いつか、ワタルは言っていた。
自分の前にレッドという少年が現れたとき、自分は驚喜したと。
彼によれば、それまでの人生で最高に血が騒いで沸騰して、本当の意味で蒸発しそうだったらしい。
それまでは自分がチャンピオンであり最高のトレーナーだった彼。その道を極めたという達成感や栄光と引き替えに、興奮らしい興奮を味わえなかった日々が続いていたという。
自分を越えるものがいない世界に、孤独を感じる。そんな高慢さを持っていた時期もあったそうだ。
ワタルが密かに抱えていた鬱々とした気分。それらをレッドとのバトルはすべて吹き飛ばしてくれた。
レッドは会った瞬間から自分に息吹を吹き込んでくれた。
負けた瞬間ですら自分は喜んでいた、ともワタルは言っていた。
輝く彼の瞳が、言葉以上のものを語っていた。
それで、わたしは、どうなんだろう。
それなりに長く――よくよく考えてみれば8年もの間――ホウエン地方のチャンピオンをやっているが、未だホウエンにおいてわたしを越えるトレーナーは現れていない。
現れるどころか四天王を破るトレーナーもいない。ミクリのジムでつまづいている者も多いそうだ。
けれど、わたしは答えをこれから見つけるだろう。
なぜなら現在進行形で挑戦者が迫っているからだ。
すでに四天王を破ったそうだ。先ほどその連絡を受けた瞬間はしっかり心臓が裏がえった。最後の間までたどり着いたトレーナー自体が珍しく、リーグの職員も「真打ちが登場した」と騒いでいる。
わたし自身も、まだ顔も名前も知らないそのトレーナーに期待している。
(呼吸、整えよう……)
そして彼が部屋に入ってくる。わたしは無意識に自分のパートナーたちのボールを撫でた。
「よく来たわね。わたしがホウエンリーグのチャンピオン・よ」
現れたのはずいぶん品の良い男だった。
仕立ての良いスーツに身を包み、光を集める明るい髪を流している。
独特のデザインの指輪をしっかり指に似合わせていたりして、バッヂ集めをやり遂げたとは思えない小綺麗さだ。
「うん、本当に。ようやく来れました」
よく通る声。彼はわたしではなく自分の手のひらを見つめていた。その指をよく見るとふるえていた。
わたしと同年代に見える男は、興奮に身体をふるわせている。緊張や恐怖からではない。なぜならうっすらと、口端があがっているからだ。
「ここまでの道のり、決して楽では無かったと思います。ここにたどり着いたあなたに敬意を払って、わたしも全力で応えます。お互いのすべてをぶつけ合いましょう。……何か言いたいことはありますか?」
「言いたいこと? そうだな……」
ようやく顔をあげた彼からにじみ出るオーラは自信に満ちていて、微笑みは不敵だった。
「僕はツワブキダイゴ。あなたを引きずり落としに来ましたよ。さん?」
絶対悪魔から引き継いだんだと思わせる、凶悪な笑みを男――ツワブキダイゴはたたえた。
恐ろしい男が来たものだ。一瞬で勝敗は分からないと思わせられた。
バトルが始まる。
ワタルが語っていたものとは違うように思うが、それでもわたしの鳥肌は総立ちになっていた。
「おめでとう、あなたの勝ちよ」
バトルの行方は、この台詞で分かってほしい。
接戦だったように思う。彼もわたしも、手持ち・技・切り札、そして運の全てをこのバトルに差し出した。少なくともわたしはツワブキダイゴに全てをぶつけた。出し惜しみはしていない。
「どうしたの。もっと喜んだら? それともまだ実感が無いの?」
「………」
「………」
バトルが終わって、形式ばった祝詩を述べたわたしは、自分の喉が妙にひくつくのに気づいた。胸も、ふるえている。
興奮に動かされたものではない。
自分の敗北が原因でもない。
その震え方は情けなく、心に痛く、まるで雨濡れのプラスルとマイナンがわたしの身体に埋め込まれてるみたいだ。
わたしが怯えている訳。それは彼が、ツワブキダイゴが未だ瞳をギラつかせているからだ。
光は強烈で、自分が目的を果たして感動しているのとは訳が違う。
彼の闘志は尽きていない。まだ何かを求めて、こちらを見ている。目的を果たしていないと瞳が語っていた。
わたしはただ、暗雲のような嫌な予感で心臓の辺りが痛かった。
「何? 何か言いたいことでもあるの?」
虚勢でかけた台詞。それでも彼はそこで固まっている。
「ツワブキダイゴさん? ダイゴ?」
ますます広がる不安にわたしが飲み込まれそうになった時だった。
「えっ……、」
――どうして、こんな事になっているんだろう。
どうして、わたし、ツワブキダイゴとキスを……。