アーロンの記憶に物憂げな横顔を残す人。その人と同一人物と思えるほどよく似ている女性との邂逅から数日経った。私は何も変わらず、バトルを求めてバトルフロンティアに通っていた。

 彼女の顔を見て、同じ名で呼ばれているのを聞いた驚きは一晩私の心を揺らし続けた。が、朝になれば私は冷静さを取り戻した。突然のことについ動揺してしまったが、私が彼女にひるむ理由は無い。また、関わる理由も無い。
 本当によく似ているだけで彼女は私にとっては他人だ。同じように彼女の方は私を何者とも思っていないはずだ。強いて言えばポケモンセンターで会釈を交わした仲。私がアーロンの記憶を持っているとしても、このままお互い他人として過ごすことを誰が咎めるというのだ。



「モミちゃん、お待たせ!」


 正午近く、簡単に包んできた弁当で腹ごしらえをしていた私の隣を通り抜けた頼りない体。、さん。休憩時間なのか帽子を外し、制服を隠すためか薄手のカーディガンをまとっている。
 彼女の先にいるのは緑の髪を編んでまとめた女性がいる。待ち合わせをしていたらしい。ふたりは私の座る場所から斜め向かい、木陰がかかるベンチに腰掛けた。


「本、ありがとう。モミちゃんのおすすめだけあってすごく分かりやすかった。特にポケモン別の手当の仕方が参考になった」
「それは良かったわ。こっちは?」
「ちょっとしたお礼。お菓子なんだけど」
「わあ、嬉しい」


 さんの持ってきた紙袋の中身で盛り上がる二人。私はサンドイッチの最後を口に詰め込み片づけると、おもむろに持ち歩いていた文庫本を取り出し手元で広げた。本を読むため視線を下に流せば、自然に彼女から顔を隠せる。


「ありがとう。ねぇ、ちゃんもひとつ食べない?」
「ううん、いい。モミちゃんに持ってきたものだからモミちゃんが食べて」
「本当に……、ありがとう」
「お礼を言うのはわたしの方だよ」
「ふふふ。これでコクランさんの質問責めに答えられそう?」
「当分は大丈夫。でもコクランさん、厳しいからなぁ」


 さんたちの会話は柔らかな風に乗って聞こえてくる。
 コクランという名は聞いたことがある。キャッスルバトラーのコクラン。バトルキャッスルに勤める彼女の上に立つ者ということだろう。


「気に入られているのね」
「どうだろう。……この前ね、臨時でバトルタワーのお手伝いをしたの」


 文庫本を読むふりでページをめくろうとした指が止まりそうになる。
 彼女の声が「タッグバトルの方に配属されて、主にトレーナーさんを案内誘導したりしてたんだけどね」と続いたのだから、恐らく私も居合わせたあの日のことを話しているようだ。
 なおも私は息を整えさせ雨だれの跡のような活字たちに目を落とし続ける。


「こんなこと言ったら失礼だけれど、またあそこでお手伝いする機会無いかな、って少し思ってるの」
「どうして?」
「理由は色々あるんだけどね。ひとつはバトルキャッスルよりたくさん人がいて、協力し合っていて、和気藹々としていたのが羨ましくなっちゃった」
「確かにバトルキャッスルって豪華で圧倒されるところがあるわ。それに比べればバトルタワーって馴染みやすい雰囲気があるものね」
「そうなの。バトルキャッスルはちょっとピリピリしているというか……」
「みんなあまり仲が良くないの?」
「まさか。バトルキャッスルはコクランさんを筆頭に仕事が出来る人ばかりだから緊張するっていうだけ。コクランさんは特に優秀で、本当はなんでも一人で出来るはずなのに、わたしが入ることで余計な手間をかけていないかいつも不安」


 語るさんの声のトーンは転がるように落ちてゆき、最後は小さく短いため息が吐かれた。隣の女性はそんなさんを優しい笑顔で見つめている。


「ねえちゃん。このお菓子って、美味しいの?」
「え、うん。もちろん。家の近くのケーキ屋さんなんだけど焼菓子も美味しいの。そこでわたしが一番好きなお菓子も入った詰め合わせだよ」
「じゃあやっぱりちゃんも食べて。こういう時に好きなもの食べないでどうするの」


 そういって紙袋から箱が取り出され、いくつかの包みがさんの手に渡る。戸惑い、お菓子を掴みきれないさんに、その人はいっそう優しく微笑んだ。


「大丈夫よ。コクランさんはあなたに期待しているのよ。どうでも良い人なら叱ったり、試すような真似はしないと思うわ。あなたもきっとキャッスルに求められてる優秀な人間のひとりなんだわ」
「モミちゃん……」
「ね、また助けられることがあったら言ってね。ずっと応援しているから」
「あ、ありがとう」
「ううん、いいのよ」


 私は思わず読書のふりを止めていた。顔を上げて見たふたりの顔。彼女たちに浮かぶ笑顔にふと、私まで笑んでしまう。

 アーロンの記憶、私しか知らない物語の中、彼女は数えるほどしか笑顔を見せなかった。愛想の悪さと自分を卑下する性格のせいでいつも一人だった。文句を言わない人であり、けれどもしかしたら文句を聞いてくれる人を持てなかっただけにも思える彼女。そんな人がこちらでは友人を作り、悩みを吐き出している。そして友情に心を震わせている。

 大戦の危機を防いだアーロンは願ったのだ。その後の世界で、どうか彼女が不器用のままで良い、とにかく永く生きてくれますように、と。
 彼女がその後どうなったかアーロンの記憶には無い。ただ似ているだけ、他人の空似。そうは思っても、友人を持った彼女を見ると想像したくなる。彼女の人生の続きはこうだったのではないだろうか。私はアーロンが切に願った光景を見ている気がして、心の中で呟くのだ。ああ、良かった、と。

 さんの「モミちゃん、そろそろ時間じゃない?」という言葉でふたりは解けるように別れた。

 彼女は知らない。ばれなければ良いと思って聞き耳をたてて、勝手にその姿を見ては自己満足に浸る男がいることを。