行きがけにふと思い出した。家の救急箱の中、絆創膏が欠けている。傷ついたムックルを見つけた時に使ってしまったのだ。その時ガーゼも切れていたので、きずぐすりがしっかり効くように代わりに絆創膏を貼って、包帯を巻いてやった。飛べなかった彼は数日をかけ全快すると野生に戻っていったのだけれど、その時救急箱の中身をいくつか使いきってしまった。
 忘れないうちに今買っておくか。私は進路を90度曲げ、一旦薬局へと向かったのだった。

 そしたらどうだ。絆創膏や軟膏やらを買った私はさんに遭遇した。本日のさんは園内で転んでしまった女の子をあやしていた。小さな女の子だというのに親らしき大人はいない。迷子なのだろうか。女の子の膝は赤く擦り剥けている。両親のいない事への強烈な寂しさと、傷の痛みが乗った泣き声は痛々しくすさまじかった。
 さんはスカートのまま膝をつき、困り笑顔で彼女を見上げている。少女の痛みに寄り添うように幾度も言葉をかけているが、少女はなかなか動悸が収まらないようだった。
 私の目がゆっくり、さんから自分の持っている袋へ行く。なんというタイミングだろう。今日の私は絆創膏を持っている。それだけじゃない、予備に買った消毒液まで持っている。いつもは持ち歩かない人間用のものだ。そして今まさに、目の前で必要とされている。
 ずっと忘れていた救急箱のことをふと思い出したのはこのためだったか。全く予想できなかった。完敗だ。
 仕方無く私はモンスターボールを取り出した。


「ルカリオ、こんなことを頼んですまないが、あそこの彼女に届け物をして欲しい」
様のことですか』
「……知っていたのか」
『はい。あの人の波導は』
「いや、知っていたなら別にそれで良いんだ」


 ルカリオの前でさんのことを口に出したのは始めてだった。が、さすがに気づかれていたらしい。
 私は袋の中を整理する。今彼女たちに必要なものだけを残してルカリオに差し出した。


「これを届けて欲しい。必要だろうから」
『ゲン様は行かれないのですか?』
「私はいいんだ。おまえに頼むよ」


 ルカリオはこくりと頷き私の手から袋を受け取った。軽やかに跳ねて行ったのを見届け、私はそっと木の陰に身を寄せた。
 さんの子供に向ける甘い声が聞こえてきたのはそのすぐ後だった。


「見て見て。ルカリオが心配して絆創膏を届けてくれたよ」
「お、おねえちゃんのルカリオ?」
「ううん。わたしの知らないルカリオ。だけどきっとあなたに泣かないで欲しくて持ってきてくれたんじゃないかなぁ」
「ルカリオが……?」
「うん、きっとそうだよ。ルカリオに聞いてみて」
「ルカリオ……」


 自分にふられるとは思っていなかった少しルカリオが、戸惑った空気が伝わってきた。思ったより重い荷を背負わせてしまったようだ。
 けれどすぐに波導となって伝わってくる。


『泣くな』


 毅然としたルカリオの声に、少女は頷いたようだった。


「じゃあまず、お膝のけがの消毒をしよっか」
「う、うん……」
『では。私はこれで』
「ま、まって! いかないで……」
『………』
「いかない、でぇ……」
『分かった。ここにいよう』
「うんっ!」
「ありがとうね、ルカリオ」
『……構わない』


 ずいぶん気に入られたようだ。私は木陰の下で笑みをこぼした。それがルカリオに伝わったらしい。ルカリオがむっとしたのが分かった。


「よし、これで大丈夫。よく我慢したね。いい子だからきっとすぐ直っちゃうよ」
「うん……」
「これからお父さんとお母さんを探そう。おねえちゃんが放送かけてあげるからきっとすぐ会えるよ」
「まいごセンター、いくの?」
「そうそう。よく知ってるね! 歩ける? おねえちゃんがおんぶ、してあげようか」
「やだ! ルカリオが良い!」
『………』


 声が出てしまいそうになって思わず片手で口を覆う。


「そっか。ルカリオ、かっこいいもんね」
「うん。おうじさまみたい!」


 また笑いそうになった。
 ゲン様! とたしなめる声のようなものが伝わってくる。


「良かったじゃないか、行ってあげなさい。私はここで待ってるから」


 さっきから一人で笑いをこらえていた私がついに一人喋ったので、隣の人は大げさに私を見た。幽霊と話しているように見えたかもしれなかった。


「王子様かぁ。おねえちゃんもそう思うな。でもルカリオはきっと誰かトレーナーが――」
『分かりました』
「ルカリオ?」
『私なら大丈夫だ。共に行こう』
「やったぁ!」


 手の爪をしまって、ルカリオは少女を片腕に抱えた。片腕で軽々と持ち上げられたことに少女はまた歓喜の声を上げる。涙は完全に引っ込んだようだった。


「ごめんなさい、ルカリオ」
『問題無い』
「じゃあこっち。ついてきてくれますか」
『ああ』


 一行は行ってしまった。
 親を求めて泣く少女はいなくなり、あたりは元のざわめきを取り戻す。少しして放送がかかった。ルカリオが早々に帰ってきたのだから、一回の放送で両親はちゃんと迎えに来たらしかった。
 私の横に立ったルカリオはご機嫌斜めだ。目をしかめている。


「よく離してもらえたな」
『ご両親に説得してもらいました……』
「良かったな。あんな可愛い子に好かれたら、おまえもまんざらじゃないだろう」
『ゲン様!』
「悪い、からかっただけだ。ご苦労さま。よくやってくれた。ありがとう」
『いいえ……』


 彼のしっぽがゆっくりと揺れ始める。容赦してくれたようだ。


『帰ってくる時、あなたの事を聞かれました。トレーナーは誰かと』
「そうか」
『私は何も言いませんでした』
「そうか。ありがとう」
『……何を考えているのですか』
「ん? そうだな」


 私がルカリオのことをよく分かるように、ルカリオにも私のことが分かるようだ。

 私は記憶を巡らせ考えていた。
 その時に必要なものをなぜか持っている。相手が必要とした時、偶然にもそれを差し出せる。それは、私の役目では無かった。

『アーロン殿』

『ああ、それならば』

『よろしければ、お使いください』

『どうぞ』

 塗り薬、ちょうど良い長さのひも、あるいは知識、力になってくれる人の所在。彼女は全て知っているかのように持ち合わせていた。そして無条件にアーロンへ捧げるのだ。

『返さないでください。たまたま、持っていたのです』

『本当です、偶然です』

『お役に立てて光栄です』

 そして彼女が残していったあれやこれを、記憶の中の私は愛しく見つめる。時々顔を近づけたくなりながら、渡されたそれが消耗品や、返しようのないものであることを切なく思いながら。