でも偽物でもない


 時計は10時を回った。同時にスタッフさんの声が朝の通りに響き渡る。

「これより開店させていただきますが、本日新商品の発売に伴い、大変混雑しておりまーす! どうぞゆっくりと前の人に続いて、お気をつけてお進みくださーい!」

 周りの人たちの息を飲む声が聞こえるようだった。私もわずかな緊張を手に握りながら、ゆっくりと店内へと進んだ。

 店内で、まるでそこだけ場が輝いて見えた。棚いっぱいに並んだぬいぐるみたち。ひとつひとつ丁寧にディスプレイされたぬいぐるみたちの刺繍された目がこちらを健気かつ一途に見つめてくる。
 私は声もなく感動していた。一番最初に抱いた感想は、本当に現実に存在していたんだ、だった。きっと買えるはずと信じていたものの、実物を目の前にしてようやく実感が湧いてきたのだ。
 ゆっくりと店内の人混みも流れて行って、私もようやくぬいぐるみの棚の前にたどり着く。手が自然に吸い寄せられて行った一体を、恐る恐る触る。

「う、わぁ……」

 柔らかさに、思わず息を飲んでしまった。ぬいぐるみなのに、温度を持っている気さえしてしまう。
 彼のお気に入りのパーカーなんかも丁寧に再現されていて、じわじわと感動してしまった。そしてその顔を見つめると、やっぱり心が私に言わせるのだ。「かわいい」、と。

 ぬいぐるみはぬいぐるみであって、本物のキバナではないのに、なんとも言えないときめきに胸が包まれる。不思議な高揚感で、足取りがふわふわしてしまうのを自覚しながら、人の流れに従ってレジの列にどうにか並ぶことができた時だった。

 気がついてしまった。
 レジの出口でチラチラとこちらを覗く人影に。

 あの長身からして、おそらく男性だ。帽子にメガネにマスク姿で、顔はよく見えない。
 あれ、あの耳の形、なんか見覚えがある、ような……。答えの出ない感覚に見舞われ、思わず視線を注いでしまう。
 出口から店内の様子を伺ってるのかな。そう思いきや、男もばっちりを私に視線を返してくる。私も視線を外せずにいると長身の不審者はメガネをちょっとずらし、素のままの眼光を私に見せて来た。

「っ……!」

 声が出そうになったけれど、すぐに自分の手で蓋をした。
 眼光の色でわかった。あそこにいるのはキバナだ。背丈も肩の形も、足の長さも、どうみてもキバナだ。

 何をやってんのこんなところで、というのが一番先に出て来た反応だった。
 パーカーもバンダナも、靴も普段とは違うテイストのもので固め、キバナは一応変装している。。特徴的な後ろ髪も、帽子の中に上手に隠してはいる。でもやはりあの高身長、あのスタイルだ。すぐにバレそうなのに、こんなキバナのファンしかいないような場所をふらつくなんて。そうやって自分であることを隠そうとしているあたり、今はオフなのだろうに、見つかったらどうする気なのだろう。
 不意に余裕の笑顔でファンサービスを振りまくキバナも想像できた。でもやっぱり、迂闊すぎる。

 飛んで火に入る夏の虫ならぬ、ムーンフォースの下に躍り出たドラゴンポケモンじゃないか。冷や汗をだらだらかいていると、その人物は平気な顔して、クイクイっと指を曲げた。どうやら私を招いているらしい。盛大にため息を吐きつつ、お会計を済ませようとした時、私は気がついて青ざめた。
 自分が今まで大事に手の中に抱えていたものを再認識したのだ。

 キバナのぬいぐるみを買おうとしたところを、キバナ本人に見られてしまってるではないか、と。

 汗がダラダラと流れ出る。レシートと商品を受け取る手も震える。嫌すぎる予感をこらえつつ、私がキバナの元にたどり着くと、キバナは足早に歩き出した。

、とりあえず場所を移動するぜ」
「う、うん」

 本人もここに居続けるのはマズイと感じているらしい。私がついてこられるギリギリの速度で、キバナは歩く。どこに行くのかと思えば、外ではなく、そのままナックルスタジアムの内部へと案内された。
 警備員の前は、キバナが少しだけサングラスをずらし、顔パスで通り過ぎる。
 スタジアムの内部のことはよくわからない、というか入ったのも何度目かだ。私はただただ、従順にキバナについていく。

