オレの横を駆け抜けていった軽やかな足取り。まるで背中に羽が生えているみたいに跳ねていった。きっとここまでも、走ってきたに違いない。乱れに乱れた髪を追いかけて飛ぶ白い影に目を見張れば、それは二匹のトゲチックだった。
感覚としては一陣のあたたかな風を見送ったのに同じだった。
あとから思えば、それがの出会いだった。
と出会った日。それはオレさまがポケモントレーナーとして歩み出した日でもあった。
ジムチャレンジに挑むため、各地からシュートスタジアムへと集まったルーキートレーナーたち。例に漏れずオレもその一人だった。
ジムチャレンジ開会式を控えるこの待合室もぴりぴりとした空気に包まれている。
周りが全員ライバルになり得る環境。オレの体にも武者震いが走っていた。泣き出しそうになっているやつに、気合がから回っているやつ。期待と不安の狭間で、膝を震わせてるやつだっている。
その中ではちょっと浮いた、異様な少女だった。彼女にオレから話しかけてしまったのは、半分がうっかりや間違えの類であり、半分はオレのお人好しな面がそうさせたまでだった。
「おい」
オレの声に反応して、くるりとこちらを向く少女。あまり感情の見えない瞳の中にオレが映る。同時に肩の横に付き添っていたトゲチックたちも仲良くオレの方を振り返る。
トゲチックを、二匹もつれている。それも彼女が目立っていた理由の一つだった。待機所で、彼女がさっきすれ違った少女だと気付けたのも二匹の気ままなトゲチックのおかげだった。
「ポケモン、ボールにしまったほうがいいぜ」
「あ、そっか」
トゲチックたちは小さいので周りの迷惑になっていないとはいえ、この部屋でポケモンをボールから出しているのはくらいなものだった。
いそいそとボールを取り出す手つきはぎこちなく、慣れていない。その割にはトゲチックたちはよく彼女に懐いていて、落差に違和感を覚えるくらいだった。
パッとボールを投げりゃあいいのに、彼女は時間をかけてポケモンをしまう。
その様子に正直いえばオレは引いていた。
モンスターボールに慣れてないってやばいだろ。
バトルのこと、トレーナーとしてのこと、それからポケモンのこと。こんなのをどこのジムリーダーが推薦状を出したというんだろうか。
何にも知らなそうな横顔にオレは呆れたため息を吐いた。
「ありがとう、教えてくれて。まだモンスターボールに慣れてなくて……。私は。あなたは?」
ボールを扱う様子のおぼつかなさを見るに、彼女より自分の方が経験がある。そう踏んでいたオレは、上から物を言うようにして彼女に名乗った。
「キバナ」
「よろしくね」
「ああ、よろしく」
儀礼的に握手を交わす。だがオレはこれから始まる旅に燃えている。よろしくどころか、これからお互いがライバルだ。彼女が相手になるとは思えないな、という呟きを胸にしまってオレは彼女に被った笑顔を向けたのだった。
風変わり過ぎて、ライバルには思えなかったという少女。だが彼女の方は、スタジアムで声をかけたことがかなり好印象を与えたようだ。その次は彼女からオレへと声をかけてくれた。
エンジンシティの出口。さっきは大人しくしまっていたトゲチックたちはもうボールから出してしまったようで、今度は彼女のカバンのポケットに二匹して収まっている。
「キバナ、だったよね?」
「ああ、キバナはオレだが」
「さっきは本当にありがとう。それから、これ」
は手に隠し持ってたものをオレへと差し出した。
見ればそれはリーグカードだ。刷り立てほやほやらしく、傷ひとつないリーグカードの中で、が緊張した面持ちで立っている。
「知り合った人にあげたり、交換するものだって聞いたから。キバナはトレーナーになって初めての知り合いだから受け取って欲しい」
彼女なりの友好の証なのだろう。悪い気はしないが、まじまじと見ると可笑しさが込み上げてくる。
「はは! オマエ、なんだよ、これ」
「え?」
「正面でポーズも何もしてなくて。まるで証明写真みたいじゃねえか」
デフォルトの背景で、あまり感情の見えない瞳は際立っている。彼女らしいといえば彼女らしいが、笑顔のかけらも無いところがちょっぴりシュールだ。
「リーグカードはもっと自由に撮影できるんだぜ。ほら、オレさまの見てみなって」
オレさまもリーグカードは撮影済みだ。我ながらなかなかイケてる感じに撮れたそれをに手渡す。
「オレ、写真写りいいだろ?」
「うん。背景もキバナが目立つようになってるし、ポーズも様になってる……」
「だろ!」
こくこくと頷くは素直で可愛い。ポーズまで褒められて、気分が良くなる。
「オレさまのリーグカード、やるよ。次はこれ参考にして背景変えたりラミネートしてみろよな!」
「あ、ありがとう!」
喜んでくれたのだろう。の頬が朱に染まる。彼女の感情の揺らめきに、オレも一瞬ぐらりと揺らめく。まるで瞬きの間だけ世界が逆さになったみたいな感触が在った。
