出来損ない


 カフェ勉強会の初日。
 待ち合わせ場所に来たキバナは私服姿だった。腰を折り、ぐいと顔を近づけられる。

「今日のオレさまもかっこいいだろ」
「うんうん、久しぶりに見たな〜って感じ」

 彼がジムに関わってる合間に会うことが多いせいか、すっかりウェア姿がおなじみになってしまっていて、笑い混じりにそう言った。
 小物を身につけつつ、スポーティでシンプル。たった数時間のために、服装まで整えてもらって、恐縮だ。
 でもありがたくもあった。キバナは基本ウェア姿が多いけれどあれは目立ちすぎる。中継で映ったり、スタジアムに立ったりしている姿と全く一緒なのだから、気づかかれないとおかしいくらいだ。

 今日は少し落ち着いたお出かけになるかな。なったらいいなと思うのだけど、キバナを見上げて苦笑した。結局彼は背が高いし、体の線から鍛えていることもビシバシ伝わってくるし、只者じゃなさは全く隠せていない。
 なにより、一番はその顔だ。顔立ちと、あとは大人の男性にしては珍しいくらいくるくる変わる表情が隠れないから、結局キバナらしさが全開になってしまっている。
 まあほんの数時間のことだし平気かな。それともキバナのファンに気づかれて退散することもあるかもしれない。その時は落ち着いて、冷静に行動できますようにと、ちょっぴり覚悟を決めて私は歩き出したのだった。


 たわいもない話をしながら歩き出せば、近場を指定したのでお店にはすぐ着いた。やはり流行りつつあるお店のようだ。すでに数人が並んでいる。
 メニューを渡され二人で覗き込んでいるうちに、そこまで待たずに注文の順番が回って来た。
 色々と自分が惹かれるドリンクはあったけれど、勉強のためにはこのお店の定番を飲みたい。シンプルめだけどおすすめと書かれたコーヒーを頼むと、キバナが犬歯を見せて笑う。

「同じかよ。、オレさまの真似か?」
「先に頼んだのは私だってば。キバナこそ私の真似しないの」

 言い返してやり返したつもりだったけれど、キバナはいたずらっぽく笑ったままだ。こういうちょっとしたやりとりにかけても、今日のキバナはなんだか機嫌が良い。彼もこういう、いつもとは違う場所に出かけるような気分転換を求めていたのかもしれないな、なんて思った。

 ドリンクを受け取るとお店の奥まったところに用意されている、小さな席で向かい合わせに座った。
 このお店を選んだのは、我ながらナイスだったかもしれない。お店の奥は通りから中が見えずに、落ち着くスペースになっていた。それに背の高い椅子のおかげで、私は足が浮くけれど、キバナは足が楽そうだ。
 向かい合って座ると珍しく、本当に珍しく身長差が縮まった。キバナが腰を折ったりしゃがんだりしなくても目線が合うなんて。
 キバナとこうしてゆっくり話したのも久しぶりだったと気がついた。キバナがコーヒーをテイクアウトしに来るからお店でよく会っているような気がしたけれど、こういう厚意でもなければ特に会う予定もできないような間柄だったんぁとも思い出した。

「なんだそれ」
「コーヒーとお店の感想だよ」

 別のものに意識を持って行かれがちだけれど、勉強するのが本来の目的だ。
 今日は本当にいい機会に恵まれた。
 口はしを引き締め、私はノートに思いつくままを書き込む。これがどういった実りをもたらすかはわからないけれど、今現在はとりあえず楽しいので続けられる予感がした。

「キバナ、あと2時間くらいは大丈夫って言ってたよね」
「あぁ」
「どうする? 私もう一件行けるかも」

 色々考えていたら、あっという間にカップの中身が軽くなってしまった。このお店で追加注文もありかと思ったけれど、私の勉強に対するモチベーションはかなり高く、燃えている。ならば早足で向かえば、二件目の調査もできる。
 結果を求めるなら、そっちの方がいいのではないかと思い至ったのだ。でもちょっと突飛な提案な気がしていた。案の定キバナの顔が固まっている。

「あ、あのね。よく考えたら、色々なお店を勉強するのに一日一件だと、効率が悪い気がするんだよね。ドリンクだけならお腹にも入るし」
「勉、強……」

 キバナの目がじとりと私のノートとペンを見る。とりあえず思いついたこと、気がついたこと、ドリンクの感想などを汚い字で走り書きしていて恥ずかしいのでさっと閉じる。

「これはあとでちゃんとまとめるんだから! ……多分」
「………」
「も、もちろん無理にとは言わないけど、せっかくやるなら、全制覇目指そうかなぁって。いろんなお店を知って勉強するためには、それくらいの覚悟で臨むべきかと思ったの」

