冷たい風が吹きすさび、彼女の髪も大きく荒れ、木の葉と町の塵が私たちの間を通り過ぎた。風で彼女の髪や、葉なんかが幾度か、彼女の表情を遮ったが、彼女の見据える視線はぶれることなく私を見据えていた。
「ちょっと、……ちょっと待ってくれ」
「はい」
私は重たく深呼吸をした。問いたいこと、言いたいことがいくつも浮かんで、半ばこんらん状態のまま私はさんに問いかけた。
「まず、オルドラン城は今も存在するんですか? 本当に?」
「一応それらしきものはありました」
それらしき、とさんは言う。
「この数日間、私は、世界のはじまりの樹というよりはミュウの言い伝えを集中的に調べたんです」
「なるほど、ミュウですか……」
「はい。土地の名前や、伝説を探すよりも、ミュウの存在が一番の証明になると思いましたので。
そうしたら、カントー地方の北西に、ゲンさんの話に近い場所を見つけました。ミュウのすみかと言われる秘境。険しい道のりと、その場所を守るように強力なポケモンも生息しているそうで、内部が調査されたことは無く、人が立ち入った記録もほぼ無いそうです」
まるで答え合わせをするかのように私の記憶も蘇る。
戦争が始まってしまった日、たった一人でミュウに会いにいったアーロンの記憶をさかのぼる。思い返す道のりは確かに険しかった。
元来、人が立ち入る場所では無いために、道などはもちろん無かった。その場所を守る強力なポケモンとは、レジアイス・レジスチル・レジロックのことだろう。
「そこから一番近い――といっても、車で行っても何日かの距離があるのですが――古い建築物を探したらひとつだけ、古城がありました。今、わたし達の言葉ではキャメロン宮殿という名で伝わっています」
「……、オルドランでは無いんですね」
「はい、そうなんです。キャメロン宮殿周辺の観光の本も調べました。あまり情報は多くありませんでしたが、言い伝えとして“古くはミュウが城に訪れいたずらをしに来たこともあるようだ”、と」
「………」
「あくまで言い伝えとして、ですね。きっとミュウに関しては意図的に情報を出していないんでしょうね。ミュウほどのポケモンです。あまり居場所が有名になりすぎると、悪いトレーナーに狙われてしまいますからね」
今のさんに、アーロンとの記憶は無い。故に世界のはじまりの樹を知らないはず。なのに、彼女が調べ上げた情報は、は私の記憶と矛盾を起こさなかった。
道のりのこともそうだ。オルドラン城でも、確かにミュウがたびたび現れていた。私は帽子を深く被り直す。じわりと嫌な汗が首筋を伝っていた。
「実は、そのガイド本の中にアーロンさんと思われる人物の存在も書いてあったんです」
「ほ、本当ですか?」
「定かでは無いんですが……。観光雑誌に、城内を案内してるページがあったんです。内容としては城の壁画の写真に“波導の勇者の肖像画”という説明がついていた、というだけなんですが……」
私は思わず閉口した。アーロンが、城内で肖像画になっている? めまいがしそうだ。
さんはそんな私には気づかない。私の相づちが無くとも、熱のこもった口調で見つけ出した情報のことを語り続けた。
「それでも調べているうちに、気になることがたくさん出てきてしまって……。だから一度行こうと思うんです、キャメロン宮殿に。わたし自身のためにも」
静かな決意のみなぎる言葉に、私は思わず目を見張った。けれどすぐ、さんは弱々しく目を伏せて、不安を滲ませる。
「どうしたんです? 何か、不安なことが?」
「調べ始めたらこんなにあっさりと、それらしき古城が見つかってしまって……。あまりに話がうまいので、わたしの早とちりの可能性は、正直あります。……今はそこが一番の不安だったりします」
「ああ、そんなことですか。心配は要りません。元々、探せば見つかるものだったんですよ」
「そうでしょうか……」
「ええ。貴女が知ろうとしたから、道が開かれたのだろう。私は……」
たくさんの記憶を鮮明に持ちながら、私は一度もオルドランを探したいとは思わなかった。私は私として生きたかった、過去を追う意味もわからなかったから、そっと遠ざかって見ないようにして生きてきた。
だけど彼女は求め、望んで、手を伸ばした。
「私は、今までオルドラン城のことなど一度も探したりしませんでした。興味が無かったですし、今更この身でオルドラン城に行って何になるか、分からなかったからです。関わりを持ちたいと思ったことはありませんから」