けれどすぐに忘れて、オレはポケモントレーナーとして初めての出会いに気分良く彼女へ手を振ったのだった。
ほんのちょっとしたことをきっかけに少年だったオレと、少女だったの友情は走り出した。
開会式直前に声をかけてしまった時は彼女のことなんかすぐに忘れるだろうと思っていた。なのに交換したリーグカードのおかげですっかりの顔を覚えてさせられてしまった。
エンジンシティから旅立つ時も、一つ目のジムでもすれ違った時も。は軽やかな足取りでオレに近づいてきて、そのまま言葉を交わした。
やはりトレーナーとしてはオレさまの方が上手で経験も知識も多いようで、世間知らずな彼女にちょこちょこアドバイスを与えるのがオレだった。
また、彼女自身はよく噂になるタイプのようで、道中での話題は度々耳に入ってきた。
大体はこんな感じだ。
「さっきのトレーナー、なんかかわいかったねー! 仲良しのトゲチックを二匹も連れてて!」
本人は無自覚だが、は目立つジムチャレンジャーなのだ。連れているポケモンが可愛くて珍しいからというのがその理由だ。ポケモンの力を借りて話題になる彼女が、オレは少しだけ羨ましかった。
顔見知りではあるものの、ポケモントレーナーとしてあまり真剣に相手をしていなかった彼女を見直したのはバウタウンでのことだった。
市場の近くの広場で始まったバトル。わざが空をも飛び交うのを見かけて興味本位で駆けつければ、周囲の注目を一身に浴びているのがだったのだ。
「トゲチック、ねがいごと!」
その時に初めてオレはのバトルを見た。
ポケモンと息があってるとはこのことだと思った。一番に抱いた感想がそれだった。
トゲチックを睨み合う、相手のポケモンはイエッサンだ。
タイプ相性はどっちらにとっても弱点をつきづらく、だからこそトレーナーたちは技の読み合い合戦に入っているようだった。
「んー……。トゲチックはとくぼうの高いポケモンだから、僅かにが有利か?」
なんて独り言をこぼした瞬間だった。イエッサンの攻撃がきゅうしょに入った。戦闘不能にはなっていないものの、白い体がぐらつく。
トゲチックの焦りをは敏感に読み取っている。
「び、びっくりした。でも大丈夫、落ち着いて息をして」
トゲチックの動揺を受け止めた上でのの言葉。トゲチックの側も引っ張られて、調子を取り戻したようだ。もポケモンのテンションをより引き上げるように言葉を重ねる。
「ほら、まだ動けるでしょ!」
「くそ! 次のわざで相手をぶっ潰すぞ!」
一方の対戦相手はポケモンを鼓舞したいがために、強い言葉で指示を重ねる。だがそれがイエッサンにとってプレッシャーになっているようだ。
気づけばバトル場には徐々に人が集まってきていた。
人々が足を止める理由はオレにもわかる。
トレーナーの指示に縛られ出すポケモン。反対に追い風を送るかのようなの指示に、動きを加速させていくポケモン。ゆっくりと差ができていく両者。そこには生のドラマが誕生しようとしていた。
「やれる……」
静かに、けれど燃え滾った呟きと共に、の拳が強く握られる。
引き絞られたカメラレンズのように彼女の集中力が増す。そこに見ている側の感情も引き込まれていく。
「イエッサン、サイコフィールド!」
「トゲチック、アンコール!」
うまい、と思わず声に出た。の読みが当たったらしい。サイコフィールドの指示の直後、的確に入ったアンコール。相手のわざは縛られた。そして次の指示も、の戦略がハマったことを意味していた。
先ほどのねがいごとがトゲチックに届き、力を取り戻す。次に繰り出すわざはトゲチックも分かっていたのだろう。指示と同時にトゲチックが飛ぶ。
「とっておき!」
他の全てのわざを使い終わったトゲチックの、渾身の一撃がイエッサンを襲う。
「とっておき!」
あ、と声が出た。トゲチックがとっておきを外した。つまりあのトゲチックの特性は「はりきり」だ。外してしまったことは残念だが、それは別の事実も示していた。
特性「はりきり」を持つポケモンのこうげきは、威力は1.5倍ほどと言われている。つまりあのトゲチックのとっておきは、侮れない威力を持っているということだ。
「もう一度、とっておき!」
二度のとっておきを叩き込んだところでアンコールの効果は切れた。再度イエッサンの反撃をくらって、トゲチックは地に落ち、モンスタボールへと戻った。
はもう一つのボールを取り出す。二匹目のトゲチックだ。
「サイケこうせん、来るよ! 耐えて!」
トゲチックはあえなく相手のサイケこうせんを受けてしまう。
よろめいたが、二匹目のトゲチックはひるむ気配はない。トゲチックの小さい体にしてはタフなとくぼうがしっかり生かされている。
「ようせいのかぜ!」
こっちは「はりきり」の特性ではないのだろう。きちんとセオリー通り、トゲチックの得意なわざが相手を襲う。威力は弱いが、的確だ。数回とっておきを叩き込まれた後の相手は、あえなく体勢を崩し、そのまま起き上がることはなかった。