私より長生きをしてください。精一杯の幸せを掴んで生きてください。

 その願いは皮肉にもわたしが長生きすることではなく、アーロン殿が先に命を散らすことによって叶えられた。あの日わたしの死の可能性を感じさせた戦争で命を落としたのは、わたしではなく、アーロン殿だった。

 わたしがアーロン殿が帰らぬ人になったことを知ったのは、戦争の終結より少し遅れてのことだった。なぜかリーン様がわたしをお部屋に呼んでくださり、参上するとその口から直接伝えてくださった。
 アーロンははじまりの樹の力を使い、戦争を防ぎました。その結果、彼は命を落としました、と。

 発言を許されて、なぜそれをわたくしに仰るのですかと聞くと、リーン様は一層悲しそうな顔をされて胸が痛んだ。


「そうですね、わたくしが全てを話すことはいたしませんが、わたくしが一番多くアーロンの口から聞いたのは、貴女の名でした」
「………」
「驚かれていますね」
「……はい。わたしは友人が少ない方ですし、アーロン殿との時間もそれほど……、………」
「一緒にいた時間が全てではなく、貴女が見てきたアーロンもまた全てではないということですよ。アーロンが貴女の全てを知ることが出来なかったように」
「………」
「あの方が見てきた様々な世界の話を聞くのが好きでした。しかしそれと同じくらいアーロンの人らしい姿を見るのがわたくしは好きでした」


 前を見据える瞳に情が滲む。


「アーロン殿はリーン様のために……」
「いいえ、違います。アーロンは、わたくしのためだけではありません。城のため、国のため、無益な戦いに身を投じた者のため、皆の未来のために命をとし、そして――」


 死んだ、とは言わなかった。リーン様は彼の名誉のために、こう言った。


「波導の勇者になったのです」


 先の戦乱で、唯一の戦没者となったアーロン殿。その奇跡のような煌めきを持った命を、たったひとつの命と数える人間はオルドラン城にはいなかった。


『貴女に望むものを何でも与えましょう。わたくしの気持ちです』


 悲しみの色の瞳がわたしを見据える。なぜかは分からなかったが、リーン様はわたしのことを気にかけてくださるようだった。


『では、ひとつだけ、したいことがあります』
『言いなさい』
『はい、わたしは――』


 わたしが望んだのは、アーロン殿が遺していったピジョットの世話をさせてもらうことだった。主人を無くしたピジョットが気がかりだった、と同時にわずかに残されたアーロン殿はここに在ったという証拠に触れていたかった。
 はじまりの樹の方角を見ては、ルカリオの姿を探したが、ルカリオも戻ることは無かった。あのルカリオはアーロン殿を強く慕い常にアーロン殿と共にあったのだから、運命を共にしたに違いない。そう思った。

 城の中にあった鮮やかな青色が消え、代わりに英雄が生まれた。人々と心の中と絵画の中に波導の勇者アーロンが。
 オルドランには元の平和が訪れて、わたしは元の仕事にピジョットの世話を加えた生活に戻った。小さな仕事をわたしは一生懸命にこなした。そうすれば失ったものは戻らないとしても、また城の歯車のひとつに戻れると思っていたからだ。思っていたのだが、その後一月もしないうちにわたしは崖から転落し死ぬことになる。軍勢の通った後で荒れた道を一人歩こうとして、あっけなく落ちたのだった。

 死にゆく視界は穏やかであった。町の外れで知り合った少女のために摘んだ花が目の前で散っていたし、驚いたことに死の間際にアーロン殿のピジョットが横に降り立ったのだ。
 ピジョットはわたしを見つめ状況を理解しながらも、何もしようとはしなかった。賢いこのピジョットが諦めているのだから、ああわたしはもう助からないのだと早々に理解出来た。
 光るピジョットの羽。まるで天からの迎えだと思ったが、同時に悲しくなった。彼はつい近くに主人の最期を迎えたばかりで、また人の死に立ち会わせてしまうとは。ふがいないばかりだ。そういった意味でも死にたくないと思ったのだけれど、崖は高く、人はおらず。全身に走る痛みで、死に抗うことは出来そうにないと悟った。
 わたしはここで終わる。アーロン殿の死に感じた胸の痛みが、わたしの家族にも向かうのかと思うと、申し訳無かった。

 死に際に考えたのはアーロン殿に満足いただけるだろうかということだった。せっかくアーロン殿との約束は守れたというのに、彼より長生きできたのはたった一月弱であった。しかし弁明が許されるのなら言いたい。例え短くとも、確かに貴方の願った未来、貴方が作ってくれた時の中でわたしは生きました、と。

 あの丘で共有した時間があって良かった。
 口に出して誓った約束がもたらしたのは、わたしが貴方のために生きる時間。貴方のために生きましたと言える、口実だ。

 日々は美しかった。働けたことは喜びだった。そこで頑張る理由に貴方の名を出せて、わたしは恵まれた時間を過ごせた。
 昇った先でアーロン殿に会えたなら、伝えよう。ありがとう、と。貴方に伝える言葉は、死に際しても未だそれ以外に思い浮かばないのだ。