『あんたは寄せるんだねぇ』。そう言ってあのひとは私にジムチャレンジの推薦状を書いて渡した。寄せる、と言われて横を見ると、私の周りには懐いて近づいてきた野生のポケモンがいたので、つまり”ポケモンを寄せるから”という意味で言われたことだった。
たしかに、野生のポケモンたちを集めて遊ぶのが好きな子供ではあった。なんとなく落ち着く雰囲気があるからかもねと、母に褒められたこともあった。
よくもわからず推薦状を受け取って、少しだけ、自分にもトレーナーの才能があるのかもと勘違いした瞬間だった。
どうしてそんな昔のことを思い出したかと言うと。案外人間とポケモンの中間なのかもと私が常々思っていた男が、たまに懐いて来るポケモンのように、私の目の前に立っていたからだ。
「もしかして、ダンデ……?」
仕事を終える間際に、お店の前を少しほうきで掃いておこうかと外にでて、見かけた姿に驚いてしまった。
輝かしい白のバトルウェア。赤い重厚なマントにはたくさんのスポンサーロゴが入っている。そんな服装の中では少し浮いている、彼のこだわりのキャップ。中継映像で見たその人が、私の前に立っていた。
私も相当驚いていたけれど、彼もかなり驚いた様子だった。固まりながらお互いを指差し確認する。
「か?」
「あ、覚えてた……」
彼もまたジムチャレンジャー時代が重なる昔馴染みだ。有名人すぎてもう、勝手に昔馴染みを名乗ると迷惑をかけてしまうかなと迷ってしまうが、ダンデが私を認識してくれていて救われた。
「ああ、この店だったのか」
ダンデはひとしきり頷きながら私と私の周辺を見ている。
「キバナが言っていたぞ。はどこかで元気に働いてるってな」
「そ、そうなの?」
「カフェの仕事はキミに合っていて、毎日楽しそうにしているらしいな」
キバナがダンデに私の話をしているとは。もちろん私とキバナの関係は友人だ。けれどキバナには気を許している自覚があり、キバナにしか見せていない私の一面もある、と思うのだ。それを彼の口からダンデにいろいろ言われているのなら、正直恥ずかしい。
なんとも言えない気持ちがなって急に顔が熱くなってくる。
「店などについては、あいつは詳しいことは教えてくれなかったが……。まあ教えてもらっても辿り着けないが!」
「ほんと、その通りだね」
キバナのささやかな腹いせの方法には笑ってしまった。しかも腹いせに私なんかも使われているとは。キバナのライバル意識はさすがに強い。
でも確かに場所や店名を教えたところでダンデには辿り着けないだろう。彼の方向音痴は相当なものだ。
昔もそうだった。活躍の噂だけは届くものの所在知れずのホープトレーナー・ダンデと待ち合わせをするこは至難の業だ。けれどふらふらと私の前にたどり着くときがたまにあった。それが私に近づいてくる野生のポケモンたちとどこか雰囲気が似通っていて、天下の無敵のチャンピオンに抱くものではないのかもしれないけれど、私は彼を野生のポケモンに近い存在に感じている。
「今日もまた迷ってるの? 目的地は?」
「ナックルスタジアムなんだが」
「あー……」
ナックルスタジアムはすぐ横の道をまっすぐ進めば辿り着ける。あれだけ目立つ施設だし、本来なら迷うことはないはずだ。けれどダンデは規格外れの方向音痴。ここで「この道をまっすぐだよ」と教えても、たどり着かないことは経験で知っている。
「あと5分で仕事終わるから、道案内するよ。店内で待ってる?」
「いやここで待っている。助かるぜ」
ダンデにそう言うと、彼は空いているテラス席に腰掛けた。
「道案内は任せて。でもそこから絶対勝手に動いたらだめだよ」
まるで無邪気なワンパチに言いつけるようだ。本当は無敵のリザードンなのに。
多分ガラル地方の人のほとんどが知らないダンデの姿に私はくすぐったさをこらえつつ、時間ぴったりに仕事を終えられるよう手を早めた。
ダンデという超がつくほどの有名人を店先に放置してしまった。急がないと騒ぎになるかもと心配したけれど、日が暮れていたおかげもあり、どうにか人が集まり始める前に私もお店を出ることができた。
ナックルスタジアムまで歩いても10分だ。でもダンデの方向音痴が身に染みている私は、短い道を一緒に歩き出す。
「いいのかなぁ、こんな一般人が道案内して」
「一般人ってなんだ。は俺の友人だぞ」
「ありがとう、すごく嬉しいよ」
「勝手に距離をつくるな」
「ごめん、久しぶりだと距離感がわからなくなっちゃって。中継、よく見てるよ。人気もすごいから仕事も本当に多そうだよね。試合もあってPRもあってその他の活動もあって……」
「よく見てるな!」
「見てるよ!」
実を言うとこの前開会式にも行かせてもらって、そこでもダンデのことは見かけている。けれど、あの日の試合は思いっきりキバナを応援してしまったので黙っておいた。
しかも次の日、リザードンを試合開始後、すぐにキョダイマックスさせたことを散々非難してしまったし。風邪をひいていたとはいえ、子供っぽく地団駄を踏んだことも我ながら恥ずかしい。うん、言わないでおこう。
「な、なに?」
キバナには負けるもののすっかり成人男性の背丈になったダンデに、じっと見下ろされる。金色の瞳に、キバナの瞳とは別の威圧感があった。
ダンデには言えない、やましいことを考えていたので思わず身構えると、ふと違和感を覚える。あれ、この感じ、何かを思い出す。なんだろう、ダンデに会うのは久しぶりのはずなのに既視感を覚えるのだ。
ダンデの顔に、別の自分の記憶が重なろうとする。けれど探りきる前に、ダンデが口を開く。
「オマエが興味と無関心、脈ありと脈なしを交互に見せてくる」
「へ……?」
「そういう話だった」
「なんのこと……?」
「オレの知り合いが言ってたぞ」
興味と無関心? というか、脈ありと脈なし? ダンデの口ぶりだと、私がそれを誰かにそれを交互に見せている?
