簡単に許されたくない


 いつもと違うカウンター内。店長も違うひと。商品は同じでもカップひとつとるのに手間取ってしまう。だけどそんな私でもいた方がいいくらいには、店内は大混雑していた。
 エンジンシティのスタジアムで行われた試合帰りの人たちですでに店内は満席状態。それでも出来立てのドリンクを求めて、レジに列ができている。次から次へとくるお客様のほとんどは、赤いものを身につけていて、お客様の興奮した様子からエンジンジムのカブさんが今回も勝ったことが分かってしまった。

「やっぱりあのマルヤクデのキョダイマックスパワーはすごかったなぁ、圧倒されちゃったよ」
「うん! あのチャレンジャーも対策してたけど、カブさんの方が断然強かった〜!」

 商品を受け渡しているとそんな会話が聞こえてきた。忙しいのと慣れない環境で、余裕はほぼない。けれど、活気ある店内で働くのは楽しいものだった。試合終了後から数時間続くラッシュを乗り切ってやると意気込んで、次のお客様をレジ前まで招く。
 進み出てきたのは男性だった。私より少し年代が上のお客様だ。

「お待たせいたしました」
「……、……」

 私は注文を伺おうとしたのに、そのお客様は注文を口にしない。そわそわと落ち着かない様子だ。私は多少違和感を覚えながらも、注文が答えやすいよう言葉と笑顔で促した。

「ご注文は何にされますか?」
「あの……」

 そのお客様は、やはり注文は言わず私に向かってカードを差し出した。サイズからして一瞬リーグカードかとも思ったけれど、写真はついていない、紙のカードだった。

「年甲斐もなくて恥ずかしいんですが、貴女に一目惚れをしました」
「え……?」

 当たり前だけど、初対面のお客様だった。ここはヘルプで来たエンジンシティの店舗だ。
 たった今存在を知ったひとに、一目惚れをしたと言われる。その衝撃で、私は指先まで固まってしまっていた。

「もし今恋人などがいないのであれば、連絡先を受け取ってください」

 私に恋人はいない。嘘をつく余裕もなく、正直に受け取ってしまった。カードを見ると確かに、名前や電話番号などが書いてある。

「連絡、いつまでも、待ってます」

 その人は私の返事は求めなかった。ただお店への迷惑を考えたのか、カウンター横に置いてあった焼き菓子を手に取ると、ちょうどの代金を置いて、すぐさま立ち去って行ってしまったのだった。
 カードを持ったまま、私はしばらく動けなかった。
 今日見た試合でざわめく店内。だけど全ての音が遠くなる。

 錯覚した静寂の中で、さあっ、と自分の、血の気が引く音が聞こえた。





 今日という日にキバナが迎えにくるのは、なんとタイミングの悪いことだろう。いつもヘルプならこのままひとりアーマーガアタクシーに乗って、領収書を切ってもらって、元気があれば自分へのご褒美を買い、なければ自宅に直行してベッドにダイブしていた。
 自分を戸惑わせる出来事が起こった今日みたいな日は一人で気持ちをしまいこんだまま、とにかく寝て、忘れてしまうのが私のやり方だった。だというのに、今日はキバナがわざわざ迎えにくるという。

 正直キバナに一報入れて、このままひとりで帰ってしまいたい気持ちも強い。胸のうちに抱えたもやもやを隠したまま、キバナと一緒に帰る自信が私には全くない。
 だけどキバナはもうエンジンシティに向かっているらしい。もうすぐつくと数分前にメッセージが届いている。
 私が約束を忘れていたことが元だし、これをすっぽかすのは流石に良心が咎めるし、それはそれで後がめんどくさくなるに違いない。退路はなかった。

 お店のウィンドウに映った自分はやっぱり青白く沈んだ顔をしていて、朝とは様子が違うのが彼には一目で分かってしまうだろう。仕方がない。これは諦めて、キバナに根掘り葉掘り聞かれる覚悟を決めた方がいいだろう。

 そしてキバナは、フライゴンの上から私の顔を見るなるズバリ、

「顔色悪いな」

 と、速攻何かあったことを見抜かれてしまった。

 大丈夫。なんでもない。帰ろう。キバナも疲れてるでしょ。
 それを散々繰り返したのに、キバナには「大丈夫かどうかはオレさまが決める」「なんでもない顔じゃないな」「このまま帰せるか」「オレさまの心配をしてる場合か」と全てを封殺されてしまった。