「今日はこの部屋は空いてるはずだぜ」

 そう言われて案内されたのは、おそらく小さな応接間だ。ゆったりとしたソファとローテーブル。ドアが閉まると、二人してため息をついた。

「はー、緊張した」
「いやそれ私のセリフ」

 まあ座れよ、と促され、私も向かいのソファにかけさせてもらった。部屋には私たちだけしかおらず、静かだ。慣れない人混み、しかも苦手な集団の中で気を張っていた神経が、緩み出す。
 ちょっと疲れた。でも、買えてよかった。私が、安堵と疲労の入り混じったため息をつくと、キバナが部屋に備え付けられたポットからあたたかなコーヒーを入れてくれた。

「インスタントだが」
「わ、ありがとう。嬉しい……」

 香ばしい香りに鼻がくすぐられ、思わず深呼吸をした。キバナもカップ片手に私の隣に座ると、肩から力が抜けた様子だ。

「しかし。すぐ帰るつもりだったのに、まさかがいるとはな」

 それも、私のセリフだ。仕返しするように強調させながら言う。

「まさかキバナがいるなんて。まさかまさか、自分のぬいぐるみを買いに来てるとは思わなかったなぁー」
「いや、オレさまも完成品を見てないから、気になってな」
「え、まだ持ってないの?」

 意外だった。キバナなら自分とぬいぐるみを並べた写真をすでにSNSにあげていそうだ。そしてこのぬいぐるみ争奪戦に拍車をかけていそうなものだ。

「ぬいぐるみを出すって話は聞いてたんだが、さすがに忙しくてな。最初の方に言われて、確認はしてたが、基本的にはリーグ委員会が勝手にやることだからな」
「そうなんだ、お疲れさま」
「販促用にジムの方に送られてきてるとも思ったんだが、それも来てないらしいから、一応見とくかと思って仕方なく店舗を行った。そしたらオマエがいた」
「あはは……」

 ん、と言われ手のひらが向けられる。どうやら私が買ったばかりのぬいぐるみを差し出せということらしい。袋から丁寧に取り出した、キバナのぬいぐるみ。やっぱり、不思議と温かい気がする。それを彼の大きな手の平に差し出すと、やっぱり私が持っているより随分小さく見えるのだった。

「なんだ、結構可愛いじゃねえか」
「そうなんだよね……!」

 悔しいけれど、このぬいぐるみを監修した人はキバナの魅力をわかっている。魅力を理解した上で、このぬいぐるみという形に落とし込んだ人の仕事ぶりは素晴らしい。正直、嫉妬してしまうくらいだ。

「え、サン?」
「ん? なに?」
「どうした、険しい顔して」
「な! ……なんでもない」
「コレ、撮っていいか?」

 私が「うん」と言うより先に、彼のスマホロトムが待ってましたとばかりに飛び出して、良い角度でキバナのシャッターチャンスを狙っている。
 私は写らないように体を小さくする。

「大丈夫? 壁の汚れとかで特定されない?」
「まぁこの部屋なら平気だろ。もようやく理解してきたな、ネットの凄さと恐ろしさ。ジュラルドンを磨いてやった次の日の映り込みとかもすげえ注意してるぜ」
「わー、こわ……」

 なるべく動かず縮こまる。キバナは気をつけてくれてると思いつつ、ふとキバナを見て私はぎょっとした。

「っ何してるの!?」
「ん?」

 見ればキバナがぬいぐるみに相当顔を近づけている。いや、埋めていると言っても過言ではない。自分のぬいぐるみにほとんど口付けそうになっている。

「それ私のなんだけど!?」
「サマになってるだろ?」
「………」

 なんだろう、なんとも言えないこの気持ち。写真映えはするのかもしれないけれど、人の持ち物で何してくれているんだと絶句してしまった。一方の彼とスマホロトムは撮影を終え、キバナはすいすいっと端末を操作し始める。多分、あっという間にSNSの投稿も終えたのだろう。メッセージを打つにも2、3分の時間を取ってしまう私と比べれば、本当に手馴れていて、一瞬の出来事だった。

「で?」
「……はい?」

 キバナの声に顔を上げると、彼のニヤニヤと笑っている。決してあの晴れやかな笑顔ではなく、獲物を食らわんとする獣の目だ。

はオレさまのぬいぐるみを買って、これをどうするんだ?」
「どうって」

 コーヒーのカップを握っていた手が、汗で滑りそうになる。カップを落とさないことにも、顔が引きつらないことにも気をつけて、なるべく平然と私は返事をする。

「どうするつもりもないけど? 思ったより出来が良くて可愛いから、思わず買ってしまったというか」

 嘘ではない。むしろ真実しかない。見かけた商品画像にあったこのぬいぐるみが、可愛いと感じてしまって思わず欲しくなってしまったのだ。

「思わず? 朝から並んでいないと入店できないような状況だったと思うが、思わず並んで買ったのか?」
「そ、それは……」

 図星だからこそ言い返せない。分かって言いくるめてくるキバナもなんてタチが悪いのだろう。やっぱりぬいぐるみを買うとこを見つけられたのが私の弱みとなってしまったようだ。
 オンラインで買えていたらこんなことにはならなかったのに。キバナの良い笑顔を前にして、数日前の後悔がますます深くなっていく。