すぐには飲み込めないけれど、ダンデはそう言った。脈という言葉遣いからするに、まるで誰かの恋について語ったように思える。
「つまりそれって、そういうこと……?」
念のために聞くと、ダンデは無言で頷いた。
「だ、誰が言ってたの?」
「そこまでは言えない。本当は告げ口する趣味もないんだが」
「じゃあなんで言ったの!」
「少し本人に自覚させてもいいと思ったんだ」
「本当に私の話? 別の人じゃなくて……?」
「ああ」
どこの誰かは知らない。けれど、ダンデの知る人に、私は変な期待を持たせているらしい。しかもその人物には私が”脈ありと脈なしを交互に見せてくる”ように見えるらしい。首に嫌な汗が流れる。それってかなり嫌な女じゃないか……?
「えええ、ちょっと待って! 信じられない……! 私、その人に思わせぶりな態度をとってるってこと?」
「ソイツはが無自覚なこともわかっているよ」
「そっか……。うーん、接客態度とかは普通にしているつもりだし……変なことを言った覚えはないけど……。何かサービス過剰だったのかな、ううう……」
私が最近やりとりした人間で思い浮かぶのはやっぱりカフェで接客したお客様たちだ。もちろん常連さんたちとは顔なじみだけれど、プライベートな付き合いなんてないし、世間話をするとしても私も店員として節度を持って話しているつもりだ。やっぱり心当たりが見つからない。
「分からないのか? 思い当たることは?」
「ないから困ってる……」
ダンデの言う通りなのだとしたら、私に直さないといけない部分がある。でも私のどこが思わせぶりだったかもわからないので、何がいけなかったかもわからない。正直困り果ててしまう。
「オマエ……、本当のホンモノなんだな……」
「はい?」
「いや、なんでもない」
すぐ迷子になるダンデの道案内をしているのに。私の頭の方がぐるぐると回って迷い始めていた。
夜道に、熱のこもったため息を吐き出す。このガラルに誰か、私を好きになってくれた人がいるらしい。
私自身は恋愛とは遠いところにいて、見向きもできずに毎日を生きている。ダンデに打ち明けるほど悩んでいるであろうその人の存在も、どれだけ記憶を掘り返しても心当たりがない。
私に恋をしてくれている人が誰かはあまり気にならない。けど、なんの意識もないのに苦しめていることについては、多少の罪悪感を覚えた。
「その人に、謝れるなら謝りたいなぁ……」
「絶対に謝るな。全身全霊で受けて立ってやれ」
「ダンデらしいね、その考え方」
そういえばダンデってこういう人間だったなぁと思い出す。自分のナンバーに”1”を選べるくらい、まっすぐな人。白いチャレンジャー用のウェアを着ていたダンデを思い出して、付随して、他にもいろいろ思い出してきた。
どうしてこんなにダンデについて記憶が薄れていたのだろうと考えて、すぐにあの男の顔が出てきた。キバナだ。
キバナがダンデのことを口にすると途端に糸切り歯を見せて「ダンデのことは話すな」と言うから。それこそ嵐のようなライバル心に巻き込んでくるキバナに合わせて、私はダンデのことをあまり考えないようになっていったのだ。
彼がチャンピオンになり多忙になり、直接関わることは本当に少なくなった。ダンデについてのあれこれを、私は忘れかけていた。でも久しぶりに遭遇して、ナックルジムまでの短い道のりであっという間に当時の距離感を思い出すことができた。
蓋をしていた記憶が溢れかえる。そうだよ、ダンデは私の友達だった。ダンデは私を友達にしてくれていた。空白の時間かとけてなくなっていく。
あたたかなものを感じながら歩けば、すぐに何事もなくナックルジムのエントランスにつくことができた。一応の役目を終えて、私はダンデに向き直る。
「どうする? 私が入って良い場所なら、まだ付き合うけど」
「いや、ここまで来られたら大丈夫だ。ありがとう、」
「どういたしまして。久しぶりに話せて楽しかったし、私こそありがとう」
