君という名のモンスターとの出会い



 ジムチャレンジという旅路は、楽しくて残酷だ。関門のように待ち構えるジムリーダーたちに足を取られ、進むごとにライバルが減っていく。順調に前に進むもの、あとから息を上げて追いつくもの。その差は、後半になるにつれて顕著になっていた。
 4つめのジムを越えた辺りからだ。はこれから挑戦するスタジアムで会う奴ではなく、オレを後ろから追ってくる存在になっていた。

「キバナ!」
「よお、追いついたか」
「うん!」

 オレへと手を上げてるがきらりと笑う。
 笑顔を返しながらオレは胸をほっと撫で下ろしていた。本当は昨日、この街を発とうと思っていたのだ。ちょっとした気分の問題で数日延期したところだった。おかげでと会えた。
 どことなく、互いの立ち位置の違いに気づきながら、それでもオレたちはトレーナー同士として笑顔と言葉を交わし合う。

「調子はどうだ?」
「相変わらずいっぱい負けてる。キバナの勝率にはかなり遠いよ」
「でも大事なバトルでは必ず勝ってる。そうだろ?」
「まあね」

 オレは明日にはもう次のスタジアムを目指す。せっかくだから先に滞在していて見つけた、パスタの美味しい店にでもを連れて行こうかと考えていたところ、オレはめざとく見つけた。
 のいつものバッグに施された、上質な刺繍。ツヤツヤと光るそれをオレは指差して聞く。

「なあ、そのバッグについてるロゴ、もしかしてさ……」
「うん。初のスポンサーがついたの」
「まじか! やったな!」

 明るいニュースに、弾かれたようにオレはの肩をたたく。

「ジムチャレンジャーのうちからスポンサーなんて! そんなのオレさまもまだだぜ?」
「ありがとう。小さな食品関連の製造会社なんだけど、バトルしてるところを見かけてすごく気に入ってくれたみたいで」
「食品関連って?」
「変わり種のポケモンフーズをメインに作ってる会社だよ。人間向けには、トゲピーの殻の柄をデザインしたミルクプリンが売れ筋なんだって」
「なるほど、トゲピー繋がりも決め手か! にぴったりじゃねえか」
「そういうこと」

 ロゴも社名も、あまり聞いたことのないところだが、にを認めてくれる誰かがいたというだけでなんだか嬉しくなる。しかも社をあげてをバックアップしてくれるのだ。
 ジムチャレンジャーのうちからスポンサーがつくことは珍しい。だが、ありえないことでは無い。はひとつ、スターポケモントレーナーとしての夢を実現させていた。

「いいなぁ、オレさまもスポンサーが欲しいぜ」
「キバナなら絶対、もっと大きいところがついてくれるよ」
「だったらいいんだけどなあ」

 有名企業のロゴをウェアに入れて、スタジアムでポケモンバトルをする。いつか絶対叶えてやるとそのトレーナーズ・ドリームに思いを馳せていると、が言う。

「それでキバナにお願いがあるんだけど」
「ん? なんだ?」
「スポンサーつくようになったなら、もっと身だしなみに気を使うようにお母さんにも言われたの。だから、新しいウェアか洋服を買おうと思ってるんだ」
「つまり?」
「……選ぶの、キバナに手伝ってもらいたいんだ」

 願ってもない依頼だった。
 オレはファッションが好きな方だ。ブティックは見てるだけでも楽しくなれるし、旅なんかしてなければ小物は無限に増えていただろうし、お金があれば靴にもこだわりたい。
 そんなオレから見ればの服装はシンプル過ぎる。持ってるいい素材を活かしきれてないと思うし、まだまだ遊べるとも思う。もったいないの塊なのだ。

