バトルフロンティアには様々な施設がある。どれも高度にバトルの腕前が要求され、挑戦しがいがあるのだが、私が特に気に入っているのはバトルタワーだ。心通わした相棒たちと、勝って勝って勝ちまくって、どこまで連勝出来るかで腕前を競う。分かりやすいルールでの勝負がまさに腕を試されているようで、バトルタワーには足茂く通っている。
その日も私は時間を作り、バトルタワーへ向かった。エントリーしたのはいつものタッグバトル。すぐに私と組んでくれる人が決まり、待機室へ通される。
中では案内役の女性が私を待っていた。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
私から挨拶すると目線を外して浮かべられた笑みと挨拶が返された。おや、と思うがその職員が喋り始めたので気付きは流れていった。
彼女は笑顔ながらも淡々と、バトルルールの説明をしてくれた。ルールについては何度も聞かされて、そろそろ真似して言えそうなくらいだ。聞きなれたフレーズだからこそ、小さなことが耳にひっかかる。違和感を覚えて見下ろした彼女の姿にやはり、あれ、とひっかかるものがある。彼女は、もしかして……。
「もしかして、緊張されていますか?」
「あ……、はい、実は……」
「やっぱり。大丈夫ですよ、落ち着いてください」
「す、すみません。緊張しているのはこれからバトルをされるトレーナーさんの方なのに……!」
「いえいえ。まだ働き始めたばかりの新人さん、とかですか?」
「いえ、わたしいつもはバトルキャッスル配属の人間なんです。今日は人手が足りないそうで、急遽バトルタワーでトレーナーさんの案内をさせていただくことになりました」
そういって彼女はぺこりと頭を下げた。
指先まで気を張らせた恭しい一礼が、彼女がバトルキャッスル勤めだということを如実に表していた。
「何か気になる点ありましたらどうぞお申し付けください」
「いえ、大丈夫です。私はここに慣れていますので」
「そうでいらっしゃいましたか」
彼女がほっ、と顔を綻ばせたところでインカムに通信が入ったようだ。
「お待たせしました、ご案内いたします」
ドアの方へと振り向き、私の前を歩く彼女は数歩踏み出してすぐ、転んだ。私の目の前で、1cmもない段差につまづいたようだ。一瞬焦ったが、ちゃんと手が前に出たので大きな怪我はないだろう。
「大丈夫ですか?」
「す、すみません……。こんなところに段差があるのですね」
「本当にここに慣れてないんですね」
手を差し出すと、彼女は真っ赤になってすぐに立ち上がった。
掴んで貰えなかった手は元に戻す。
「ご心配おかけしてすみません」
「いえいえ」
「改めましてご案内いたしますね。トレーナーさん、頑張ってくださいね」
駆け出しの大事な1戦目。タッグバトルの相手の腕前がどのくらいかとか気が合うかとか、今日のポケモンたちの調子だとか。気を巡らせなければいけないことより、私の頭の中では先ほどの一連の出来事がよぎっていく。
お世辞や社交辞令じゃなく、本物の感情を込めて彼女は私を応援した。それがまたいつものバトルタワーでは浮いていて、第一戦に臨む私の中に焼き付いたのだった。
今日私を担当することになった彼女。なかなか風変わりな人だ。
結局そのバトルが終わるまで集中しきれずにいたけれど、危なげなく私とタッグを組んだトレーナーは白星を上げることが出来た。0連勝から始めた第一戦だったので、手強い相手に当たらなかったのが幸いした。次の一戦から心を切り替えバトルに集中しなければ。そうしなければタッグを組んでくれた相手にも失礼というものだ。
ひとつ息をついてポケモンを回復してもらうために職員たちの方へ向き直る。耳に入ってきたのはその職員たちが囁き合う声だった。
「さんはあちらの方の回復をお願いします」
「はい」
という名に耳を疑った。それは私のものではないアーロンの記憶の中でさんざん呼んだ名前だったからだ。声に出すときもあれば、心の中でも呼ばれていた。
偶然にも被った名前。それが耳に触れただけなのだが、私は強く動揺し、ボールを預ける手が止まりそうになった。
アーロンは赤の他人。なのにこうして私に影響を及ぼすのだから、記憶というものは厄介だ。覚えがあるというだけで、まるで自分が実際体験したように錯覚することがある。
だからといって。何をしているんだか。自分で自分にため息が出る。
