「それから、あの方はずっと信じてたんだって。私のジメレオンならきっとなりたい自分になれる、って」

 泣き虫のメッソンが、領地中のポケモンたちに頼られるような今のインテレオンになるまで。そのストーリーを話し終えたちいさいおじょうさまは、熱のこもったため息を吐きました。
 インテレオンは横で、じっと話を聞いていました。ですが途中からは、ちいさいおじょうさまとお嬢様が随分似て来たことがどうしてもインテレオンの気を引くのでした。

 お嬢様とちいさいおじょうさまは、まったく別々の人間です。遠い親戚でもなんでもありません。目や髪の色も、手足の長さのバランスも、髪質も。生まれ持った全てが違います。でも少しずつ、インテレオンが愛したお嬢様の面影を宿らせていきます。だから先ほど、インテレオンはベッドに横になるちいさいおじょうさまを見て、密かに驚いていたのでした。まるであのお嬢様が帰って来た気がしたからです。
 そしてお嬢様の影響あってか、インテレオンを横に好きなだけ語りかける姿もすっかり似てきているのでした。

「この過去のメッソンとあなたを比べると、元気になれるの。自分がどうありたいかを見つけて頑張ったから、こんな素敵なインテレオンがいるんだって思ったら、わたしも変われるかもしれないって思うんだよ。それに、あの方も言ってくれてたしね。インテレオンが一番、わたしの成長を信じてくれるって」

 ここは、お嬢様の上手いところでした。お嬢様は、ちいさいおじょうさまには「インテレオンが一番の理解者だ」と吹き込み、そしてインテレオンにはこう伝えていたのです。

『あなたもメソメソ泣いてばかりのメッソンだったでしょ。でもこんなに素敵なインテレオンになれた。だから、あの子のことも、どこまでも信じてあげてね』

 お嬢様の言葉ですから、もちろんインテレオンは忘れていません。何も知らない子供のちいさいおじょうさまに振り回されて、まだ気を許せないでいたインテレオンにお嬢様がそう伝えたのでした。
 お嬢様の言わんとしていることは、賢いインテレオンですからよく理解しています。あんなに弱くて泣き虫だった自分でも、変われたのです。だからインテレオンには確信がありました。孤児から人生をスタートさせたちいさいおじょうさまの心がどれだけ震えても、きっと大丈夫だという確信が。

「インテレオン……」

 不安に揺れるちいさいおじょうさまの声がインテレオンを呼びます。
 インテレオンはちいさいおじょうさまを抱きしめてやりました。いつの日かお嬢様が、メッソンをそうしてくれたように、両腕で包んでやるのです。
 細く見えて、静かに力を漲らせてるインテレオンの体に、ちいさいおじょうさまはしがみついて、思わず本音を零します。

「わたし、怖い……」

 おじょうさまが怖がるのは当然です。次の春が来たら、大きな財産と責任が、ちいさいおじょうさまのものになります。自分の出自は、憧れたお嬢様とはあまりにかけ離れているのに、お嬢様が守ってきたものを背負わねばならないのです。待ち構える壁の高さに、ちいさいおじょうさまは、それこそ涙が出てしまいそうです。
 それでも横で静かに息をするインテレオンの存在が、ちいさいおじょうさまに教えてくれるのです。その恐怖を乗り越える術はあるのだ、と。『貴方はどうありたいの? 自分に聞いてみて。そして自分で自分の主導権を握るのよ』。あの問いかけを、インテレオンも思い出しました。
 自分の中で暴れんとする不安をどうにかなだめようと、ちいさいおじょうさまも必死になってインテレオンに抱きつきます。

「怖い。けど、でも……、わたしもあの方みたいになりたい……」

 ちいさいおじょうさまは、恐怖を感じて今にも泣き出しそうです。それでも自分の人生を作ってくれたお嬢様に憧れて、今、強い自分へと進化しようとしているのです。そんな彼女を見ると、インテレオンは自分の胸に何かあたたかいものが湧くのを感じました。お嬢様といる時に感じた感情とは、また別の、甘い苦しみです。

 アルバムは閉じられました。ちいさいおじょうさまも、眠い目をこすって自分のベッドに戻りました。

 静まり返ったお屋敷で、インテレオンは窓から星空を眺めて思いました。
 何よりも愛するお嬢様のいない今、自分はどうありたいのだろう。お嬢様の家族であり、お嬢様に学んで来たちいさいおじょうさまも、成人した暁にきっと問うてくるはずなのです。貴方はどうしたいの、と。







 弁護士と、ちいさいおじょうさまの面会に、インテレオンも立ち会いました。インテレオン自身はお庭でのんびりと待っているつもりでしたが、ちいさいおじょうさまに頼まれたのです。
 花吹雪を舞い上げながらアーマーガアと弁護士を乗せた車が遠ざかっていきます。ふたりで見送りながら、おじょうさまは言いました。

「やっぱりインテレオンにいてもらってよかった。インテレオンって、ポケモンらしからぬ威厳があるのよね。気難しい顔をしてるわけじゃないのに、なぜかしら? そのモノクルのおかげかな?」

 確かに、お嬢様がくれたモノクルはインテレオンの品格をより際立たせています。レンズ越しにインテレオンの皺の寄った目元に見つめられると、どぎまぎしてしまう人間は多いのです。

