ショーケースに並べるパウンドケーキやクッキー、タルトたち。その日に売れる数だけを上手に並べられたら、というのは全ての飲食店の願いだろう。今日もこまめに、でも見た目が貧相にならないように丁寧な補充をした。けれど結局夜にはいくつか日付が変わる頃に捨てなければいけないお菓子が出てしまった。しかもいくつかの商品の賞味期限が重なってしまい、破棄になってしまうお菓子はいつもより多い。そのことを店長に報告すると、
「じゃあさん、頼むよ。今日は少し早く上がっていいから」
久しぶりのゴーサインが出たのだった。
お店から出た私はナックルシティの西へ向かう。駅とは反対側、6ばんどうろのある方向だ。夜明けにはもう商品にならないお菓子たち。その中からポケモンたちも食べれるものをいくつか入れた袋はそこそこ重い。
よく働いた体で上を見上げると星空が広がっていた。今夜は冷える分か、星がよく見える。
ポケモンセンターを越えて、城門から橋を渡ろうとした時だった。
「!」
冷たい空気を揺らす、馴染みのある声。キバナとこんな夜中に会うとは意外だった。
「どこか行くのか?」
「6ばんどうろにちょっとだけ用事があって」
「この時間にか?」
「うん。キバナこそどうして……、ああそっか」
キバナこそこんな時間に何してるのと聞こうとして、彼の後ろの宝物庫に気が付いた。きっと宝物庫の通路から私が見えて、降りて来てくれたのだろう。
ナックルジムのジムチャレンジとしても使われる宝物庫にジムリーダーの彼がいるのは、不思議なことじゃない。
こんな遅くまでいることについては、トレーニングに熱心なキバナらしい。いつものウェア姿が夜風に吹かれている。
「お疲れ様。私も退勤してきたところだよ」
「それで、こんな時間に出かけるのか?」
「期限切れになっちゃうお菓子を野生のポケモンにあげにいくの。この辺のお菓子はポケモンたちも食べれるんだ」
むしろポケモン用で人間も美味しく食べられるっていうのがこの商品の特徴だ。
「たまにやってるんだよ、捨てるのはもったいないから。店長の許可も貰ってる。今日は少し多いから6ばんどうろまで行こうと思って」
「一人で行くのか? 危ないだろ」
「ん? ちゃんとこの子を連れて来たよ?」
ちゃっかり肩に納まっているポケモンを見せた。私の後頭部で気配を殺していたポケモン・クスネは、隠れていたかったのに紹介されてしまい不機嫌そうに鳴いた。
「このクスネ、どうしたんだ? が面倒見てるのか?」
「ううん。野生の子だよ。お店の裏によく来てて、この子色々お店のものを勝手に持っていっちゃうんだ。だからこっちから先にフードあげたりして、お腹いっぱいにして商品盗む必要がないように〜ってしてるうちに懐いてくれたの。大人しくて、いい子だよ」
お店のストックから勝手に持っていかれるよりは、と時々何か食べさせてあげることにしたのが、クスネとの出会いだった。たまにヨクバリスを追い払ってくれたりもする、うちの馴染みのお客さんなのだ。
特に私にはよく懐いてくれていて、こうして肩に乗ってくれるまでになった。こんな夜は特にクスネの体温があったかくてありがたいのだけど、たっぷりの毛が生えた尻尾が私の背中をすりすりするのがくすぐったかったりする。
「一度店長が捕まえようとしたんだけど一回も捕まったことないから、特性が”にげあし”のクスネなんじゃないかなぁって。だから大丈夫だと思う、んだけど……」
にげあしの特性は、どんなポケモンからも逃げられる。小さくもこのクスネは頼りになる。だから心配はいらない、のだけど。見上げるキバナの顔には思いっきり”納得できない”と書いてある。
そういう表情を隠さないあたり、キバナがこのままはいそうですかと見送ることはないなとすぐに察してしまった。案の定キバナは澄まし顔で私の横に立った。
「危ないのはポケモンばかりじゃないだろ。オレさまがついて行ってやる」
「キバナも疲れてるのにいいの? ありがとう」
キバナという男は、実はものすごく面倒見がいいのだ。それはポケモンを見ても、ジムトレーナーたちを見てもわかる。彼らは厳しく鍛え上げられている。でも全員がキバナへの尊敬を持ったままなのは、キバナ自身の魅力もあるかもしれないけれど、やっぱり彼の優しさがちゃんと伝わってる証拠だろう。
様々なものを見捨てられない、優しい人間。だからどんなに心配いらなくても私をこのまま見送るのは、彼の性分としてできないのだろう。しかもキバナ自身が、自分のわがままだとわかっている顔をしているのだ。遠慮は野暮というもの。私も受け入れた。
6ばんどうろは特に危険な道ではない。クスネもいるし、ワイルドエリアに比べれば歩きやすい道だ。
だけどキバナがいるととても安心できた。背が高くて手足が長いからとか、トレーナーとして強いからとか、そういう理由ももちろんある。だけど、なんだろう。言葉を探さなくて良くなるのが、キバナだ。
6ばんどうろの入り口近くの草むらに行くと、ちょうどデスマスたちが興味を示してくれた。ゴミを散らかさないように気をつけながら、ポケモン用のお菓子を彼らに食べてもらった。
ポケモンたちからは距離をとって、食べる様子を見守る。通り抜けて来た夜のナックルシティも静かなものだったけれど、ここはさらに余計な音がひとつもない。風が葉を撫でる音と、ポケモンの鳴き声だけ。そしてますます星空はよく見えて、吸い込まれそうだ。
キバナにとっては暇な時間だし、スマホロトムをいじっていてもおかしくないと思ったけれど、横目で見たキバナも星空を見上げていた。
何か言うのはナンセンスな気がして、私も口を閉じて星空を見た。
気持ちのいい静寂に身を浸しながら、私は数年前のことを思い出した。ワイルドエリアで張ったテントにキバナが乱入してきた時のことだ。
彼は今熱心に育てている途中だというナックラーを連れていた。そう、フライゴンがナックラーだった時のこと。
天候の荒れやすいワイルドエリアで、その夜は珍しく晴れていた。私のいるエリアばかりでなく、他のエリアまで澄み切った星空が広がっているのは稀なことだった。
星空を見るのに言葉はいらなくて、今日みたいにお互い何も言わないで過ごした。
何も口にしなかっただけで、私はキバナがいるとドキドキする、けど同じくらい安心すると気づいたりなんか、していたけれど。
目の前の光たちはあの夜には負ける。だけど、世界に私たちしかいない気がしてくる。それはあのキャンプの夜と重なった。
「ロトム」
私は私のスマホロトムを呼ぶ。優秀なこの子は、自分の光を極限まで抑えて私の呼びかけに応えた。
「写真を、撮ってくれない?」
キバナがついて来てくれたおかげで、思いがけず、心の動く夜になった。この星空を、写真でどこまでとらえきれるかはわからない。けれど、自分の心が動いたという証明、そして今夜の記憶を手繰り寄せるための鍵が欲しくなってしまったのだ。
パシャと音が落ちる。違和感を覚えて横を見たら、ロトムの瞳とレンズがこちらを向いていた。
「ち、違うってば。私たちじゃなくて」
私の奥でキバナが微かに笑っている。耳から赤くなりながらロトムに再度お願いした。
「この星空を撮ってほしいの」
もう一度シャッター音が落ちる。
「帰るか」
「うん」
後片付けをしてから、キバナを追いかけて6ばんどうろを後にする。
心は深く落ち着いている。なのに、今夜も上手に寝られない予感ばかりがした。