 口を閉じて下げた、じとりとした顔のまま、やはりキバナは固まっている。
 そこで私はようやく自分の間違えに気がついた。

「あ、私、勘違いしてたみたい。キバナってジムトレーナーさんたちもビシバシ鍛えてるみたいだから、送ってくれた店、全部行けっていう意味かと思ってたんだけ、ど……」

 暗にキバナの気持ちがわかっていないことがバレてしまった。勘違いは、ちょっぴり恥ずかしい。
 結局、キバナの男心については店長に教えてもらえたところしか分かっていなかった。こんなところで、ボロを出してしまったなぁ。
 肩を落として、「ごめん」を言おうとすると、キバナの表情が変わった。それはこちらを責める顔でも呆れる顔でもなくて、満面の、有無を言わさない笑みだった。

「……ああ! そうだ!」

 ん? 今、不自然な間があった気がする。そこを突っ込んで聞く間もなくキバナは

「週に一回くらいのペースで行かないと終わらなそうだな!」

 そう提案してきた。
 確かに。ペースを決めておいてコンスタントに行ったほうが目標達成には良いのかもしれない。
 満面の笑みでキバナがダメ押ししてくる。

「な!」
「……、うん、そうかも……?」

 そしてトントン拍子に来週に行くお店、待ち合わせ場所などが決まったのだった。





 結局あのまま会話が盛り上がって、その日のうちに二件目のカフェには行かなかった。
 私が外に少しでも気を向けるとキバナは来週で良いとしつこく言うので、ちょっとすれば私も流されて、同じお店で追加注文して楽しんでしまった。

 張り切って出かけて、一件知っただけというのは、勉強の側面でいうと物足りない気がする。でも結果的にはよかったのかもしれない。いつもと違う休みの日を過ごせて、帰って来た私の胸には確かな充実感が広がっていた。端的に言えば、楽しかったのだ。キバナの数時間をもらった、贅沢な時間だった。

 家に帰っても気持ちがふわふわしている。私はやっぱり人よりカフェという場が好きなのかもしれない。
 浮ついた気持ちで家事をする気になれなくて、着替えるのも後回しにしてベッドにダイブした。そのままスマホで今日の写真を見返したり、私はキバナのアカウントを見たりした。

 キバナのアカウントを見るのはいつものルーティーンだった。
 ぼうっとした頭で、何も考えていなかったから、私はいつもよりダメージを受けてしまったのだろう。
 キバナがSNSにあげた最新の写真は、私と行ったお店での自撮り写真だった。

「……、……」
 
 写真にはすでにたくさんの反応が寄せられている。いつもはあまり見ないようにしているのに、寄せられているコメントに目が行ってしまう。
 写真の下にずらずらとぶら下がっているのは、キバナのかっこよさを褒め称えるコメント、キバナの私服姿を喜ぶコメント。そして私たちが行ったのはやっぱり最近流行りだした話題を先取りするようなお店だったらしく、お店に興味を示すコメントもたくさん寄せられている。

 落ち着いた空間でリラックスした表情のキバナは、画面の中からも強い存在感を放っている。素晴らしいファンサービスだ。

 なるほど。なるほどね。わかりました。キバナは被写体を求めていたってこと。

「なるほどなぁ……」

 キバナが私を応援して、たくさんお店教えてくれたことが嬉しかった。私を応援してくれているのは嘘じゃないだろう。でも応援100パーセントでもなかったようだ。
 キバナにとってもメリットがあった。だからたくさんのアドレスを送ってくれたし、実際に行くのにも付き合ってくれた。そこで撮った写真でたくさんのフォロワーを喜ばせることができて、キバナも嬉しいことだろう。

 当たり前のことだ、何もかも。メリットがなければ多忙のキバナが私とそんなわざわざ時間をとる理由がないじゃないか。
 それは悪いことじゃない。キバナに無償で自分に付き合ってほしかっただなんて思っていない。
 だけど、どうしようもなく心が冷めてしまう。

 私は深呼吸を繰り返した。悲観しすぎないように。傷つきすぎないように。そうじゃないとまともじゃいられない気がした。明日も、来週も、私でいたいから。独りの部屋で目を閉じて、私はじっと息を潜めた。





(付き合ってもないのに週1デートが決まりました〜〜〜!
補足としてキバナさんはにおわせとかじゃなくて単に自撮りの自分がかっこよかったから載せただけだと思われます……)