「来たのか」


 ミオシティのジムリーダートウガンは汗をぐいとぬぐい去る。この男の動作では拭き取ると言うよりはぬぐい去るといった言葉の方がしっくり来る。


「お邪魔します」
「丁度良いところに来てくれた。これから休憩に入るところだ」
「それは良かった。お土産あるんです」


 包みを見せるとトウガンさんは私にイスをひとつ用意してくれた。良いイスじゃない。作業所にある箱を寄せ集め頃がした、いくら汚れたって良いイス。それに箱の上に板を乗せただけの高さの足りないテーブル。まさに男共の男共による男共のためのティーセットという訳だ。
 嬉しい歓迎に招かれ、歩き寄る。途中、バトルフィールドにいたトリデプスに声をかけた。


「元気そうじゃないか。何よりだ」


 見ない間にまた大きくなったんじゃないのか? 随分雰囲気が変わったような気がする。心境は、親戚の子供を久しぶりに見た時のものだ。
 やはり自分で育てていないポケモンの成長を、公正な目で見るのは難しい。私は何せ人型や、手足を自由に使えるポケモンを多く育ててきたので尚更だ。
 私が育てたことのあるポケモンでトリデプスのようなタイプと言えばメタグロスくらいか。四足歩行のメタグロスの身体感覚を理解するのにかなり苦労した覚えがある。ルカリオのような人型に近いポケモンなら呼吸を合わせ一緒に技の性質を学んでいくということも可能なのだが。その上メタグロスは計算早く、一瞬で様々なことを機械的に考えるタイプだったのだからなかなか苦労した。比べてケッキングは本能に素直だからなぁ。そこが難しさでもあるのだが。
 自分のポケモンに思いを馳せながら席に着くとトウガンさんは熱いお茶を入れてくれた。私は饅頭を差し出し、早速湯呑みで指を暖める。


「トリデプス、また大きくなりました?」
「そうか? ああいうのは元々体が出来上がってるんじゃないのか?」
「なら風格が出てきたのかもしれない。前より大きく見えますよ、彼」


 主人たちが自分について喋っているのを感じ取ったらしい。トリデプスは照れたようだ。ふい、とこちらにお尻を向けてしまった。


「今日はどうしたんだ。何かあったのか」
「いや」
「なんだ。用は無いのか」
「用ってほどのことは。暇つぶしですよ」
「私は暇つぶしか!」
「こうやって親しい人に会って話をするのは数少ない楽しみですから」
「グハハハハ!」


 トウガンさんはこうして豪快に笑う。大きな口を開け、硬く生えそろった歯を見せ笑う。私は友人の笑い声を耳に受け暖かな気持ちになる。


「まあそうだよな! 私も掘ってジムの連中とバトルをして飯食って歯ァ磨いて寝る。そんな生活をしているとこういう単純な楽しみが身に染みたりするものだ!」
「はい」
「君も変わりなくやってるというわけだ」
「そうですね」


 くっくっく、とトウガンさんは笑いを噛みしめる。つられて私の呼吸も笑ってしまう。
 饅頭の箱を開け傾けると、トウガンさんの指が延びた。しかし顔はにやけたままだ。


「いただこう」
「いつものものですが」
「良いじゃないか、いつものもの。良いじゃないか、ルーチンワーク。……ん、ウマい!」
「私も。いただきます」


 なんてことない豆大福をトウガンさんは一口で食べきる。私も、少し無理をしながらも一口でいく。指に白い粉がつき、私の服にも少量降りかかった。


「また皆の分まで持ってきてくれたのか。いつも悪いな」
「いえいえ。そう高いものじゃないですから。食べてください」
「思うんだが、たまには君から持っていかないか?」


 意外な申し出に餅を噛む口が止まる。餡がごっくんと、のどを強引に押し広げ飲み下されていった。


「……、なぜです」
「皆君に興味があるんだ! 君の腕が立つことは私からよく話している。涼しい顔してるが結構な腕前だと」
「トウガンさん……」
「下の連中は君と話してみたいと思っている。だが話しかけづらいそうだ」
「本当に? 私とですか?」
「そうだ。これを持っていってやれば良い」


 予想外の申し出に私は本気で困ってしまった。
 悪気無く言うトウガンさんに、断っては悪いかと思いつつも見知らぬ年下のトレーナーたちをに囲まれる自分を想像すると悪寒が背中を走った。
 社交辞令で用意した菓子を持って、羨む視線の元へ自ら降りていくなんて。ごめんだ。


「遠慮します。私が彼らにしてやれることなんて無いでしょう」
「君はそう言うが、私は君が秘めているものに時々圧倒される」
「それはトウガンさんの人柄でそう感じるのでしょう。トウガンさんは謙虚で勉強家だ。私など、ひけらかしたら中身が無いのがばれてしまう」
「底知れないの間違いじゃないか?」
「まさか」
「君は、バトルは攻撃的な癖に考えは保守的だ」
「正直今が一番大事なんです。シンオウの隅っこで日々の事に興じるのが。何か欲をかいて今の居場所を追われては困る」


 私の答えにトウガンさんは釈然としない表情を浮かべつつも、それ以上を求めることは無かった。


 トウガンさんのところを程々に暇して、歩きで帰る道。不意にルカリオが私を案じる感情の波を伝えてきた。


「大丈夫だ、少し落ち着いてきたような気がするよ。お茶も美味しかったし」


 そう伝え、ボールを撫でる。


「良い時間だった」


 しみじみと呟いてしまう。
 ああやって気の合う人と過ごす時間は、幸せと呼んで良いだろう。


「今夜は何を食べようか」


 家の鍋に昨日の残りのスープがある。スープは残り物だが出汁が濃くなって美味しいだろうし、パンだけはバターをしっかり乗せて食べよう。そしたら熱い風呂に入って、いつもと同じ時間に眠ろう。
 そうやって小さな幸せを重ねよう。

 私は今、自分に優しい時間を要している。
 大笑い出来なくとも、自然に笑んでいられるところに自分を導きたいと願っている。
 自分に戻る時間が欲しいのだ。
 彼女のために。

 さん。アーロンの記憶にいたその人が目の前に現れたとき、求めていた邂逅を果たしたような感覚に陥った。
 同じ名前、同じ容姿を引き連れた二人を、どうしても分けて考えることが出来なかった。

 だから私は今、自分に優しい時間を要している。
 彼女を好きにも、嫌いにもならないために。アーロンの記憶に私の人生が左右されないために。彼女にアーロンの愛した人の影を見つけずに、当てつけのように遭遇する彼女に疎むこともせずに。どうか感情に捕らわれないように。ゲンという一人の人間として彼女とすれ違うために。
 私は、今。