真摯に受け止めたい


 少し前までスマホロトムのない生活をしていたなんて信じられない。朝にキバナのアカウントを見ることは、もはや日課になっていた。歯を磨いて、髪の毛を軽く整えて、温かな紅茶と一緒に朝ごはんを口に詰めながら、キバナが新しい投稿をしてないか確認する、はずだった。

「……、ん?」

 出てきた画面の意味がわからない。何度か画面をつついてみるも反応がなくて、私は迷ったけれどホップくんにメッセージを打った。
 一瞬、スマホのことがわからないことがあったらオレさまを頼れと言ってきたキバナのことが頭に浮かんだけれど、なぜだろう、こういったことを質問しやすいのはいつもホップくんの方だった。

 えーと。


『おはようございます。ホップくんに質問があります。いつもいつもごめんね。
 今朝、いつもみたいにキバナのSNSを見ようと思ったらいつもと違う画面が出てきてしまって、写真なんかが見られませんでした。
 画面には”ブロックされています”って書いてあります。どういう意味ですか?』


 この文面で伝わると良いのだけど。そう思いながら時計を見るともう出発する時間を過ぎている。私は焦って紅茶を胃に流し込み、家を飛び出した。

 いつも通りランチタイム前の休憩時間になって、またすぐスマホを見るとホップくんからの返事が来ていた。


『おはようございます、さん。今日も寒いな!
 質問のことだけど、ブロックっていうのは、自分の投稿を見せたくない相手を締め出す機能みたいなものだぞ!
 だからすごく言いにくいんだけど、キバナさんが何か事情があってさんにアカウントを見せたくなくて、設定してるかもしれないぞ』


「投稿を見せたくない……?」

 思わず声に出して、反芻してしまった。朝から、何かがおかしいとは思っていたけれど全く想像していなかった答えに手の先が冷たくなっていく。

 もう一度、キバナのアカウントページを見てみる。朝と変わらずに、彼のアイコンとプロフィールしか見られない。彼の日々、ポケモンたちのこと、活動の報告、試合での活躍が連なっているはずなのに、私がそれらを見ることは叶わない。

 ああこのページは、キバナから拒絶された証なのか。
 気づくと同時に頭をガツンと殴られたような衝撃が走って、しばらく何も考えられなくなった。







 根っからの機械音痴だとはいえ、無知な自分が恥ずかしい。ブロック機能のことを何も知らず、ホップくんに聞いたことで気まずい事情を知られてしまった。
 しかもホップくんが優しくメッセージの最後に『キバナさんに直接聞いて見たらいいと思う』と気遣いを見せてくれた。だけどその優しさがますます痛い。

 聞けるか? キバナに直接?

「いや、いやいや、無理……」

 現状ブロックされているということがもう答えなんじゃないだろか。なのに察することをしないで「私に投稿見せたくないの?」なんて直接聞かれたらキバナも本音を言いづらいだろうを

 そして何故こういう日に限って、キバナはコーヒーを買いに来ないのだろう。
 休憩より戻ってからその事実に気が付いた。ほぼ毎日来ているくせに、今日まだ私はキバナの姿を見ていないのだ。

 ふらりといつもの調子で現れてほしい。一、二分でいいから会話をしたい。そしてそのいつも通りの雰囲気で、スマホ画面が浮かべた拒絶は何かの間違いだったのだと思いたい。彼が春の昼下がりみたいな笑顔を見せてくれたら、私も冗談めかして「どうしてなの?」と話題を持ち出せただろう。
 すがるように何度も何度もドアを確認した、店内を見渡した。けれど、ついに閉店までキバナは現れてくれなかった。

 退勤してからも私はキバナのページを開いた。帰り道の途中も、帰ってからも、夕食を摂りながら、ベッドに入ったあとも、キバナのページへ確認にいった。はやりそこに記されているのは変わらない『ブロック』の文字。

