後のこと考えてない



 先日のこと。夕方過ぎ、不思議な振り方をした小雨があった。
 ザバッと一回降って、すぐ止んで、またザバッと店先に降りかかる。その時は今日の天気は大荒れだなぁと流していた。けれど、まさかあれがナックルジムでポケモンの技が店先まで届いた結果だったとは。キバナから実情を聞いた私は驚いて、持っていたモップの柄を床に倒してしまった。

「え、あれってホエルオーのダイストリームだったの!?」
「ああ……」

 げっそりとした表情のキバナ。背中も丸まっていて、私の首の角度もいつもより穏やかだ。
 横から店長が嬉々として情報を追加する。

「もともと巨大なホエルオーがダイマックス! 尻尾が目の前に迫る勢いだったらしいよ」
「というか一匹のホエルオーが一試合でしおふき5回にダイストリーム3回って打てるものなんですね!?」
「やられた方も正直マジかよ……って思ったぜ」
「うんうん。こうだからダブルバトルって色々奥が深いよね!」

 普段から小型船舶も飲み込めちゃうほど大きいホエルオーのダイマックス。それはさぞ、見もののバトルだっただろう。

「ロマンですね……。ちょっと生で見たかったかも」
「ロマンだねえ。やった後のこと何も考えていないあたりも、すごくロマンだよ」
「ちなみに勝敗は」
「もちろんオレさまの勝ちだ。なーんか勝った気がしねえけどな。さすがに尖りすぎてて拡散力もオレさまを上回る勢いだしなぁ」

 いわゆる勝負に負けて試合で勝った、みたいなやつか。多分話題の半分がホエルオーの存在に持っていかれてることもキバナにとっては悔しいのだろう。スマホを見るキバナの目が釣り上がっている。
 でも確かに、そんな面白いバトルなら私も見たい。ナックルシティの混乱とともに、今夜のニュースにも取り合げられているだろう。絶対見よう、と密かに誓う。

 店長と私は、世代も性別も違うけれど互いにポケモンバトルの楽しみを知るガラル人だ。店内に私たちしかいないこともあって、つい話が盛り上がる。
 ただひとり、キバナは観客目線ではなく、がっつり当事者として肩を落とす。

「オレさまのせいではないが、まあ迷惑かけてすみません」
「いやいやー! ポケモンのポテンシャルはやっぱりすごいね! なんだかすごすぎて笑いが出るくらいだから大丈夫、気にしないでよ!」

 そう。先日の試合にて、件のホエルオーはダイストリームだけじゃなく、雨を降らしてしおふきを連打。体力を削られてもなおも暴れて、ついにナックルジムの排水設備を壊したとのことだ。
 そしてわが店舗もその煽りを受け、現在進行形で水道設備が麻痺してしまっている。

 いつもなら店内の雰囲気を守るために、私語は控えるべきだ。だが、お店は断水の影響で絶賛開店休業中。お客さんが来ないのではなく、私たちが受け入れられないこの状況。キバナと店長と私しかいないが故に、バトルの話題でついつい盛り上がってしまったというわけだ。

「蛇口をひねっても水の一滴すら出なかった時は本当に驚きましたよ……」
「機械音痴が高じてついに水道を壊したかとでも思ったんだろ」
「うわぁ、私の考えを読まないでよね」

 確かに機械音痴で数々の機械で不具合を起こして来た私だけど、ついに水道を壊したかと本気でパニックになりかけた。からくりを聞いて安心した。そんなにスケールの大きい出来事を起こせるのは人間じゃなく、やっぱりポケモンなのだ。

「そんなわけで、さん。お店が断水してたらコーヒー作れないし、作れても洗えないし、ついでに空調のメンテナンスも入れたしで、うちは今日入れて三日間、臨時休業です」
「そうなっちゃいますよね。了解です」
「キバナさんも、せっかく足を運んでくださったのにすみません。これ、サービスです」

 店長がサンドイッチやマフィンを包んでキバナに差し出す。遠慮していたキバナだったけれど、私が横から「キバナが食べなければロスになっちゃうからもらっちゃいな」と吹きこむとまんざらでもない様子で受け取った。

さんはこれ、貼ったら上がってください」

 そう言われ、紙を渡される。丁寧なお詫びの言葉と、臨時休業の文字が連なるそれを私は呆然としながら店のガラスドアに貼った。

「おやすみかぁ」

 ぼんやりと、快晴の空を仰ぐ。後先考えてない誰かのロマン砲によって、私は不意に三日間の連休を手に入れてしまったのだった。

「羨ましいぜ」
「キバナの方は大変だね、お疲れ様」

 急に手元に転がり込んで来た三連休。まだ、少し気持ちが切り替わらない部分はある。けれどまとまった休みができたらしたいこと、ずっとずっとやろうと思っていたことは、実は決まっていた。

「……あのさ、キバナ」
「ん?」
「理由は聞かないで、頑張れ、って言ってくれない?」

 少し困らせる要求をしてしまった。けれどキバナは動じた様子なくすらりと、けれど意志のこもった瞳で私を射抜いて、言った。

「頑張れよ、オマエなら大丈夫だ」
「……ありがと」

 キバナと手を振り合い別れ、私は店内に戻る。店長に挨拶を済ませ、早々に帰る支度をしながら、私はさっそくスマホで懐かしのプロフィールを呼び出す。
 話すことすらかなりお久しぶりの人物だ。頑張る。私なら大丈夫。キバナのしなやかで力強い一言を噛み締めて、スマホを耳に当てた。