私が長年、オルドランの所在を知らなかったのは、単に目を背け続けただけだ。ずっと前から隠されてなどいなかった。見つけようと思えばいつでも見つけられる場所にそれはあったのだ。
そして私には彼女の言うキャメロン宮殿とオルドランが同じもののような気がしていた。
「それで?」
「え……?」
「もしそのキャメロン城とやらが本当にオルドラン城をだったとして。だからといって何になるのか、私には分からない。今の出来事が変わるとは思えません」
「それは、そうかもしれませんが……」
「なら、行ってどうするんですか?」
攻撃的な疑いを向けても、さんは少し首を傾けて、困ったように笑うのみだった。
「目的は……、色々あります。自分の目で確かめたいのもそうですし、現状をどうにかしたいという気持ちもあります。あとは、知りたい。わたしは、アーロンさんの気持ちとか、考えを知りたいと思うんです」
「……、アーロンの?」
「はい。アーロンさんの心が分かれば良いと思います。今回のことの原因が例え突き止められなくても、何も分からない今のままよりは良い。ゲンさんとわたしのこの状況が続いてしまっても、そこに人の心が存在すると知れたら。きっとわたしはどうにか受け入れられるんじゃないかと思っているんです」
「………」
「わたしたちが巡り会うことに、アーロンさんの意志があるのなら。アーロンさんのせいだとするのなおさら、アーロンさんの声を探したいと思います。そうしたら、きっとゲンさんを憎まずにいられると思うから」
ここまで長く問答を続けて、ようやく私は気づいた。多分、何を言っても彼女は行くのだなと。
私のためでもなく、己のためだと言って。さんは紛れもなく当事者として、キャメロン宮殿を訪れる。
そこになにがあるかは分からない。けれど彼女なりに今回の件について、自らの落としどころを見つけるつもりなんだろう。
「……もうすでに、貴女には愛想を尽かされたと思っていましたが」
「人を憎むなんてそんな簡単なことじゃありませんよ。確かに、戸惑ってはいますが。……この前わたし、言ったと思います。終わりにしてくれるなら、出来る限りの協力をしますって。それで終わってくれるかは分かりませんが、終わらせるためにとりあえず頑張ってみます」
「終わらせるために、ですか」
「はい」
気持ちを吐露した後のさん。彼女には、何かすっきりした様子もない。目の奥に光が宿っているのも、変わらないままだ。彼女の意思はとうに決まっているのだ、
力ならば、私はさんに勝てる。ポケモンの知識でも、育てることについても私は彼女に勝てる。体力も、生き抜く力もきっと私が勝っている。
けれど。彼女は私より前に踏み出している。その女性らしい小さな足でもしっかり立って、すでに私に背中を見せている。
「……分かりました。私も行きます」
「え、……」
「ただ、ひとつ、用事がありまして」
用事とは今日私を呼びだし、さんの待ちかまえるこの道を通らせた人・ヒョウタくんのことだ。呼び出され、私もそれを了承したのだから一応は彼に会っておく義務がある。
「それを終わらせてから、また戻ってきます。どこへ行けば良いですか」
「こ、ここで。待ってます、ゲンさんのこと」
「ありがとうございます。……それでは」
帽子を深く被り直し、彼女の横を通り過ぎる。信じられないというような視線を浴びながら。
「ゲンさん」
少し遠くなった道から、さんに呼び止められる。彼女はスカートの裾をしっかりと握り締め、堅い口調で言い放った。
「ゲンさんが来なくてもわたしは行きます。あなたの選択を責めたりしません。絶対に」
逃げるような男に見られていたことに思わず苦笑した。けれど、それも致し方ない。私は確かにアーロンと向き合うことから逃げていたのだから。でもそれも今日までだ。
私は足早に向かったクロガネシティでヒョウタくんに会い、頼みごととやらをふたつ返事で済ませた。
そしてまた足を急がせながら、さんに会いに行く。あの道の上に立ち、私を待っていてくれる彼女を。
お待たせしました。そう声をかければ、やはり、戻ってこないと思っていたのか、さんは私を心底驚いた表情で見上げてくる。
「あの、よ、よろしくお願いします……」
「こちらこそ、よろしく」
なぜか二人して頭を下げてから、言葉少なに港を目指す。
これから私たちは夜の船に乗る。私とこの人とのつながりを、断ち切るための旅へ出るのだ。