抑えることない



 変わり映えのしないことを良しとしていた日常も、案外変わってしまう。気づかないうちに、そして自覚するうちに。

「それじゃあ店長、休憩いただきます」
「はい、いってらっしゃい」

 エプロンを外し、軽めのカーディガンを羽織る。小さなサブバッグに詰め込むのはお財布、スマホ、作ってきたサンドイッチとポケモンフーズ。腰にはもちろんモンスターボール。空いてるもう一方の手には自分用に入れさせてもらったカフェ・ラテ。
 今日の昼休憩を、外でとる準備はできた。時間を惜しんで重たい事務所のドアを押し開けてから、私は呟く。

「あ」

 なんとなく予感がして、どこにいるかはわからないけれど振り返って声をかける。

「ロトム、おいで。お昼ご飯の時間だよ」

 パチパチッ、と電気の爆ぜる音がする。事務所の蛍光灯が何度か点滅したが、元通り点き直す。どうやら今日は私のスマホから抜け出したあと、事務所の電灯に忍び込んでいたらしい。
 シュンシュン、というロトム特有の飛ぶときの音が、しっかりついてきてるのを耳たぶで感じながら、私は春めく外へと歩き出した。


 壁の上の方まで張り紙で満ちていた事務所でとっていた毎日の昼休憩を、最近の私は外でとる。
 なぜって事務所が狭いからだ。所狭しとカップの在庫やら書類やらを積み上げてあるお店の事務所は、ペロリームとすれ違うのがいつもギリギリなくらいの幅しかない。
 もちろん人間一人がぼんやりするにはそれでも十分だ。けれど私は今、自分のポケモンと暮らしている。トゲチックはまだしも、トゲキッスの方が事務所で出してあげるには無理があるのだ。
 以来、私はひどい雨天でない限り、外のベンチでお昼をとっている。

 広い道へと出たと同時に私はモンスターボールを空に投げる。羽を伸ばしたトゲキッスとトゲチック。トゲチックは横着してだいたいそのまま、私のサブバックの中へと収まる。
 ふわりと浮き上がったトゲキッスに歩調を合わせて、私たちはお決まりのベンチを目指した。 

 歩いて5分ちょっとのところに、私たちがお気に入りのベンチがある。ひそやかな割にベンチの周りにも広いスペースには、いい風が運ばれてくるのだ。

「はいはい、ちょっと待ってね」

 すっかりお腹が空いた様子の二匹をなだめながら、私はベンチの上に二匹のポケモンフーズを置いてあげる。
 それから私も腰を下ろした。まだあたたかいラテに一息をつきながら、今朝作ってきたサンドイッチにかぶりつくと、私の目線の高さに飛んできたのはロトムだった。
 先ほどは抜け出していたが、今はスマホの中に戻っている。

「帰ってきたのね。今日もお疲れ様」

 スマホロトムが体をケタケタ揺らす。浮かべてるのは苦笑いの表情だ。多分ちょっとだけ、バツが悪いのだろう。

「気にしなくていいのに。またキバナからの通知が多すぎて、嫌になっちゃったんでしょ?」

 最近、ロトムが私のスマホから抜け出してしまう。その原因はキバナだ。
 お互いの気持ちを知って、認め、許しあって。それからというもの、キバナの私への態度は色々と変わって来ていた。そのひとつが、連絡がとても頻繁になったことである。
 今日もスマホを見れば新着通知が29件。キバナはこうして、自身のSNS以上に私にメッセージを送ってくるのだ。ちなみに時々写真付きである。平常運行だなぁ、と思いながらサンドイッチにまた一口かぶりつく。

 キバナからのメッセージが多くなったのは、想いが通じ合って割とすぐの頃だ。
『眠い』とか『書類15分で片付けたオレさまって天才』とか。まるで独り言の呟きのような短文メッセージが息つく間もなく送られてくるようになって、最初はさすがに驚いた。

 キバナ曰く、

『これでも抑えてる方だぜ。裏アカとかカップルアカウントとか、つくってもいいけどよ。さすがに誤爆とかアカバレが怖いしなぁ』

 とのことだった。

『裏アカ? カップルアカウント?』
『ああ、つまりな、限られた人しか見れない秘密のアカウントがいわゆる裏アカで、オレさまとオマエの二人だけが見たり、二人で行ったとこなんかを投稿するのがカップルアカウントってやつだな』

 私が用語の意味がわからず顔を固まらせたので、キバナはそうやって丁寧に説明してくれた。説明を何度頭の中で反芻した、けれども私にはちょっとよくわからなかった。わざわざSNSに秘密のアカウントを作ることや、二人のことを綴るアカウントを作るときめきが、ピンと来なかったのだ。
 だから困惑をうまく隠せずに、私はキバナに言ったのだ。