「……もしもし、お母さん?」






 私が育ち、今も母が住むその家は、アラベスクタウンに存在している。アラベスクタウン自体がかなり深い森の中にあり、陸路を行くとなかなか骨の折れる場所にある。なので、あなたがジムチャレンジャーでない限り、アーマーガアタクシーで訪れることを私はおすすめする。

 翌日、お昼前。私は光と森とキノコとが共存するひそやかな街、アラベスクタウンにたどり着いていた。
 アラベスクタウンはスタジアムを擁するも、ポケモンセンター以外のお店も少ないかなりこぢんまりとした住宅街だ。薄暗い街並みにチョンチーやネマシュたちが淡い光を添える道を十分も歩けば、私の家が見えてくる。

「ただいまー」

 ドアを開けると、数年ぶり顔をあわせる母がパタパタと駆けてくる。

「おかえり! 元気にしてた?」
「特に、変わらず。元気です。お母さんも元気そうでよかった」

 久しぶりの母はちょっとだけ小さくなったように思えたけれど、表情が朗らかで心配なさそうだ。
 家に入ると懐かしさが私を襲う。

「ナックルシティから長旅お疲れ様。もう少ししたらお昼用意できるから一緒に食べましょ」
「ありがとう」
「あと出しておいたわよ、あの子たちのモンスターボール」

 突然の里帰りを決めた理由は、どうやら母にはおみとおしらしい。気恥ずかしくて、ぎこちない笑顔になってしまった。

「会いに来たんでしょ?」
「……うん」

 大事な大事な友達であり、私とジムチャレンジの旅をした、トゲチックとトゲキッスにもう一度会いに行く。それがずっと迷いながら、やろうと思っていた事だった。

 若きジムチャレンジャーとして親元を離れた時。私のパートナーは幼い頃から一緒に遊んだ、二匹のトゲチックだった。
 二匹はどうやら兄弟で、体の大きなメスと一回り小さいオスだったので、私は少し勝気なお姉ちゃんと、臆病だけど優しい弟だと思っている。
 幼い私はその二匹と、ごくごく自然と友達になれた。私にだけよく懐いた二匹のトゲチックが私も大好きで仕方がなく、力を合わせてよくルミナスメイズの森を奥深くまで探検したものだ。
 野生のポケモンと友達になったことは私にとって特別なことではなかったが、他の人はそうではなかったらしい。人間よりもポケモンと仲良くし、ポケモンたちの中に溶け込み、息を合わせてルミナスメイズの森を遊び場とするその様は、そこそこ特異なことだったらしい。数年後のある日、アラベスクジムを統べるポプラさんに見出され、私はジムチャレンジへの推薦を受けることになったのだ。

 ジムチャレンジについてはあまり、深く考えていなかった。近所の子供からは羨望の眼差しで見られ「推薦をもらうって、きっと素晴らしいことなのだろう」と思い、また「トゲチックたちと旅をするのは楽しい気がする」という理由で旅立ちを決めた。実に単純で、短絡的で、おばかな子供だったのだ。
 そして私は、一番の友人である二匹に、モンスターボールに入ってもらったのだ。

 旅を経て、私も彼らも成長をした。弟のトゲチックも体が一回り大きくなった。道中で私はひとつだけひかりのいしを手に入れ、お姉ちゃんに与えることにした。お姉ちゃんトゲチックは、トゲキッスに進化を遂げた。
 トゲキッスとトゲチック。その二匹を連れたトレーナーというのは案外目立つようで、次のジムに向かうほど顔を覚えてくれた人は意外に多かった。そのうちの一人はキバナだ。

『オレさまってどうも、オマエのフェアリータイプとは相性が悪いんだよな。だから、バトルだ』

 話しかけてきた時は優しげな垂れ目が、モンスターボールを手に取ると闘志を燃やして釣り上った。キバナは最初からその表情の変化が印象的な男の子だった。

 出会いも、別れも、全てが眩い日々だった。
 けれど全てのジム制覇を目前にして、私は旅を終えることにした。
 ポケモンバトルは勝てば楽しい。パートナーと共に最高の気分を味わえる。だけど負ければそれは簡単に苦痛に変わった。自分の知識不足や判断ミスで負ければ、一層苦しみは深まった。勝ちにこだわればこだわるほど、自分らしさを失っていくのをありありと感じた。全ては自分が弱いせいと自責の念にかられて、でも一番痛かったり苦しかったのはあの子たちの方だと思うと、くよくよしている自分がより嫌いになり、自己嫌悪から抜け出す術を見失った。
 だから私はポケモントレーナーでいることを、やめることにしたのだ。

 一緒に遊んだ、ただの少女と二匹のトゲチック。その失われた幻影を追いかけて、二匹には元のルミナスメイズの森で自由に過ごしてもらうことにした。
 大好きなトゲキッスとトゲチックには、今後は自由気ままに暮らしていてほしいと願ってのことだった。無邪気に森で暮らしていただけの二匹をジムチャレンジという痛みを伴う旅に連れ出した、そのことへの罪滅ぼしのような気持ちもあった。
 トゲチックとトゲキッスは森の暮らしに戻った。だけど私は、以前の純粋な少女には戻れなかった。
 何かあったときのために母にモンスターボールを預けると、私はアラベスクタウンすら出ることに決めた。初めは別の街に暮らす親戚を頼り、その後収入が安定すると同時に一人暮らしをナックルシティ郊外で始めたのだった。