「んで、オレさまは?」
「……はい?」
「可愛い可愛いぬいぐるみの元になった、本物のオレさまの方はどうなんだ?」
「………」
「ん?」

 さっきまで、悪さが見え隠れするような笑みを浮かべていたくせに。自分の魅力を、その引き出し方をわかっている笑顔をぬいぐるみの横に並べたキバナは、さあオレさまを認めろと言わんばかりに輝いている。

 可愛いと言わせたいキバナと、可愛いとは直接は言いたくない私の意地が、ソファの上で静かにぶつかり合う。もちろん、このぬいぐるみはキバナの魅力を元に作られたわけだから、彼自身の魅力がやはり源になっている。
 だけど。言われて当然みたいな顔をされると、言いたくなくなる。負けたくない、と思ってしまう。それが人間の心理というものじゃないだろうか。

「……悪いけど、私、もう行くね。これからマクワさんのぬいぐるみも買っちゃおうかなって思ってるから」
「は? マ、マクワ……?」
「うん、マクワさんのぬいぐるみが欲しいの。まぁヤローさんのぬいぐるみも、オニオンさんのぬいぐるみでも、もちろんサイトウさんでもダンデでも変わらないよ。可愛かったら、買うだけだし、見かけたら手が伸びちゃうかも」

 負けん気が強いキバナに、こういう言い方はちょっとは仕返しになるはずだ。笑顔のまま固まったキバナに、少しだけ胸が空く。

 マクワさんのぬいぐるみはもちろん自分用じゃない。実は並んでる途中でスマホロトムで店長にメッセージを打っていたのだ。『もしマクワさんのぬいぐるみがあったら奥様宛に、抑えておきますか?』と。
 店長からは即『頼みます』との返事が来ている。追加で『マクワさんのぬいぐるみ、いくつあっても僕の奥さんは困らないタイプなのでありがたいです』とも。
 どうやら店長とその奥様に恩をお返しするチャンスらしい。

「店長の奥さんが、マクワさんのファンなんだって」
「あー……、なんだそういうことか」
「今日は店長が気を利かせて急にお休みにしてくれたから、お礼にもなりそうだし、マクワさんのも手に入ったらいいな、って思ってるの」

 顔も知らぬ、存在も昨日まで知らなかった奥様だ。けれど、同じ悲しみを味わった者同志として、力になれたらいいなと思ってしまう。

「あ、今日は休みか?」
「うん。存分に戦ってこい、って送り出してもらった」
「戦って……?」
「だって本当に買えるか、わからなかったし」

 手を出すと、ようやくキバナの元からぬいぐるみが戻ってきた。欲しくて欲しくて仕方がなかった、今日の戦利品だ。
 うん、やっぱり思わずにやけてしまうほど可愛い。大事に、タグも折り目がつかないように気をつけて、そっと袋の中にしまう。

「……キルクスなら」
「え?」
「ナックルスタジアムの店舗はさすがにオレさまも身バレが怖くて行けないが、キルクスならいいぜ。送ってやろう」
「え、でもわざわざキルクスまで行かなくても」
「マクワのグッズならキルクススタジアムが一番在庫をしっかり抱えてるはずだ。ほら、見てみろ」

 キバナが見せてきた画面を覗き込むと、キルクススタジアムのSNSアカウントが、在庫状況を伝えている。やはり同じく、愛情をもってひとつひとつ並べられたマクワさんぬいぐるみのつぶらな瞳がカメラ目線でこっちを見ている。在庫に余裕もありそうだ。
 あ、マクワさんぬいぐるみも、ころっとしてて結構かわいい、かも。

「シュートスタジアムは? あそこの物販が一番大きい倉庫持ってるって聞いたことあるけど」
「だめだ。キルクス行くぞ」
「あ、そう?」

 というかなんでついてくるんだ? 疑問がわいたものの、キバナはもう目的地を決めて、私がついてくるのを待っている。まあ、いいか。言うなればこれから望むのは延長戦。キバナがいてくれるのは心強い。私はぬいぐるみの入った袋をしっかりと抱えながら彼を追いかけた。