「任せろ!」

 満面の笑顔で即答し、を置いていきそうな大股でオレはブティックへと向かったのだった。

「オレさまの好みでいいの?」
「変じゃなければなんでもいいよ」

 実を言えば、を見ながらよく思っていたのだ。あんなアイテムやこんなラインの服を着たら絶対似合うのに。
 女の子の服は、場合によっては男物よりもずっとデザインのバリエーションもある。色とりどりの中から彼女に似合うものを選ぶ。頭の中で繰り返したことのある作業を、本物のお店で、本人に試着してもらいながら実際にやってみる。
 それはやはり、楽し過ぎる時間となった。

 試着を重ねていくうちに気分が徐々に上がってくるようで、もにこにこと笑い出す。それがまたオレのテンションをあげる。
 表情をよく見ていれば、彼女の好みもどんどん掴めていくのも楽しさの理由だった。そうか、オマエはこういうのが好きなんだな。そんなちょっとした気づきなのだが、が好きなデザインを当てられると、ちょっとしたクイズをクリアしたみたいに達成感があった。

 楽しみながらも真面目に、オレは彼女の服選びをした。
 とトゲチックたちのイメージを崩さない、印象の良さそうなワンピース。この先の街は寒い気候なので上からニットを合わせる。靴は旅のことを考えてやっぱりスニーカーだ。
 かしこまり過ぎないよう、帽子は少し遊びのあるデザインのものを選んだところで、の予算オーバーとなった。

 服に合わせて小さなアクセサリーもあれば完璧だったが、の予算の都合で断られてしまった。
 一瞬、オレが買ってもいいかと思ったが。それは何かとオレの間柄では受け取ってもらえない気がして、変な怖さを覚えてしまい、忘れることにした。

 ブティックで一番大きいであろう紙袋を抱え、オレたちはカフェに落ち着いた。ぶっ続けで服を選び続け、二人ともくたくただった。

「はー……、楽しかったぁ……」
「すげえな。オレたち、服屋に3時間もいたみたいだぜ」
「うわ、ほんとだ。お店の人たち、迷惑じゃなかったかな」
「どの店でもしっかり買ったんだから大丈夫だろ」
「だと良いんだけど。あんなに一気にお金使ったの、初めてだったな。予算ちょっとオーバーしちゃったし……」
「でも、大満足だろ?」

 はこくこくと何度も頷いた。

「特にこれ、お気に入り。自分じゃ絶対選ばないデザインだから」

 そう言っては紙袋から帽子を取り出した。かしこまり過ぎないよう、少しだけ味の違うデザインをと思ってチョイスしたものだった。確かにいつものの服装とはジャンルが離れているが、オレさまの睨み通り、の良さを際立たせるのに一役買っている。
 キバナに選んでもらってよかった。そう彼女がはにかんだ笑顔で言うのを聞くと、オレも嬉しくて、疲れを忘れられる気がした。

 興奮を覚ますように冷たいドリンクを口をつけていると、さっぱりする。と同時に夢の時間から覚めていく感覚もあった。
 ブティックの中、オレとの間柄はジムチャレンジャーという枠から抜け出した何かだった。戦績とか勝率とかパーティ構成とかを忘れて、もっと単純な生き物になれていた。
 だけど明日、オレは次のジムを目指して街を出る。はこのジムを突破するのに何日かけるだろうか。差がより開いて、次の街ではいよいよ会えないかもしれない。
 現実を思うと嫌な気持ちになる。オレはのバトルが好きなのに、ふと、がポケモントレーナーじゃなければという、意味のない並行世界を考えてしまっている。

「オレさまの悩み、オマエに聞いていいか?」

 暗い影を振り切るように、オレは向かいの席に話題を投げかける。
 は素直に耳を傾けてくれる。

「最近、オレさま、ヌメラをゲットしたんだ」
「ヌメラかぁ。すごい、雨の日に出会えるらしいけど、それでもなかなか見かけないって聞いたなぁ。ドラゴンタイプのポケモンだよね」
「そうだ! ドラゴンタイプのど真ん中、それがヌメラだぜ」
「でもヌメラって大器晩成型で育てるの大変っていうのも聞いたことある」
「そう、そうなんだよ……」

