写真が残す通り、インテレオンは最初から、たくさんのポケモンから頼られるかっこいいインテレオンではありませんでした。小さくて泣き虫の、ありふれたメッソンでした。そんな弱々しいメッソンが出会ったのが、お嬢様でした。もちろんお嬢様も幼かったので、今に知られているお嬢様とは少し違います。気位ばかりが強く、お家の厳しい教育のおかげで割と頭でっかちな少女でした。
 お嬢様は家の方針もあり、ポケモンの知識を得るために、ガラル地方を巡る旅を計画していました。お嬢様自身も家を出て、ガラル地方を旅して見たいと願っていました。知らない景色を見る、そこで生きるまだ見ぬポケモンを思うと、お嬢様の胸はいつだってときめきました。
 そんなお嬢様が出会ったのが、メッソンでした。
 ある日、家を訪れた商人が、仕事の合間に話を聞きにきたお嬢様に教えてくれました。

『そういえばお嬢様、ここに来るまでにメッソンを見かけましたよ』
『メッソンって、あのメッソン?』
『ええ。お屋敷からそう遠くないですよ。野生のメッソンとは珍しいですな』

 領地にメッソンがいる。どこからか来た、小さなメッソンが。お嬢様はすぐさまお屋敷を飛び出しました。
 お嬢様は家庭教師から、旅に出るのならヒバニー、サルノリ、メッソンのいずれかを連れて行くのが良いと聞かされていました。けれどどのポケモンにするかは、決めていませんでした。自分と一緒に旅をしてくれるのなら、どんなポケモンでも嬉しい、とお嬢様は思っていたのです。そんなところにメッソンが現れたのです。野生での分布は今でもわかっていませんから、本当に珍しいことでした。走るお嬢様をたしなめる、両親の厳しい声が聞こえてはいましたが、お嬢様のはやる心は抑えられませんでした。

 商人が歩いてきた道はすぐわかりました。バンバドロが歩いた後はたくましい泥の足跡が付いていたからです。それを辿りながら、あたりを見回していると、ついにお嬢様は見つけました。小さなポケモンが、水たまりを覗き込み、そこに目からあふれた水を落としていました。
 どきどきを抑えられない、お嬢様の熱い呼吸にメッソンが振り向きます。それが一人と一匹の出会いでした。

 お嬢様は、静かにメッソンに近寄り、少し離れた場所から一緒に水たまりを覗き込んでくれたのでした。メッソンは野生のポケモンです。人間が怖いかもしれない、とお嬢様は思ったのです。何も言わずに隣に佇んだ美しいお嬢様のことをインテレオンもよく覚えています。
 懐かしさに、インテレオンの目元が緩んで、シワが寄ります。
 あの日が初めての出会いでしたが、メッソンもお嬢様も、一目でお互いが気に入っていました。けれどメッソンの方は泣いてばかりでした。泣き出してしまう理由はその時それぞれですが、お嬢様を前にした涙の理由はふたつありました。ひとつは、知らない土地で心細かったメッソンに寄り添ってくれる存在が現れたことへの安心の涙です。もうひとつはこの素敵なお嬢様が、自分を好きになってくれるはずがない、という悲しみの涙でした。そして泣いてしまったことで、ますます嫌われるのではないかと思うと、メッソンの涙は止まらなくなってしまっていたのでした。
 お嬢様に嫌われるのが怖かったから泣いていた。今のインテレオンが振り返ってみれば、理由はとてもシンプルです。でも当時は、溢れる涙で心がいっぱいで、その理由さえ見失っていたことも、インテレオンは思い出しました。

 インテレオンがお嬢様のことを思い出していることは、ちいさいおじょうさまにも、一目でわかりました。息をゆったりと深くするインテレオンの横で、ちいさいおじょうさまは言います。

「あの方がわたしを励ます時、とっておきのエピソードはいつもインテレオンのことだったよ」

 おや、というように、インテレオンは片方の瞼をクイ、とあげました。
 何度もめくったアルバムに、ちいさいおじょうさまは再び、視線を落とします。




 お嬢様とメッソンは、家庭教師に基礎の稽古をつけて貰ったあと、お互いが願った通りガラル地方を巡る旅に出ました。お嬢様にとっては悲願の旅立ちです。大きな世界に飛び出していく。物事の大きさにやっぱりメッソンはたくさんたくさん泣きましたが、お嬢様と離れるのもいやだったので、意を決して旅に出ることにしたのです。
 お屋敷の人々はあの泣き虫のメッソンだけがパートナーだなんて、と心配していましたが、お嬢様は気にも止めませんでした。

『メッソンがいればそれでいいわ。それに、メッソンにとって涙は体の色を変えるために大事なの』

 言い切るお嬢様の言葉を、メッソンはとても嬉しく思っていました。ですが、旅に出てしまうと、たくさんのポケモンが生きる世界を、お嬢様は何よりもメッソンを頼りにしてくれるのです。その役目の大きさにまた泣きました。

 メッソンは何度だって目に涙を溜めましたが、お嬢様は一度だって、メッソンに「泣かないで」とは言いませんでした。泣きたいのなら、泣けばいいのよ。そう凛とした声で言い切ってしまうのがお嬢様でした。けれど、ハンカチでメッソンの涙を拭いながらこうも問いかけてくるのでした。