 私を落ち着かせるためか、キバナはあたたかい紅茶を二つ買ってきて渡してくれた。体は疲れ、思いつめた私には、紅茶の湯気があたたかく、思わず涙腺が緩む。お互いにそれで手を温めながら、空いているベンチに腰掛けた。

「で、何があったんだ?」
「……正直、とても話しにくい」
「おう」
「何から話したらいいのかも、わからないんだけど……」
「じゃあまず、今日何があったかから話してみろよ」
「今日、今日は……」

 今日あった出来事なら単純だ。私はぽつぽつと事実を並べて喋った。

「お客様のひとりに、連絡先を書いたカードを渡されたの。初対面で、一目惚れだって」
「……それ、まだ持ってるのか?」
「うん、まあ」

 キバナの顔に"見たい"と思いっきり書いてあるので、私はカバンの中からカードを取り出した。たった一枚の紙製のカードだ。
 10歳は年上の人だっただろうか。流石に衝撃が強かったので、彼の容貌は頭の中に残っている。

 一瞬の出来事だった。私は大した返事もできなかった。だけどショックが色濃く私の中に残っている。
 私が抱いたのは大きな戸惑い、そして後悔だ。

「私ね、年上の人からああいう気持ちをストレートに向けられたのって多分初めてだった。それで今も驚いてるんだと思う」
「………」
「ほんと、どうしよう……」
「迷うことが何かあるのか?」
「キバナ……。あの、がっかりさせちゃうかもしれないけど……」

 前置きをしても、自分の残念さは変わらない。キバナから逃げられなかった時点で、全部話さなければいけないことは覚悟していた。でも思わず私は手で顔を隠しながら、自分の罪を告白した。

「私、同じようなことを最近、やらかしているの」
「……、は?」
「ホップくんって知ってる? 私のアカウントの、二人目のフォロワーなんだけど」

 アカウント上でたまにコメントのやりとりもしているから、知っているかもしれないと思って見上げると、キバナはぽかんと、笑い損ねたような顔をしながら、かろうじて頷いた。

「ホップくん、おそらく未成年なのに、私からカード渡してフォロワーになってくれないかな? とか、言っちゃって、それで繋がったの」
「………」
「今日、自分がされる側になって、年上から一方的に連絡先を渡されるのってこんな感覚なんだって驚いちゃって。正直、すごく困った。私はね」

 一瞬、自分でもこれはよくないことなのでは? と疑問は抱いた。
 でも私はアカウントを書いた紙を渡しただけで、選択肢はホップくんにあるし、嫌なら拒否すべきだし。そんな言い訳をして、とにかくキバナしかフォロワーのいない状態を抜け出したくて、私はホップくんを巻き込んだのだ。

「ホップくんには甘い考えで結構悪いことしちゃったなって、大反省」
「そ、そうか……」
「私いま、本当に消えたくなってるから」

 情けないし、恥ずかしいし、自分が許せないしで、キバナと並んで座っていなかったら、夜道でひとり叫び出していたかもしれない。キバナがいるから私は唇を噛んで、自分で自分をなじるくらいで済んでいる。

「オマエが気持ち悪かったらフォローしないし、コメントもしないだろ。ホップに会って直接聞くか?」
「ううん、それよりダンデに会いたい」
「………」
「弟さんに申し訳ないことをしました、申し訳ありませんでしたって謝りたい……。あああでもダンデに顔向けできない……!」

 ホップくんはいい子だからそんなことないぜって言ってくれるかもしれない。写真へのコメントをポジティブで、素人の写真なのにいいところを上手に探して褒めてくれるから、嫌われていないことは伝わってきている。けど、大人としてやっぱり間違えてしまったという感覚が強い。

「ダンデと会う予定、あるのか」
「いやそれはないけど……。あ、キバナはダンデの連絡先知ってる?」
「知ってても教えない」

 ならダンデに次会えるのは運任せになる。
 ダンデは予定通りに会うのが難しいタイプだ。この前会えたのも奇跡みたいなもの。けれど本当に次会えたなら、ちゃんとホップくんとやりとりしていることを報告しないとならない。
 いつ会えるかは全くわからないけれど、またいつかは会えるだろう。私とダンデはそういう、会っても会えなくてもどちらでも良い、という不思議な友人関係だ。

 そういえば、その奇跡的に遭遇したダンデが言っていた。私が知らぬ間に気を持たせている人がいるらしい。しかも無自覚に。信じがたい言葉だったので、数日経ってますますお世辞のように思えていた。けれど、今日の出来事があって冗談だと思っていたことが現実味を帯びてきた。