というのも、現代ではありえない女性名というわけではないのだから過剰反応してはいけないな。
心を持ち直して、彼女にボールを預ける。
そうして改めて彼女の顔を見て、絶望した。彼女は生き写しか、記憶で知るその人そのものと思えるくらい似ていたのだ。
結局私は最後まで気持ちを切り替えることが出来なかった。バトルに集中しようとはするのだが1戦終わって振り向けばさん、その人。見れば見るほどそっくりで、どうしても本人としか思えない。名前までも一緒らしい。
違うところ言えば、言葉使いや頬の柔らかそうな輪郭といった小さなところ。アーロン達が暮らしていたのは生きることがたやすいとは言えない時代。そこで生きる彼女の頬は薄くこけていた。
もっと厳しい世の中にいたら私はアーロンとますますそっくりになった。それと同じように、アーロンの知る彼女が食べることに困らない暮らしをすれば、それがあのバトルタワーにいた“彼女”になるように思えた。つまり私が言いたいのは、生い立ちの差はあるものの二人が同一人物にしか見えなかったということだ。
無事に7連勝を果たした後、私は足早にバトルフロンティアを後にした。少し、逃げ腰で。
一番近くのポケモンセンターへ向かい、近くのベンチに腰かける。空を仰ぐとぼうっと、深いため息が出た。
正直、参った。
アーロンとして生きた記憶は今まで私の内面だけでの問題だった。私の中に他人の記憶があるというだけ。私が記憶のことを胸の内に秘めてしまえば、その他世界は何事もく廻った。
アーロンも、波導使いも、オルドラン城も実際に存在したかは分かっていないので、全ては空想の世界における出来事のように思っていた。そう思う事でアーロンと自分を切り離して考えられたのに、今日、不意に体当たりしてきたのは実際に存在する人間。
それもアーロンの記憶で一番濃く残る、死ぬ数年前からの城で過ごした記憶。そこに常につきまとうという女性だ。
「はあ……」
完全に不意打ちだった。まだ胸がどぎまぎしている。気疲れと、強く反応してしまった自分が情けなく感じられてまた空にため息が吸い込まれていく。
動揺よ、早く収まれ。
30分ほどの休憩を挟んで、私はバトルタワーに戻った。
ポケモントレーナーとして生計を立てている私はバトルをするのが仕事だ。今日の時間はまだ余っている。私のポケモンも「まだ戦い足りない」と言っているに違いなかった。
再度エントリーして向かった待機室。案内役は彼女ではなかった。だからというわけではないが、戻ったバトルタワーで私は好調だった。
シングルバトルでとんとん拍子に14連勝。次に進むとタワータイクイーンと当たる可能性がぐんと上がるのでまた次の機会ということにして、心残りだったタッグバトルももう一週分を追加し、14連勝。計21戦分を私とポケモンたちは戦い抜いた。
心地よい疲れが体の隅々まで行き渡っている。満足するまで戦った。堅実に積んできたBPもだいぶ給った。勝ちを重ねたことで心もすっきりと晴れていた。
陽が暮れて、空は郷愁の茜色。帰り路につこう。その前にひとつ私はぐ、っと背伸びをして、そしてなんとなく振り返った。
「あ、」
彼女だった。、さん。
私と同じく帰宅の途に着くようだ。バトルフロンティアの制服は脱いで、ゆったりとした衣服に身を包んでいる。シンプルで、ともすれば質素な格好がまた、城で身を粉にしていた彼女に重なった。私を見ない横顔にまやかしの既視感を覚える。
彼女がひとつのモンスターボールを取り出した。彼女もポケモンを。ぼんやりとボールが投げられるのを見る。
思わず、息を飲んだ。
ボールから出されたポケモンはピジョットだった。また記憶と目の前の景色が交差する。アーロンが従えたポケモンの一匹にも、ピジョットがいた。私はあのピジョットに見覚えがある、気がした。偶然だろうか。偶然に決まっている。ポケモンの個体差は人間ほど強くないのだから、偶然だ。
言い訳がましく考えていると背伸びをしたままの格好で固まっていた私を彼女が見つけた。つい昼間に会った私を覚えていたらしい、彼女はひとつ会釈をした。私も頭を下げると、彼女はピジョットに乗って夕焼け空の向こうへ行ってしまった。
夕日に溶けていく影を見送る。
あの人を乗せたピジョットに、そうかお前は、と呟きそうになって慌てて口を噤んだ。
その日以来、私とさんは呪縛のようにそこかしこで出くわすようになるのだった。