 私は必死になって、前向きに考えた。
 彼はかのトップジムリーダーだ。忙しくてコーヒー飲む暇がない日だってあるに決まっている。そうだよ、明日になればキバナはお店に来るかもしれない。
 それに何か、お店に来ないことも私をブロックしていることも、聞けば納得する事情があるのかもしれない。本当に見られたくない写真がある、とか。全世界に見せることができて、私に見せられないものなんて全く思い浮かばないけれど。

 とにかくキバナの顔が見たいと思った。
 だけどキバナは二日目も、三日目も、お店に来なかった。三日連続となると、店長もふと違和感に気が付いたらしい。

「そういえばキバナさん、来てないね」
「はい……」
「あ、さん、その」
「はい?」
「ごめん」

 なんで店長が謝るのだろう。気遣わせてしまったことが逆に申し訳なくなる。

「顔が暗いけど、何かあった? キバナさんと喧嘩でもしたの?」
「そうですね、よくは分からないんですけど、私が何かしちゃったのかもしれないです」
「事情は知らないけれど、キバナさんと話し合えるといいね」





 一人の休憩時間。思わず隅の方で私は膝を抱えて座り込んだ。言わずに堪えておくことがついに難しくなって、一言だけ、泣き言が口から出た。

「ああ……、初めてだ……」

 いつだってキバナはお人好しを発揮して陽気に私に話しかけてきてくれた。なのに、そのキバナに明らかに距離をとられることは初めてだ。
 それに、キバナにこんなにもお店に来て欲しいと思うのも、初めてのことだった。

 カフェで働いていることは、キバナとは全く関係ない私の個人的な事情だ。だからこそ、社交辞令的にお店に招いたことくらいはあるけれど、本気でキバナにお店に来て欲しいと思ったことはなかった。もしキバナが彼が日々を過ごす上で、お店に来るのなら、気分良く関わりたいと思う。その程度の気持ちしか持っていなかった。
 幸いキバナはお店が気に入ったらしく、お客さんとして来てくれるので、私も顔見知りの店員として受け入れていたに過ぎない。

 彼とお店で会うこと。それはキバナの日常と、私の仕事の二つが、幸運にも交わった時間だということをわかっていた。
 今までが恵まれていた。偶然の幸運が、おとといの朝に不意に終わっただけ。わかっている、頭では。
 キバナに期待すること、そしてキバナになにかを求めること。それらを意識的にも、無意識的にも避けてきたというのに。彼の簡単な指先の操作で、私は今あっという間にバランスを崩しそうになっている。

 私をこんなにも不安定にさせるのは、先日見た悪夢の内容だ。あの夢に出てきたキバナは、本来の彼ではなかった。私の歯を受け入れたあれは、自分にとって都合のいい幻想の異性だった。自分が邪な人間だったこと思い出させ、突きつけて来た夢。

 なぜあんな嫌な夢を見たのかと翌朝はベッドの中で悪態をついたりした。ちょっとだけ泣いたりもした。
 今思えばあの夢は私に注意を促してくれていたのかもしれない。身の程を思い出せ、と。本当の自分は、そうやすやすと他人に受け入れてもらえるような人間ではないのだと。


 ホップくんは言ってくれた。『キバナさんに直接聞いて見たらいいと思う』と。店長も言ってくれていた。『キバナさんと話し合えるといいね』と。
 だけど私はどちらにも『そうですね』と同意を返すことができなかった。

 キバナが私にアカウントを写真を、日々の様子を見られたくないと思うのなら、それは問いただすようなことではない。否定するようなことでもない。

「大丈夫、大丈夫……」

 そう唱えながら深呼吸を繰り返す。
 今までも偶然に道交わった仲なのだ。その偶然を失ったからと言って、私は変わらない。変わる必要もない。
 キバナに期待すること、そしてキバナになにかを求めることを丁寧に封じていく。それがキバナの拒絶で得た頭を殴られたような衝撃と、その傷に対する応急処置になったのだろう。
 立ち上がって休憩時間を終えた私は、カフェ店員のに戻ることができていた、多分。





(そんな重いパートじゃないのでサクッと終わる予定です、よろしくお願いします)