「疲れたぁ。でも思ったより、あっさり終わっちゃったな……」

 終わってしまった、というのはもちろん、お嬢様の財産を継ぐ、最後の手続きです。今日を以って、ちいさいおじょうさまはこの屋敷の主人になったのです。
 おじょうさまはいたって明るく、インテレオンの手を引きました。

「インテレオン、お茶でも飲んで休憩しよう!」

 ちいさいおじょうさまと一緒に紅茶の用意をしながら、インテレオンはまた、お嬢様を思い出していました。お嬢様のいないベッドでアルバムを見た日から、インテレオンの心は幾度となく思い出に染まってしまうのです。まるでメッソンの時に止められなかった涙のように、あたたかな記憶も止まることなく、インテレオンの胸を包みます。
 立ち上り始めた紅茶の香りとともに、インテレオンの意識も遠くに吸い込まれていた時でした。

「インテレオン、今日までお役目、ご苦労様」

 ちいさいおじょうさまが出したのは、モンスターボールでした。
 旅立ちの日からずっと、お嬢様が持っていてくれたモンスターボールが別の少女の手にあるのを見て、やはりどうしようもなくインテレオンの胸は痛みます。インテレオンは幾度、お嬢様に自分も一緒に連れていって欲しかったと思ったことでしょう。だけど現実に、インテレオンのモンスターボールは目の前でつるりと光っているのでした。

「あの方が一番大切にしてたものも譲り受けたよ」

 ちいさいおじょうさまは知っていました。お嬢様は、財産のためにちいさいおじょうさまを引き取ったわけではない、ということを。
 もちろんお嬢様は、自分が亡き後、不自由しないだけのお金をおじょうさまに手渡してやるつもりでした。ですが、負担になりそうなお屋敷や土地や、資産については売ったり、然るべき人間に譲ろうと考えていたのです。けれどちいさいおじょうさまが、ある日、思いの丈を訴えたのです。

『わたし、あなたみたいになりたい! あなたの後を継ぎたい!』

 あまりに強く、何度もおじょうさまが後を継ぎたいという意志を見せたため、お嬢様も心を動かされました。そしてよくよく気持ちを確認したあと、遺言状を書き換えてくれたのです。
 だから、ちいさいおじょうさまは、財産の相続は自分の願いをお嬢様が汲んでくれた結果だと、わかっていました。

 財産の相続は、ちいさいおじょうさまが願った結果です。けれど、おじょうさまが自分の願いを見つける前に、譲り受けることが決まっていたものがあります。それこそお嬢様が人間の家族を欲しがった、本来の理由だと、ちいさいおじょうさまは気づいていました。
 やはり、インテレオンのことです。

 ちいさいおじょうさまは、自分の向かいで、ポケモンらしくなく紅茶を嗜むインテレオンを見つめました。
 インテレオンは優雅に手足を折って座っています。モノクルの奥では、時を重ねた瞳がちいさいおじょうさまを見据えています。その瞳が、かすかな寂しさを連れるようになったのは、やはりお嬢様がいなくなってからでした。

「インテレオン。わたしは、ひとつ、なりたい自分になったよ。まだちゃんとした形になってないかもしれないけど、あの方の後を継いだ」

 おじょうさまの顔を見れば、もうそこに迷いがないことが分かります。それに、ちいさいおじょうさまの、強気な瞳。またもそこにお嬢様の面影をインテレオンは見つけてしまうのでした。

「次に自分がどうしたいかも、決めてある。私は、ガラル地方を巡る旅に出る」

 そう言い切ってしまうちいさいおじょうさまに比べ、インテレオンはずっと途方に暮れまていました。どうしたいかと問われれば、インテレオンはお嬢様に会いたいのです。ただそれだけです。でも、無理な話です。お嬢様のいない世界でどう生きればいいのかと今も迷っています。迷うことにくたびれてもいます。ですが、答えは知りたくない、お嬢様のいない世界を受け入れたくない、というのもインテレオンの本音でした。

 インテレオンはお嬢様を思い出す時、一番の柔らかな表情を見せます。そしてお嬢様がそばにいないことを再び知る時は、その時にしか見せないインテレオンの素顔がそこにあります。たくさんのポケモンが憧れるインテレオンの、威厳が剥がれ落ちるようなそんな瞬間に立ち会うと、ちいさいおじょうさまは、彼の悲しみの深さにシンパシーを覚えながらも、少しだけインテレオンとお嬢様の絆を羨ましく思うのでした。

「……あの方は、インテレオンのためにわたしを家族にしてくれた。インテレオンには誰か人間の家族が必要だと思ったんだろうね。わたしももちろん、インテレオンが必要だったよ」

 わずかな人間の手を借りながら、一人と一匹で過ごして来た数年間。お嬢様のいない寂しさは強いものでしたが、安らぐ時間も持てる数年間だったことも事実でした。

「でもね、わたし、あの方をすごくすごく尊敬してるけど……。インテレオンについてだけは、時々間違ってるな、って思ってる。きっとインテレオンのことが好きすぎたせいで、間違えてる」

 ちいさいおじょうさまは、お嬢様のことが大好きです。だけどインテレオンの中に、お嬢様がどれだけ大きく存在しているかを、お嬢様本人は分かっていない。そんなところだけは、はっきりと否定できます。
 お互いが、お互いを好きすぎたせいで、ふたりが気づいていないことがある。特異な関係のお嬢様とインテレオンを近くからずっと見て来たちいさいおじょうさまには、それがわかってしまっていたのでした。