 まさにに相談したいことがそれだった。ヌメラは強く頼もしいドラゴンタイプだ。だがヌメラのままだと相当非力なのだ。

「もちろん、苦労と手間があるってわかってオレさまもヌメラを選んだんだ。育成の大変さについて文句はない。だがな、怖がられてるのはどうにかならないかと思ってな……」

 が目を丸く見開く。笑われそうな密かな悩み。は笑うことはしなかったが、後から気まずさがやってくる。

「キバナ、怖がられてるの? ヌメラに?」
「何回も言わないでくれ。これでも苦労してるんだ」

 そう。育成の苦労、ひいては成長の遅さについては織り込み済みだった。
 それでも他のポケモンも育ってきている中で、必ず立派なヌメルゴンに育て上げてやる。その決意の元、何日も雨の日を練り歩き、ボールを投げたのだ。
 ボールには収まってくれた。だがいざボールから出すと、オレさまが覗き込むだけでヌメラは震え上がってしまうのだ。

「オレさまの見た目にビビっちまってるのもそうだが、多分ヌメラはまだ人間というものにも慣れてないんだ」
「なるほど。人がヌメラをなかなか見つけられないみたいに、ヌメラも人間をあまり見たことが無いんだね」
「ああ。まず時間が必要ってのは分かってる。でもほら、とトゲチックってすげえ仲が良いだろ? だからポケモンと仲良くなるコツ、とかをだな」

 は女の子で、ヌメラはメスで、ヌメラもまあ女の子と言って差し支えないだろう。
 トゲチックという小さな体のポケモンとは強い絆を結んでいる。それ以外にも前にはやせいのバチュルを手懐けて肩に乗せていたり、彼女は何かとポケモンと距離を縮めるのがうまいのだ。
 それに体格差も。オレとヌメラほどでも無いが、普通の少年少女以上の差が互いにある。それでも普通に付き合い、振る舞ってくれるは相談相手にぴったりだった。

「コツって言われても……」

 うーん、とは軽く頭をかしげてから、さらりと答えた。

「そのままのキバナでいいんじゃない?」
「んなわけあるか。そのままでいいなら苦労してねえ!」
「でも、キバナ、優しいじゃない」

 苦労してねえと身を乗り出していた、そのポーズのまま固まってしまった。の言ったことが、理解できなかったからだ。

「私に優しくしてくれるみたいにヌメラに接したら大丈夫だよ」
「………、……は?」
「え?」

 口がかっぴらいたまま、変な汗が出てくる。

「優しいって……、オレが、か……?」
「キバナは優しいよ?」
「……、……」

 言葉は途切れた。にかけてきた今までのことが大波となってオレを飲み込んでいたからだ。

 誰も知り合いのいない場で、自分から声をかけて本人が気づけなかったことを教えた。
 差し出された初々しくて拙いリーグカードを快く受け取って、お返しのカードも渡した。
 彼女のバトルを褒めた、自信を持てと励ました。
 それらは確かに、優しい行いと呼ぶことができるだろう。だが、オレは全くの無自覚だったのだ。

 彼女に優しくしたつもりはなかった。自分から声をかけたのは、周囲の空気に気づかないに、オレ自身が居た堪れなかったからだ。リーグカードを受け取ったのは証明写真みたいな出来のそれが、面白かったから。お返しにカードを渡したのは自分のよくできてるカードを見せびらかしたかったから。彼女のバトルに賞賛を送ったのは、バトルそのものが素晴らしかったから。
 全部、自分の感情がちゃんと元にあって、全ては我欲のままの行動だった。
 なのにそれが”優しい”という言葉でまあるく包まれてしまい、襲ってきたのは猛烈な、顔に火がつくほどの恥ずかしさだった。