リビングに戻るとみんながフォークを構えて私を待っていてくれた。もう先に食べ始めていると思ったのに。みんなが私を待っているだなんて一切思っていなかった。頭がフリーズして動けないでいると、キバナの横へと引っ張られる。
「オマエも今日は店員じゃないだろうが」
「う、うん」
うろたえつつも座った途端に、目が輝いたユウリちゃんとホップくんに迫られる。
「もう食べていいですか?」
「いいよな!?」
「ど、どうぞ。お待たせしました。お店のレシピを真似て作ってるから、美味しいと思うよ」
私は立っていて、お客さまは座っている。私は洗い立てのカップを並べていて、お客さまはそれぞれの表情でドリンクや食事に口をつける。それが日常で、いつもの光景だった。なのに今、私は座りながら自分のあたたかなカップを手で包んでいる。そしてケーキを食べるみんなの顔を、同じ目線の高さでどきどきしながら見守っている。
美味しいと言われる前に、特に女の子たちの目が輝き出した。言葉以上の評価をもらったようなものだ。耳元でキバナから「良かったな」と言ってもらえて無言で何度も何度も頷いてしまった。
安心して、私もケーキを一口。うん、お店よりも優しい味になっている。私好みだ。
キバナはぼーっとカップの上を眺めている。
「いつもの、やらないのか?」
「ああ、ラテアート? あれはお店のコーヒーマシンで作る、ふわふわのミルクがないと。でもマシンがあっても、電気すごく使うからポケモンに手伝ってもらわないとブレーカー落ちちゃうかな?」
「ラテアート、ですか?」
「ユウリちゃん、興味ある? 画像はキバナが持ってるよ」
私もスマホロトムと一緒に暮らすようになってから時々撮って記録いる。けれど、キバナの方がはるかにおしゃれで、でもカップの上が引き立つように上手に撮ってくれるのだ。
話題をキバナに強制バトンタッチして、私は自分のカップを抱え込む。
「すごい」
「これ全部さんがやってるんですか?」
「………」
私が終始無言なのは、めちゃくちゃ照れているからである。
「ありがとう。お店来てくれたらサービスするね」
「これ、無料なんですか?」
「今のところ私が余裕ある時に、常連さん相手に出させてもらってるかな。忙しい時にはできないけど。あと……、期待は禁物でお願いね」
「十分すごいですよ」
嬉しいけれど、もう別の話題をして欲しい。それくらい限界に近いレベルで顔が熱くなっている。
滅多にないことだ。もちろんこんな風に誉め殺しにされることもなんて、普段ないことだ。だけど家にこんなにたくさんの人がいて、愉快な会話が途切れなくて、顔が疲れるくらいに笑っている。私がこんなに楽しんでもいいのだろうか、今日はキバナのためにと色々考えたのではなかったか?
予想外の事態に戸惑いながらキバナを横目に伺う。と、彼と意外なことに目が合う。そしてまたも意外なことに、私へ意図的な笑顔を返すと、皆の方を向いてしまった。
一応、楽しんでくれているらしい。それが分かるとすとん、と胸が落ち着くのを感じた。
17時を過ぎる前に私たちはホップくんたちを送り出した。
今は細かな家の後片付けをしている。スポンジでこすったお皿を横に渡せば、大きな手のひらが受け取って、泡を洗い流してくれる。
「キバナも、一緒に帰ってよかったのに」
キバナこそ、今日の隠れた主賓であった。だというのにキバナは、ホップくんたちの笑顔を見送るとひらりと私の家へ舞い戻って、こうして私の横で洗い物をしてくれている。
「言っただろ。オレさまはやりたいようにやってる、って」
そっか。こういうのも、キバナにとって非日常か。またもキバナの笑っている横顔に落ち着きを与えられる。
「なんか私たち、大人になったんだなぁって感じがしたね」
「今更だな」
「うん」
みんながいる間も、私とキバナは一歩引いてまったりと楽しむ彼らを見守っていた。そうしなくちゃいけないと思っていたわけじゃない。子供たちを優先させたいと思っていたわけではない。だけど、気づけば私たちは自然と少し後ろの場から、彼らへ柔らかな視線を送っていた。
日が暮れる前に、彼らを送り出したこともそうだ。自分が少なくとももう子供ではないと感じさせた。
彼らにはポケモンがいる。ワイルドエリアを見事に渡って来た、ポケモントレーナーのホープたちでもある。子供扱いするには、彼らはしたたかすぎる生き物だ。だけど、私たちは頃合いを見計らって帰りを促した。
帰って行く年相応の、無邪気な横顔たち。それを見れば自分の考えは間違っていなかったと感じた。