『泣きたくて泣いているのか、それとも何かが貴方を泣かせてしまうのか。貴方の気持ちはどちらなの?』

 お嬢様に問われて、メッソンは気がついたのです。自分でも、なぜ泣いているのかわからないことに。とてつもなく悲しい気はするけれど、何が自分を悲しくさせるのか、メッソンにはわかりません。怖くて泣いているのかとも思いましたが、自分の周りのどれが怖いとも指差して言うことが出来ないのです。ただただ胸がいっぱいになって、濁流となったそれが涙となって溢れてしまうのです。そして、自分は泣きたくて泣いているわけでもない、ということにメッソンは次第に気づきました。それでも涙が止まるわけではありませんでしたが。
 泣いてしまうと、お嬢様は幾度となくメッソンに寄り添ってくれました。そんな自分が嫌でメッソンは強い悲しさを覚えていましたが、それでも涙は止まりません。かえって泣いて、涙にして流していかないと自分が壊れてしまいそうな気がして、メッソンはめそめそと目を潤ませたのでした。
 やはりお嬢様は泣かないで、とか、いい加減にしなさい、なんてことは一度も言いませんでした。代わりにお嬢様はメッソンに言い聞かせました。

『自分の気持ちだけは、見失ってはだめよ』

 そのお嬢様の言葉の効果があったのでしょうか。お嬢様との旅を続けているうちに、メッソンは泣きたくて泣いているわけではない自分に気がつきました。泣いてしまう理由ははっきりしないのですが、泣きたいと思っていないことは確かだと気づけたのです。ただどうしても涙が出てしまう自分さえも、メッソンは見つけることができました。
 泣きたくない。でも泣いてしまう。自分が強くなれば、泣かずにいられるのだろうか。その可能性に望みをかけたメッソンは、お嬢様との旅の中で今まで以上に自分を磨くことに精を出しました。

 バトルを繰り返し、いくつもの丘を越え、二つ目の街にたどり着いた頃。メッソンはジメレオンに進化しました。体はほとんど倍の大きさになりました。視力も以前より遠くを見渡せるようになりました。体の変化も大きかったのですが、ジメレオンの進化で特徴的なのは知性の進化でした。
 メッソンの時にはわからなかったことが、ジメレオンに進化するとやすやすと理解できるのです。お嬢様も、ジメレオンのそんな変化には気づいていたのでしょう。少し難しい話でも遠慮なくジメレオンにするようになりました。
 家の方針で幼い頃から猛勉強していたお嬢様にとっては、並の子供では話が合いません。逆に、領地を出たお嬢様の方こそ、世間では浮いてしまうような存在でした。だからこそ、お嬢様にとってもジメレオンは良い話し相手でした。

『知力体力、そして何より正しい道を選び抜く精神力だわ。それが私が尊敬するガラルの紳士を形作ってるの。だから私も、その三つを大事にしたいと思っているの』

 ジメレオンはいつだってお嬢様が自分に話しかけてくれるのが嬉しく思っていました。だから言葉はわからずともいつだって真摯にお嬢様の話に付き合いました。

『ねえ、ジメレオン。知ってる? 生まれた時はみんな白紙なんですって。そこにどんな経験を書き込むかが大事なんだって先生は教えてくれたわ。だから私は、ガラル地方をポケモンと一緒に旅したかったの。あの家で得られる経験は、どうしてもお母様お父様がくれたものになってしまう。だけど私だけの旅をすれば、きっと誰にも奪われない私になれると思ったの』

 ジメレオンは人間の言葉が全て分かる訳ではありません。できるのは多くのポケモンと同じく、仕草や表情を組み合わせて、感情や願いを読み取る程度です。だけどお嬢様が、他の人間にも見せない部分を自分に見せてくれている、というのはジメレオンにははっきりわかっていました。

 進化を経て、ジメレオンは随分変わりました。戦い方はもちろんですが、お嬢様と送る旅の楽しみ方も変わりました。今まではお嬢様の肩に乗っていることが多かったのですが、ジメレオンになってからは一緒に歩くようになりました。
 お嬢様が道の先を歩くこともあれば、ジメレオンが道を選ぶことも増えました。すると旅はぐん、と楽しくなりました。いつも全力だったメッソンの頃とは違って、ジメレオンは”手を抜く”ということも覚えました。ジメレオンが賢くなった証拠でした。

 そんなジメレオンでしたが、進化してもなお、時々泣いてしまっていました。ちょっとした出来事で、メッソンだった時と同じように大きな感情がジメレオンを飲み」込むのです。
 一度だって泣くなと言ったことはないのに、なんとか心を落ち着かせ、涙を我慢しようとするジメレオンの仕草に気づいて、お嬢様は言いました。

『貴方、泣きたくないのね』

 ジメレオンの目は潤んでいましたが、涙はかろうじて溢れていません。彼の頑張りを汲んで、お嬢様もハンカチを取り出すことはしませんでした。代わりに、ジメレオンに寄り添いながらもお嬢様は問いかけます。

『ジメレオン、貴方はどうありたいの? 自分に聞いてみて。そして自分で自分の主導権を握るのよ』

 ジメレオンは頷きました。

 それからお嬢様は、今まで以上にジメレオンの想いを探りながら、ジメレオンの成長を手伝うようになりました。
 ジメレオンが自分の心に追いついていけるように、知恵をたっぷりジメレオンに教えました。動揺するような状況に陥らないように、もし大変な目に遭ってしまっても簡単に抜け出せるよう、体を鍛えさせました。そして鍛えた力を正しく使えるように、気を配り続けました。
 全てはジメレオンの願いを叶えるためです。

 メッソンの涙に濡れた心に、ジメレオンの臆病さを振り切れない心に、インテレオンの己の進化に戸惑う心に。
 言葉で、態度で、行動で。お嬢様は常に優しさと厳しさを持って、今のインテレオンに通ずる全てを書き込んで行ったのです。