『いいじゃない、私に好きなだけ送れば』

 以来本当に好きなだけ、送りたいときに送りたいだけ、キバナは私にメッセージを送ってくるようになってしまったのだ。
 多分これがキバナからじゃなく別の誰かからなら、私はとっくに辟易して疲れ果ててたことだろう。
 けれど結局のところ、好きだから。私の関心が、しっかりキバナに向いているから。山ほど届くメッセージは苦にもならず、私にちょっとずつの幸せを運んできている。

「……」

 溜まっていたメッセージのひとつひとつに目を通しているうち、サンドイッチを食べていた手が思わず止まってしまった。
 理由はとても単純だ。目に入って来たキバナの自撮りが、最高に私に刺さったからである。
 無言で噛み締める。キバナの自撮りはいつも私に撮ってはストライクなのだけど、お昼前に届いた何気ない一枚が正直ホームランだ。最高だ。
 またも無言で私はそれをホーム画面にした。ロック画面は誰に見られても大丈夫なようにトゲキッスとトゲチックの寝顔にしてる。
 こういう時あまり顔に出ない性格なので、はたからは口の中でも噛んだか?くらいのリアクションに見えていることだろう。だけど脳内は最高の文字がエレクトリカルパレードしているくらいのお祭り騒ぎだったりしている。

『もしかして休憩中?』

 多分メッセージに既読マークがついたのを確認したのだろう。すかさず話しかけてくるキバナは、あの体躯とは思えないほどの無邪気さをデジタルメッセージの中に覗かせている。
 手を拭いてから、私は返事を打つ。

『写真ありがとう。今日のやつ、なんか好きだな』

 ホーム画面に設定した、とは言わない。それをいちいち報告していると、私が三日おきにキバナの写真をホーム画面に設定し直しているのがバレてしまう。
 そう、さっき切り替えてしまった元のホーム画面もおとといあたりにキバナから送られた写真だったりするのだ。
 キバナの返事がすぐさま届く。

もなんか写真送って』

 キバナは結構、私の写真を見たがる。キバナやロトムほどの写真の腕はないから、毎度困ってしまう。私に写真の腕はないよとキバナに伝えてはいるのだけど、それでもキバナは私の写真が欲しいらしい。自撮り送って、と言われなくなったあたり、これでも一応キバナなりに手加減されていたりする。
 周辺を見渡して、結局私はさわさわと風に揺れてる木を撮って送った。今日はいい天気なことを、キバナに伝えるのもいいか、と思ったのだ。
 それから多分10分もしないくらいだった。風が強く吹いて、さっき写真に撮った木が大きく揺れ出す。
 ひときわ強く吹いた風に目を閉じ、開けた次の瞬間にはキバナとフライゴンが私たちの前に立っていた。

!」
「ど、どうしたの?」

 なんでここがわかったの、とは言わなかった。大方また送った写真から特定というやつをして、文字通り飛んできたのだろう。
 キバナは目尻を甘く垂れさせて言う。

に会いたくなった!」

 す、素直だなぁ……。
 照れ隠しで、私は返事はおざなりに、トゲキッスたちの食べた後を片付けた。空いたベンチの半分へ座る瞬間も、キバナは私を視界から外さない。

「会いに来てくれて、その気持ちは嬉しい。けど、私あと5分で戻らなきゃ」

 悲しきかな、カフェ店員の休憩時間はそう長くはない。ここから歩いてまた事務所に戻る時間を加味すると、キバナと過ごせる時間はあまり残っていないのだった。

「分かってる」
「……じゃあ5分のために来たっていうの?」
「ああ、そうだぜ。会いたかったからな!」
「朝にもお店来たのに?」
「今また会いたくなってたんだから、いいだろ?」

 な、なるほどね。先ほどから照れ通していたのが積み重なってしまって、私は頷くことしか出来ない。

「はは、照れてんのか?」
「わざわざ言葉にしないでよ……」
「照れてるのかぁ」
「うん、照れてる。それに気持ちもわかるな、って思って。私も突然、会いたくなったり、するし……」
……」

 先ほどと変わらず、視線は外されないまま。だけどキバナから滲み出した熱情で、次に彼が何を言うかの予想がついてしまう。

「……やっぱり一緒に住もうぜ」

 ほんと、最近のキバナはこればかりだ。
 ちょっと出かけても、このままオレさまんちに帰っちまえ、んでオレさまんちから出勤しよーぜと誘いをかけてくる。
 私は常々思ってたことを言う。

「展開、早くない?」
「遅すぎるくらいだろ!」

 朝会って、キバナのことだからきっと夜にもまた時間を作ってくれる気がしている。だけど会いたいの気持ちだけでここまで飛んできてしまったキバナとさよならするのが名残惜しい。
 結局一言二言、余計に話してしまって、私はサンドイッチを食べたばかりの腹を抱えてお店まで駆け足することになった。

 壁の上の方まで張り紙で満ちる、灰色の事務所でとっていた毎日の昼休憩はもう遥か遠く。熱の巡った頬で再度エプロンを掛け直す。それが私の新しい日常なのだった。