「まさか返事をするんじゃないんだろうな」
「返事はしようかな。一回だけね。はっきり断らないといけないかなと、思ってるから」

 このカードを渡してきた人にも、誰か知らないその人にも、伝えないと。私は当分、恋はできない人間だ。期待されても全てを裏切ってしまうだろう。
 だけどちょっぴり思ってしまう。好きと言ってくれたひとを、そのまま好きになれたなら、良かった。私にそれさえできれば、二人の人間が一気に幸せになれたのに。でもできずにさまよっているのが、私という人間でもあった。

「それ、見せてみろよ」
「うん?」

 私と手の中のカード、その間にずい、とキバナの頭が入ってくる。キバナの後頭部。普段はあまり見ることのない部分で視界がいっぱいになった、と思ったら、手の中がするりと滑る。
 すぐさまキバナの指先を目で追うと、やっぱり私がもらったカードが取られている。しかもそれは、抗議の声をあげる前に破かれてしまった。

「ああっ!」

 半分なんてものじゃない。半分を半分にして、その半分の、半分だ。書かれた文字はバラバラに引き裂かれてしまった。そのままキバナが立ち上がって、しかも腕をあげて高い位置で手をひらけば、カードだったものは紙吹雪となって飛んで行く。いくつかはそのまま用水路に落ちてしまい、回収は不可能だ。

「そいつの名前、まだ頭に残ってるか?」
「は?」

 確かにカードは何度も見返した。けれど私の頭の中はホップくんにしてしまったことへの罪悪感でいっぱいで、文字を文字として見ていなかったところがある。思い出そうと思えば思い出せるかも? と頭の中を探ろうとしたけれど、それは聞いてきた本人によって妨害された。

「忘れろ!」

 その声と共に彼の手が私の頭を襲って、髪の毛をぐしゃぐしゃにされる。しかもそのまま頭皮をキバナの指先にぐりぐり刺激されて、本能的に変な悲鳴が出てしまった。

「そんな顔をするくらいならやめちまえ!」

 地味に痛気持ちいい、頭への刺激から私が立ち直るなりキバナはそう言った。目を釣り上げ迫られると、なかなかの迫力があって私は気圧されてしまった。

「……って、言うつもりだった。言い寄られてそんな青い顔して悩むくらいならな」

 私が怖さを抱く寸前で、キバナはすっと目を閉じる。蒼い瞳がなりを潜めると、私も息を吐くことができた。

「けど、普段はアホみたいにニコニコしやがるからオレさまもそこまでは言えないんだよなあ」
「えっと、悩んでることにお店は関係ないんだけど……」
「わかってる」
「あと、お店やめたら居場所なくなっちゃうから。やめられない、多分」
「………」
「……ん?」

 じっと見下ろされる。私はベンチに座ったままで、キバナは立っている。いつも以上の身長差のせいか、視線が刺さるように感じた。

「そんなこと、ないだろ」

 神妙な響きだった。無責任なフォローには聞こえなかった。私がどこでどう生きるかについて、キバナが何を保証してくれる訳でもない。なのに彼の放った否定の言葉は、軽くない響きをしていて、妙に私をどきどきさせて困らせられた。

「帰るか」
「はい、お願いします……」
「珍しく素直だな」
「今日はもう、色々ありすぎて疲れた……」

 大人しくキバナのフライゴンにまたがったことをキバナに笑われたけれど、それに反応する気力もない。

 夜空を飛行中、背中でふと聞こえたのはキバナの鼻歌だった。
「機嫌いいね」と言ったら「そうでもないぜ」と返ってきて、少ししてから「半分くらいな」と付け足された。
 やっぱり半分は機嫌いいんじゃないか。でも、あと半分は不機嫌らしい。
 そもそもなんでキバナはわざわざ迎えにきているのかとかも、私は本当は納得いっていない。キバナに無駄な苦労をさせた気がしてならないのだけど、でも今日はもう追求する余力は残っていなかった。

 慣れない場所で慣れないことをして、慣れない出来事に遭遇した。今日という日は濃すぎた。もうなんでもいいから、家で寝たい気持ちでいっぱいだ。
 飛行中に意識を手放してはならないとわかっているのだけど、キバナの半分不機嫌な鼻歌は不思議と私の力みを奪う。心地よくて、うつらうつらと首を揺らす様子をまた笑われて、一部始終を動画を撮られていたことを知るのはまた翌日だった。