あの日、結局、私はホップくんに何もご馳走しなかった。キバナが乱入して来てホップくんと落ち着いて話せなかったのもあるけれど、ホップくんも次の行き先があるようだったのだ。なのでご馳走の代わりに私はお店のコーヒーチケットをプレゼントしていた。使用期限はあるけれど5枚綴りで、好きな飲み物と交換できるチケットだ。
だからお店で働いていればいつかまた、彼に会えるだろうと思っていた。
ホップくんは期待通り、数日内にまたカフェに来てくれて、私はレジカウンター越しに再会することができた。
「ホップくん! いらっしゃいませ」
「こんにちは、さん! これ、早速使いに来たんだ!」
「有効活用してくれて嬉しいな。こっちのメニューから好きなもの選んでね。あ、でもサイズアップしたら追加料金もらわなくちゃいけないから気をつけてね」
ドリンクチケットを一枚ちぎりって受け取る。トレーの上に注文されたドリンクを用意しながら、そしてホップくんをショーケースの近くに呼んだ。
「ホップくん、このケーキ、苦手な味じゃなければ食べて見て。私からのサービス」
「えっ、いいのか!?」
「うん。季節商品で人気なんだよ」
ホップくんが甘いもの苦手じゃなくてよかった。私はケーキをお皿にとってトレーに載せる。
もちろんホップくんから代金はもらわない。コーヒーチケットを使い、あとは私の支払いだ。
「あのね、ケーキの代わりって言ったらなんだけど、私からホップくんにお願いがあるんだ。改めて連絡先、というより私のフォロワーになってくれない?」
「そんなことでいいのか?」
「ホップくんくらいしかお願いできないんだよ」
確かにホップくんからしてみれば、また意味不明なお願いかもしれない。でも私にとってはひそかに切実なお願いだ。
言い出すのはかなり恥ずかしかったけれど、やっぱり全身からいい子っぽい雰囲気が溢れ出ているホップくんは「いいぜ!」と、返事をしてくれた。
「えっとじゃあ……これ」
お店のカードにアカウントIDを書いておいたものをホップくんに渡した。指先がちょっぴり震えた。
カードを渡す形にしたのは、最悪ホップくんが私のお願いを無視できるように、だ。本当に気乗りしなかったら無視してくれていいのだ。
あまり期待しないようにしつつ、仕事終わりにスマホロトムを確認すると、ホップくんは私のアカウントにフォロー申請を送ってくれた。しかもお知らせの時間を見るとカードを渡してすぐ、だ。
許可をすれば少しして、ユキハミキーホルダーの写真に新しい”いいね”がついた。
光る画面を見て、私はほっと胸をなでおろす。
ずっと1だった数字は、2に増えた。それを見ているうちにひゅるひゅると、体から妙な力みが消えて行く気がした。
キバナにしか見られないアカウントが少し苦しかったから、フォロワーを増やしたかったなんて、キバナ本人には絶対言えない。
もちろんホップくんにも言えない。ホップくんに自分の日々を見てもらいたかったわけじゃない、ただキバナ以外の誰かにフォロワーになってもらいたかった。そんな事情に巻き込んでしまった彼への罪悪感を、ケーキをサービスすることでごまかした。我ながらずるい大人だ。
キバナがフォローしている人たちは何人もいて、それこそ私は大勢の中の一人だ。だけど私のアカウントを見てる人はキバナしかいない。これじゃまるで日々のささやかな心の動きを、キバナだけに向けて発言しているのと同じみたいだ。そう思ったら、たまらなく苦しくなった。
結局私はキバナだけに向けて投稿するしアプリを立ち上げることになっていた。なのに、キバナはそうじゃない。自分が苦しんで来た今までと同じ構図。無理だと思った。
じゃあやめればいいのに。やめてしまおうか。そう思った矢先にキバナのアカウントが更新される。
数秒前に投稿されたのは、甘える仕草が可愛いフライゴンの写真だ。フライゴンを撫でるキバナの手も写り込んでいる。無邪気に瞳を潤ませるフライゴンの狙っていない可愛さに、気づけば私は、ちっぽけなハートを送っていた。