「あれ、また来たの?」
そのセリフは付き合っていた数ヶ月の間、何度言ったか分からない。それ程フリードは足繁く、私の家へと現れた。
慌てる私に、フリードは毎回こう言い放った。
「行くって言っただろ」
「え? そうだっけ……?」
「言ってなかったか? ……いや、言ったはずだ」
「ごめん、聞いてなかったかも」
こういうやりとりの原因が、フリードにある時もあれば、私の時もあった。
実際に彼は報連相よりも足が先に動く性格で、私もひとり考え込んで自分の世界に入ってしまい、まるで話を聞いていなかったというのはよくあることだったのだ。
でもどっちに原因があるにしろ、一緒にいても良いことに変わりはなかったから。私とフリードはそうやって、案外収まるところに収まっていたのだ。
フリードを少し遠くから見ていた時は、あんまりじっとしていない人だなという印象を持っていた。実際に付き合ってみるとだいぶイメージと違った。彼は暇あらば私の横に来て、じっとしているのだから。
この人の近くはもっと振り回されるもんだと思っていた。だけど今から思えば、フリードと過ごした時間は、穏やかで静かな時間ばかりだった。
一緒にローテーブルを囲みながら、雨の音を聞きながら、お互い別々のことばかりしていた気がする。フリードはもっぱらポケモンのこと。私は一人でのんびり行きたい旅先について調べていた。
「なんかさ、前に友達か言ってたことなんだけど」
相槌を打つフリード。その横にはお茶の入ったグラスが汗をかいている。
私が煮出して冷やしておいたお茶を、フリードは遠慮なく飲む。いつも好きなように、たっぷりとフリードはお茶を注ぐ。
「男と女が付き合ってしまったら、行きつく先は別れるか結婚かの二択になっちゃうんだって。確かにその通りだよね」
それは数週間前に耳にして、ずっと刺さったままの言葉だった。だいぶ適当なお付き合いだけれども、そんな私とフリードでも、中途半端は許されないのだ。
今はちょっと仲が良いだけの楽しい関係。でもちょっと先を見据えると、そこにはなんだか面倒臭い落とし穴がふたつ。
そしてそのどちらも、明るく楽しい、幸せな未来には私には見えなかったのだ。
多分ハッピーエンドとされる結婚というルートも、私には遠すぎる出来事だ。私たちにはまだ早すぎて、道が繋がっているとは思えない。なのに、世の中はそんな風に出来ている。そう思ったら少し怖い。
付き合わなかったらフリードとの関係をもっと曖昧にできた。変幻自在な何かにできた。そう思うと、後悔が募る。
でも別れは想像すると、ちゃんと切なくなれた。
「俺は……、………」
「え、ごめん。何? 聞いてなかった」
考え事の隣を、フリードの声が通り過ぎて行った。そのことだけは知覚としてあった。けれども内容はさっぱり頭に残っていない。私は咄嗟に謝って、彼に聞き直した。
だけどフリードは「そうかよ」と言って、また自分のやりたいことに戻って行ったのだった。
夏を迎える前の、じめっとした雨の日だった。
雨が降ってる割に気温は大して涼しくなくて、部屋には気だるい雰囲気が漂っていた。私もリザードンもピカチュウもぼんやりしていた横で、ハクリューだけは調子が良さそうにしていた。
フリードはなんかのノートをうちわ代わりにしつつ、ノートパソコンのキーを叩いていた。
彼の集中を乱してはいけない。そう思っていたはずなのに、ぽろりとその言葉は私の口から出て行った。
「別れよっか」
「……、…………は?」
たっぷり間が空いて、フリードは言った。
「……なんで?」
多少は驚かせていたらしい。いつものフリードにそぐわぬ、なんだか幼げな口調だった。
「別れるっていうか、付き合う前に戻りたいっていうのが、私の言葉的には近いかな。フリードがどうこうとかじゃなくて、ちょっと恋愛自体が嫌になっちゃった」
数分の重苦しい沈黙があった。彼は少しだけ考えるそぶりを見せた。だけど結局、私の提案をフリードは飲み込んだ。かなり、あっさりと。
結果を見るとわかる。私とフリードの間にあったのは、泣いて縋るほどの関係ではまあなかったのだ。
その後、フリードはライジングボルテッカーズとやらを本格始動させて飛行船に乗って旅立ってしまった時は、当たった、と思った。やっぱりなぁ、という思いがあった。
賞味期限が切れるようなお土産を、人の家のドアノブにひっかけたフリードは勝手な男だ。けど、私も勝手な女だ。
まずったなぁ、と思う。この前旅先から送ったポストカードにはクッキーのことは一言も触れていない。私が彼が来ていたことなど全く知らず、旅先で楽しんでいたことがバレてしまう。
あの男はなんだかんだポケモン博士になれるくらい頭がいいので、絶対に気づかれてしまうだろう。
フリードから、返事代わりに何か送られてくるだろうか。
だけどもその頃には私はまた次の景色を見に行ってしまって、フリードから送られた返事は再びここに置いてけぼりになるのだろう。
でも恋人じゃないから。無責任にも友達ということになっているから、私はそれを謝らない。フリードが私を置いて行ったことを、何も謝ったり後ろめたく思わなかったのと、同じように。