、顔を見るのも嫌になってくれたらいいと正直思っている。それこそ花なんて見たくないとばかりにアイツのことを嫌っていてくれればいいと内心、黒い期待を煮詰めていた。だが、窓枠の中に黄色い花が活けられているのを、オレは見つけてしまった。

 別に、ここに来て大きく気分が落ち込むことはない。思い通りにならない、そしてバカな期待を繰り返している自分自身に、オレは何年もずっと落胆を繰り返しているのだ。気分は変わらず、ひたすらの低空飛行を続けるだけだ。

「ダンデ!」

 不意に後ろからの声がした。声がする方角からして、ウールーたちの小屋にいたのろう。
 ソニアに散々煽られて、ここまで来てしまった。引き寄せられるようにたどり着いたくせに、もう帰ろうかと思っていた。もしに、アイツと別れたことを悔やんでいる、どうにかして復縁する方法を探しているなどと言われてしまったら、自分でもどうなってしまうかわからない。傷つくのは誰だっていやなもので、逃げたい心境にもなっていた。なのには、オレの前に軽やかに滑り込んで、下から微笑みを見せつける。一瞬でオレにその顔を見られた嬉しさを植え付けたのだ。

「おかえりなさい。……その服、今日のキャップに合わせたの? うん、いいと思うよ」

 敵わない。言葉選びも仕草も何もかも。途方もない敗北感を覚えながら、オレは気づけば後ろ手でドアを閉めていた。



 の家はひたすらに懐かしい匂いがする。木の匂いか、ホコリの匂いか、理由は分からないのだが、ここにいると不思議とまどろんで、息が深くなっていくのだ。
 ホップのことは任せて、心配しないでと伝えて来た言葉の通り、家の中にはの家族に負けないくらい、ホップと過ごした時の写真が飾られていた。オレの写真は不思議と無いが、春も、夏も、秋も、冬も。季節のぶんだけの写真が壁に留めてあって、オレがいない間に過ぎていったハロンタウンの日々がそこに閉じ込められているような錯覚を覚えた。

「星が見たい」。その言葉だけで、が「それって私の部屋に入るってことだよね?」と返して来たことは、この上ない喜びをくれた。
 ここに帰ってくることは何度かあった。けれど二人でひとつのベッドに入って星を見ることを要求したのは初めてだった。
 旅立つ直前に大人サイズのベッドに子供同士で寝そべったことを、オレは昨日のことのように思い出せる。彼女の中でも記憶の引き出しからすぐに取り出せるものだったんだろうか、と期待がつのった。

「覚えていたか」
「それは私のセリフだよ……。本当に? 今夜?」
「そうだな。今夜がいい」
「無理。……部屋、片付けないと」
「待ってるさ」

 信じられないという顔をしながらが階段を登って行った光景は、オレを容易く浮つかせた。



 思い出は容易くは再現されなかった。まずお互いに成長したが、主にオレが大きくなってしまったせいで、あの日余裕で寝られたベッドはかなり窮屈なものになっていた。変わってしまったお互いの体格もそうだが、横に並んで空を見上げる彼女の香りも少し変わったような気がする。呼吸すればするほど混じってくる仄かな甘い香り。鼓動のリズム、体温も、近づくと分かる体格差も、ベッドの上はオレの知らないだらけだった。

 彼女とアイツがしていた恋の全容、に忘れられない好きなひとがいることも、オレはこの日、初めて知ることになる。

 彼女には好きな男がいたのだ。花屋の息子と幾年付き合い続けても、忘れられなかった男が。

「好きで、好きで、好きなんだけど……」

 が何度か繰り返した告白の言葉。好きで、と隣で言われるごとに、頭を鈍器で殴られたような心地がした。あまいみつのような言葉が耳元で繰り返されるのに、それを自分のもののように受け止めることは許されない。
 オレをすり抜けて誰か知らない男へ向けられる告白。苛立ちを胸の中に押しとどめようとしたが、「もういい」の一言が出てしまった。

「ごめん、好きの続きがなくって」

 迷い子のようなのつぶやき。の一途さが可愛らしくて、けれど憎らしくて、矛盾を起こしたオレはひとり勝手に胸を痛めていた。
 ああまた敗北感がせり上がってくる。どれだけ望んでも手に入れられない。自分の持っているものでは到底届かない。とんでもないライバルがいたものだ。

「オレには、どうしてもひとつ叶わないことがあった」
「ダンデにも叶わないことがあるんだね。無敵のチャンピオンだったのに」
「そう言われたりもしたが、完璧な男ではなかったさ。……残念か?」
「全然。そっちの方が私の知るダンデって感じがする」

 だよな、と笑って相槌を打つ。

「花屋の息子にできて、オレにできなかった理由を考えると、オレも大概臆病者だったなと思うよ」

 彼女の目の前で、オレがスーパースターだったことなんて一度もない。加えて、どうやら最初から負け戦だったらしい。そう知ると、今度はあの花屋の気持ちがどことなく理解が及んでくる。

「……とりあえず、そいつのことはオレで忘れろ」

 オレが起き上がって揺れたベッド。スプリングの揺れに驚いたのか、が目を丸くしながら言う。

「で、できないよ」
「いや、させる」

 強気なのは口だけだ。長すぎる片思いなんか今すぐ捨てて、オレを見て欲しいと心の底では願っている。けれど、真の恋敵に負ける未来も、おそらく有り得るのだろう。
 叶わない気持ちなのに捨て去れない今、ならばオレが願うのは、彼女に何か残せる男でありたいということだ。恋敵がに花のことを教えたように、がオレを離れて一人で歩き出したとしても、彼女が永久に持っていける何かを、せめて、捧げさせてほしいのだ。
 そうだ、これからシュートシティに作る新しいオレの拠点にも連れて行こう。オレとポケモンたちだけで暮らすのではなく、二人とポケモンたちで暮らそう。シュートシティに行って、彼女が何かを見つけてくれたらいい。その結果、オレの前から去って行ってもいい。そこに、きっとと過ごした日々でオレはまた歩いて行けるなどの殊勝な考えは無い。

 今夜は様々なことを知らされた。いろいろなことに気づかされた。オレがこんなに短絡的に、を独占できる理由を探していたとは思わなかった。
 本命の男のことも、忘れられなくたって、いいから。とにかくオレのそばにいて欲しい。そう思うほどの深みに自分がいることも、オレはこの夜まで解らずにいたのだ。