インテレオンとお嬢様の付き合いは、古く、長いものです。ですが、インテレオンとちいさいおじょうさまの出会いは突然でした。お嬢様がインテレオンに屋敷の留守を任せたある日、なんの前触れもなく、幼い少女を連れて帰って来たのです。
みすぼらしい小さな女の子。瘦せぎすの肩を、お嬢様は両手でふわりと包んで言います。
『正式に養子にとったの。今日から私の家族よ!』
インテレオンは少女を見つめ、目を厳しく細めました。息をのむほど美しいお嬢様に比べると、その少女はガリガリに痩せていて、とても汚らしかったのです。服もボロボロですし、髪の毛はココガラの巣と見まごうほどでした。かさかさに乾いた唇は、ぽかん、と空いていて、あまり賢さは感じられません。
けれどお嬢様に気にした様子はありません。少女に向けて、一番のパートナーポケモンを紹介します。
『この子はインテレオン。モンスターボールの持ち主はもちろん私よ。付き合いはなかなか長くてね。とっても物知りよ』
突然のお嬢様が連れて来た新しい家族を前に固まっていたインテレオンでしたが、はたと気がつきました。小さな人間の少女が、見慣れぬポケモンから見下ろされていれば、恐怖を感じてしかるべきです。インテレオンはゆっくり足を負って、少女に近づきました。それでもまだ、インテレオンの背の方が長いのですが、少女の気持ちは少し和らいだようでした。
『ほら、優しいでしょう。それに紳士よ』
ぽかん、と口を開けたままの少女に、インテレオンは肩をすくめて見せました。インテレオンが人間を見真似て、学び取った”今のは間に受けなくても大丈夫”のサインです。
『今日からこの子の面倒は私が見るわ。けれどインテレオンにも、付き添ってあげて欲しいの。この子にはいろんなことを教えなくちゃならないもの。まあ……、あれこれ教えるより先に、シャワーと食事だけどね』
確かに、その通りでした。お嬢様が連れて来た女の子自身もかゆそうに体を掻いています。すぐさま上から下までとりかえてやらねばなりません。洋服は全て洗いに出し、髪の毛にブラシを通し、目やに、それから頬の汚れも柔らかな布で擦って、足先の爪も整えて……。とにかくやることは多そうです。
『行くわよ!』
お嬢様がゴーサインをかけたと同時に、インテレオンとお嬢様たちは一斉に少女を押して、バスルームへ向かいました。
その日から、両親を亡くし、ずっと家族がいなかったお嬢様に家族が増えたのでした。
インテレオンは態度にこそ出しませんでしたが、最初、突然加わった少女には、あまりなついていませんでした。インテレオンはお嬢様にこそ気を許していますが、もともと気難しい部分も持っているのです。けれどこの土地の主であり、家名を一身に背負うお嬢様はとても忙しい身です。なので言葉通り、お嬢様はインテレオンにちいさいおじょうさまの世話を頻繁に任せました。お嬢様からの言伝はいつもシンプルです。
『仲良くしててね』
『お勉強を見てあげて』
『ふたりで楽しんで!』
気持ちの通じ合ったお嬢様でなく、まだ何も知らない人間の子供にインテレオンは戸惑いました。特にちいさいおじょうさまは何も知りません。インテレオンは相当手を焼かされました。
それでも、お嬢様にようやくできた新しい家族を、他の家を手伝ってくれる人間ではなく、インテレオンに任せてくれるのです。その意味を、賢いインテレオンがわからないはずがありません。
お互いがお互いに戸惑いつつも、二人はゆっくりと心を許しあっていきました。
インテレオンは次第に、少女のことを、お嬢様の次に家族だと思うようになりました。他の人間とは違う、特別な存在になり出したのです。しかしこの少女はインテレオンの愛する”お嬢様”ではありません。なのでインテレオンは彼女を心の中でこう呼ぶようになりました。ちいさいおじょうさま、と。
真夜中。ちいさいおじょうさまはかつて、インテレオンのお嬢様がかつて眠っていたベッドに体を投げ出していました。天蓋付きの美しいベッドです。ベッドにかかわらず、この部屋の調度品は豪華ですが、一番の贅沢品と言ったら、本です。今や本屋に並んでいる本とは風情が違います。革張りだったり、手書きだったり、金の金具だったりがついている、本が贅沢な高級品だった頃の品がずらりと並んでいるのです。見る人が見れば、卒倒してしまいそうなほどの価値があるのですが、ちいさいおじょうさまは目もくれません。代わりに読んでいるのは、一見すると、手紙でした。