誰かは知らないけれどダンデに弱音を打ち明けた人、私が勘違いさせてしまっている事については、あまり聞きたくはなかったけれど。でも中継映像の中で戦う彼ではなく、私の友達のダンデを再確認できたことは私に暖かな元気をくれた。
「……あ。ダンデ、ひとつお願いがあるんだけど、一緒に写真撮ってくれない?」
「もちろんいいぞ」
「ありがとう!」
ロトム、と呼ぶと私のポケットで寝ていたスマホロトムが飛び出してくる。久しぶりの出番を感じ取ってか、とても嬉しそうに見える。
「機械音痴のが珍しいな」
「プレゼントしてもらったんだよ」
「キバナか?」
「なんでわかったの? 私は苦手意識あるからずっと避けてたんだけど、誕生日にプレゼントしてもらったの。ロトムがすごくいい子だからギリギリどうにかなってるって感じかな」
おそらくキバナもその辺を見越して、私にスマホロトムをプレゼントしてくれたのだろう。ただの機械は扱えなくても、ロトムというポケモンも込みなら、どうにかできるはず、と。
キバナの見込みは当たっていた。ただの機械なら爆発させてしまう前にと早々にしまい込んでいたかもしれないけれど、機械ではなくポケモンと思うことで私はこの最新の機器にも向き合えていた。
「でね、SNSをやってみてるんだけど、何も載せるような写真がなくて……。でも何か見せろって何度も言われるんだよね」
「それもキバナか?」
「何も言えなくなるからそこは突っ込まないで」
「答えたようなものだな」
そう、それもキバナだ。たまにはなんでもいいからアップしろと言ってくるけれど、私にはアップする写真がないのだ。
保存してある写真を見返しても、キバナに押し付けて飲ませた練習用ラテアートとか、お店にいるマホミルの様子とか、キバナと行った先のお店の資料だとか。見せろ見せろと言われてもそんなキバナが既に知っているようなシーンばっかりで、わざわざ載せるには事足りない。
私の日常は本当に狭い狭い世間でできていて、ため息が出てしまう。
「リザードンポーズでもするか?」
「普通に撮ろうよ、普通に。チャンピオンとの写真が欲しいんじゃなくて、これは久しぶりに迷子のダンデを助けた記念なんだから」
そう茶化して彼と並んで立つ。ロトムがくるりと浮遊して、やがてシャッター音が降りた。
ダンデに別れを告げて、私は浮かれた足取りで家へと向かう。旧友との会話が楽しかったのもあるけれど、同じくらい大きな感動がもうひとつあった。
キバナと関係なく、いつもとは違う風景の写真がやっと手に入ったのだ。
キバナのアカウントを見ていると、毎日のように会って同じ街で暮らしているのに、どうしてこうも日々の輝きが違うのかと思うことばかりだ。
だけどようやく私にも、日常とは違う出来事が起きてくれた……! 家に着くまで我慢ができずに、道の途中で喜び勇んで写真を載せた。
一番に届いた反応はキバナ、ではなかった。キバナはそこそこの頻度でスマホを触ってるらしくいつも反応が早いのだけど、今回は意外な事にホップくんからのコメントが届いた。
“さん、オレのアニキに会ったのか?”
アニキ? オレのアニキ……?
「ああっ!」
言われて、ようやく重なる。見下ろしてくるダンデに何かを思い出すと思っていたら、瞳の色も髪の癖も、ホップくんとまるきり同じじゃないか。そういえば弟がいること、昔ダンデから聞いていた。今日まで全く気づかなかった事実に、夜道で変な声を出してしまった。
次にダンデがいつ迷い込んでくるかはわからない。約束なんてしていないし、予想がつくような人でもない。
あなたの弟と実は知り合いになった、なんて、彼にどう説明しよう。ダンデ、驚くかな。でも知り合った経緯を思い出すと伝えるのが怖いような気もする。
次に会うのが楽しみなような不思議な気分を噛み締めて、そして誰かが私を好きでいるというダンデの言葉に心を彷徨わせながら、私は帰り道を辿ったのだった。