自分のやりたくないことを避けて、かろうじてできることをやって生きている。それだけなのに、自分はいつに間にかひとつ上の階へ登っていたようだ。
二人でやると何事も早い。みるみると片付けが進んで行き、ほとんど夜に差し掛かった頃。ドアのベルが鳴った。
「ん?」
「誰だろう」
珍しい時間の来客だ。何か配達物だろうか、なんて思いながらドアを開けた私とキバナは、声を揃えて驚いてしまった。
「「ダンデ!?」」
そう、そこに立っていたのはまさかのダンデだった。
さっと横を見るとキバナが私を、『お前が誘ったのか』と言わんばかりに見下ろしている。私はぶんぶんと首を横に振る。ダンデ相手となると、キバナには言葉では言い表せない因縁が多々あるようなのだ。普段の様子を知っている私が、ダンデを誘うわけがない。
キバナがダンデをここに誘ったとは思えない。キバナの驚きようからしても確実だ。
となると、ここにダンデを誘える人間なんて一人しかいない。ホップくんだ。彼は何人もをこのカレーパーティーに声かけしてくれたようだし、そこに兄のダンデが入っていることもあるだろう。
そしてダンデはものすごい方向音痴だ。弟に誘われたダンデが私の家を目指すも、迷いに迷って、パーティーも終わった今頃、私の家についた、と。
頭が混乱しかかったが、2、3秒でそれらしい答えにたどり着く。
ホップくんの様子から、彼もダンデが向かっているとは知らなかったのだろう。カレーはもう残っていないけれど、せっかく来てくれたのだ。お茶くらいは出せるかとダンデに声をかけようとした時だった。
「すまない!!!」
オンバーンもかくやと思うような、大声だった。驚いて私が数センチ飛び上がった隙に、ダンデは回れ右をして走り出してしまった。
「ま、待って!」
「!?」
私ははためくマントを追って走り出した。手のひらを、キバナの指がかすめたがそれを振り切って。
振り返って、キバナに言い放つ。
「私、ダンデに伝えなきゃいけないことがあるの! 大事なこと! ごめん、行ってくる!」
次に会えたら、必ずダンデに言おうと思っていたことがあった。
後ろを見た一瞬で、キバナが私を責める眼差しをしていたのが分かった。だけどキバナと違って、ダンデと会えることは貴重なのだ。このチャンスを逃してはいけない。眼差しを振り切って、私は走った。
体を鍛えているダンデに、追いつけるかはわからなかった。だけど彼の名を呼びながら全力疾走すれば、ダンデはやがて止まってくれた。振り返った彼は呆れた表情をしていた。
「、あのなぁ……」
「へ?」
「ここは来たらだめだろ……」
「え、なんか、ごめん。……でも、絶対に伝えたい、ことがあって」
全力疾走の後だ。当然ながら私は息が切れている。だけど一方のダンデはまった呼吸が乱れていない。やっぱり現役のトレーナーは違うな。男女の差以上に、普段の生活の差を感じながら、必死に息を整え顔を上げた。
「ダンデ、あのね」
「ああ」
「私、ホップくんとお友達にならせてもらいました」
ぽかん、とダンデの口が空いた。
「なんだ、そんなことか。確かにホップからの名前が出たのには驚いたが……」
「最初は何も知らなくて、ただ機械について、教えてもらいたかったことがあったの。それがきっかけ。あとから、ダンデの弟だって気づいた」
「……は、オレがダメだとでも言うと思ってたのか? ならなんの心配もないぜ」
「うん、でも。ダンデが弟のこと、すごく大事そうに話してたの、覚えてたから。ダンデの、大事な家族でしょ?」
「何年前の話だ?」
「何年前でも、私は覚えてるの」
弟との約束を語るダンデ。背伸びした表情で、オレが父親代わりみたいなものだと言うダンデ。
彼が大事だと思うものを、同じように大事にしたい。友人なら、そう願うことは変じゃないはずだ。
「だから、会えたらずっと言おうと思ってた」
「そうか、なら。改めて、弟をよろしく頼む」
目の前に手のひらが差し出された。肉厚で大きなダンデの手のひらだ。こういう時に握手を求めるのは、10年もチャンピオンをやったせいで、ダンデの癖になっているんだろうか。
「私が助けてもらう場面の方が多いんだけどね」
今朝だってそうだった。ふと、午前のホップくんとのやりとりを思い出した。彼の笑顔に流されて、珍しい話をたくさんした。そう意識を浮かばせながらダンデの手のひらに手のひらを合わせた私は、握り返して来た力に、また男女差と、こなしてきた物事の差がこれでもかと詰まっていて、驚いて数センチ、飛び上がってしまったのだった。