“モミちゃん”と別れた後も、彼女は木陰の下から立たなかった。たたずみ、笑顔でいることを止めた彼女は握ったいくつかのお菓子を呆然と見つめる。膝に広げてからひとつを手に取った。袋を留めていたスボミー印のシールを丁寧に剥がし、一口かみつく。
 ごく柔らかく、好きだと言っていた洋菓子のはずなのに、彼女の顔は険しい。私は目を見張る。食いしばる顔をすると彼女が過去に戻ってしまったうに見えたからだ。




 スボミー印は見たことがあると思った。その既視感の答えは数日後の散歩中に現れた。やっぱりミオシティで最近出来たばかりのお店だ。一人身の男が甘いものを買う機会は限られているので実際に足を運んだことは無いが、あそこでちょこっと扱っているパンなら気になっていた。今の分が無くなったら試しに買ってみる予定であった。
 まだ少しパンは残っているが。答えが分かったついでに寄ってみることにした。


「いらっしゃいませー」


 からんからんと入店を知らせるベルが鳴る。店内に入ると小麦がこんがりと焼けた香りで、お腹がぐうと鳴りそうだ。
 ひとまず固焼きのパンをひとつ取り、ポケモンも食べられるという丸いパンの包みを取り、徐々に甘いものの棚へ移動する。
 彼女が“モミちゃん”に送ったであろう詰め合わせはすぐに見つかった。「人気です」の札付きだった。形も綺麗だし、焼き色が見事なきつね色だ。美味しそうではある。さすがに箱詰めは買えないよな。左右を見てバラ売りのものを探した。
 それを見ていた店員がプレートを差し出してくれた。


「良ろしければご試食をどうぞ!」


 男がお菓子の購入を迷っているのは店員にはお見通しだったらしい。まじまじ品定めをしているところを見られただろうか。気恥ずかしく思いながら、ありがたくケーキのかけらに手を伸ばした。
 ん、これはなかなか……。しつこくなく私でも食べやすい甘さだ。

 からんからんとベルが鳴る。


「いらっしゃいませー」


 舌鼓を打つ私の横に立つ頼りない背丈。


「本日は何かお探しですか?」
「いえ、つい寄ってしまっただけなんです、すみません……」


 なんと、さんじゃないか。驚きで口の中が詰まっているのにも関わらず息を吸い込んでしまった。口の中でほどけた生地がのどに張り付いてむせそうになって、思わず手で押さえた。
 試食を差し出してくれた店員はさんの応対に切り替えていて幸い私の様子に気づいていない。
 あとはむせそうなのを堪えるだけだ。


「このお店、ミオにもあったんですね。いつもはヨスガシティで買うんですけど、こちらにもあると思わなくてつい寄ってしまいまいた」
「ありがとうございます! 当店は最近オープンしたばかりの三号店になります」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。ちなみにヨスガ支店は二号店で元の本店はソノオタウンにあります」
「元はソノオですか。そうだったんですね。じゃあ……、これをください」


 彼女が小走りで取りに行ったのは小さなサンドイッチと紙パックのジュースだった。また小走りで駆け戻ってくる。私は視線を落としてわずかに顔を隠す。
 彼女が鞄から取り出したのはミミロルの顔を
象ったポーチだ。少しミミロルの鼻の頭が汚れている。小銭入れに使って愛用しているらしいそれからお金を出して彼女は店から出ていった。

 からんからんと扉のベルが鳴る。
 私はようやくのどに詰まっていたお菓子のかけら全てを飲み下し、安堵の息を吐いた。

 私がそのさんの物と思わしきミミロル型の小銭入れを見つけたのはそれまた数日後だった。



 その日、私は読み終えた本を返しにミオ図書館に居た。返却期限をだいぶ余らせて本を返却した私は、なんとなしに漁った書架から興味深い全集を見つけた。思わぬ本との出会いに心を浮つかせながら図書館を後にしようとした時、窓口の近くにある忘れ物コーナーが目に入った。正確には、そこに置かれているミミロル型の小銭入れに目が行った。

 どうやら数日前の彼女はミオ図書館のため、この町にいたらしい。店員との会話からも、彼女がこの町の人間ではないことは分かっている。ミオシティに来たのは初めてではないかもしれないが、頻繁に来る方でも無さそうだ。なぜなら彼女は「このお店、ミオにもあるんですね」と言った。ミオの風景をよく知る人なら「出来たんですね」だとか「あったのに気づかなかった」という言い回しをするだろう。
 だからこそ、たまたまその日ミオに来たさんと同じ時間同じ店に立ち寄った偶然に改めて驚いたものだ。

 小銭入れを手にとってよく見てみる。
 鼻の頭に汚れがある。いよいよさんのものに思える。
 私は窓口の人間に声をかける。


「すみません、この小銭入れ、もう少し人の手に届かないとこに置いた方が良いですよ」
「え?」
「盗る人なんて滅多にいないと思いますが、一応中身お金ですからね」


 係員は目を見開いた。


「それ、小銭入れだったんですか? 確か報告では中身は……、お薬となっていますが」
「え? そんなことはないはずだ。ちょっと開けてみましょう。良いですね?」
「は、はい」


 確認をとってからミミロルの顔の横にあるチャックを引っ張って開ける。中身は確かに係員の言う通りに、いくつかの錠剤が入っていた。それを出して中身を全て出すと、少ないながらも硬貨が落ちてきた。


「わ、本当に小銭入れだったんですね、失礼いたしました! でもどうして開けないままで小銭入れって分かったんでしょうか?」
「それは……」


 確かに係員からしてみると不思議だろう。落とし物の中身をぴたりと言い当てたのだから。私は少し言葉に困る。どんな表現が的確か、すぐには浮かんでこなかった。


「落とし主を知っているから、ですね。親しい人というわけでもないんですが、このポーチを使っているのを見たことがあったんです」
「よく覚えていましたね」
「たまたまです」
「それじゃあその方にミオ図書館でお預かりしていることを伝えていただけますか?」
「え?」
「当図書館ではお忘れ物はご本人様確認を取らないとお渡し出来ないんですよ。少額ながらお金も入っていましたし。ご本人様に直接来ていただかないと」
「あ、ああ、そうでしょうね」
「お薬も入っていてお困りとは思いますが、ご理解ください」


 係員は良い笑顔で頭を下げた。私もぎこちなく頭を下げて後ろへと体を引いていく。


「すみませんがよろしくお願いします」


 返事の代わりに私は片手を上げ図書館から出た。後ろで自動ドアが閉まった音を聞いてから、私は溜めていた息を吐き出した。


「はぁ……」


 よろしくお願いします、と言われてもなぁ……。