少しすると、インテレオンがかつてのお嬢様のベッドルームに現れました。自分のベッドにいないちいさいおじょうさまを探して、ここにたどり着いたのです。インテレオンを見つけると、ちいさいおじょうさまは微笑みました。
「心配かけちゃったかな、ごめんなさい。これは、あの方の遺言よ」
あの方、とはもちろんインテレオンにとってのお嬢様のことです。
「あの方の最期の願いが書かれてるの」
幼い頃からの遊び相手だからか、お嬢様の姿を見て育ったせいか、ちいさいおじょうさまはインテレオンが普通の男性であるかのように話しかけます。なので遺言状の中身もちいさいおじょうさまは、インテレオンに聞かせたことがあります。
財産の全てをちいさいおじょうさまに相続すること。けれどちいさいおじょうさまが成人するまでは、信頼のできる弁護士の友人が後見人になること。屋敷にある全てのものはちいさいおじょうさまのものになるが、持て余すものはいずれ美術館へ寄贈したり、物の価値をよく知る商人に受け渡し、なるべく他者の役に立つ使い方をして欲しいこと。成人するまでは、自分が大きな財産を持っていることは誰にも言わず、インテレオンとひっそり暮らすこと。
それから、伝えたいことは生きている間にたっぷり伝えたので、いなくなったお嬢様を過度に想わないで欲しい、想いを馳せるなら共に暮らした過去を想って欲しい、とも書いてありました。
お嬢様がこのお屋敷から姿を消したのは、三年前のことです。お嬢様が最期に瞼を閉じたのも、このベッドの上でした。眠るように息を引き取ったお嬢様の死亡確認を、町医者が行う様子を、ちいさいおじょうさまは今も鮮明に覚えています。
「もう何度も読み返してるんだけどね。この春で成人だと思うと、なんだか落ち着かなくて……」
まだまだ幼いところもあるちいさいおじょうさまですが、ガラル地方では成人とされる年齢がすぐそこまで近づいていました。お嬢様が生まれ持った全ての財産、インテレオンのモンスターボールも、遺言状通り、正式にちいさいおじょうさまのものになるのです。
「大人になるのは不安だわ。でも、きっと当然よね。私が知っている一番の大人があの方なんだもの」
ちいさいおじょうさまは思い出します。あの眩しかった、お嬢様を。
「っそうだ、インテレオン! 良いものを見せてあげる」
おじょうさまは一瞬胸に翳った不安を振り切るように、ベッドから起き上がりました。大事な遺言状は丁寧にしまってから、戸棚を開いて一冊の本を取り出します。分厚くて、おじょうさまの胴ほども大きい本です。ベッドサイドの明かりを寄せて、おじょうさまはその本を開きました。インテレオンもモノクルを掛け直し、どれどれ、というように覗き込みます。
あふれ出したのは、写真に射止められた思い出でした。セピア調の随分古い写真から、アルバムは始まります。
「これがあの方の祖父母だって。……まあ、私にとっては他人だけど。それで、こっちがあの方が赤ちゃんだった頃! それでね、もうちょっと先に進むと……」
おじょうさまの手はどのページになんの写真があるのか、よく知っているようでした。手際よくページをめくり、一枚の写真を指さしました。
「ほら、これ、あなたでしょう?」
そこに映るのは、少女だったお嬢様。それにメッソンが写っています。古い写真の中でお嬢様は端正な顔立ちに豪華な帽子を頭に載せています。一方メッソンは、大泣きしていてお嬢様のドレスを濡らしていました。その下の写真でもメッソンはお嬢様の胸を濡らし、次のページにはお嬢様がハンカチでメッソンの涙をぬぐっている写真まであります。
「あなたは最初からかっこよくて紳士なインテレオンじゃなかった、ってあの方が教えてくれたの」
今とは随分姿が違いますが、写真の中で泣いているのは確かに自分でした。インテレオンは肩をすくめます。困ったけれどどうしようもない。そんな時にはこうやって物悲しさにユーモアを加えるのよと、これもかつてのお嬢様が教えてくれたことでした。