『あなたはチャンピオンを継ぐ?』
殿堂入りが無事済んだあと、これも形式のひとつとして聞いた。
『あなたは成人してるわよね? 成人ならこれからあなたが新チャンピオンになるものとして、事は進んで行くことになるわ。けど、何か事情があれば――事情って言っても“まだ旅がしたい”とかそういう理由でも良いんだけど――断ることが出来るわ。これはあなた次第よ。』
『断ったら?』
『そうしたら今まで通りわたしがチャンピオンを続けるわ』
迷った様子もなく、ツワブキダイゴは言った。
『僕がチャンピオンになるよ』
そして胡散臭い笑顔でこう続けた。
『君にチャンピオンを止めさせるために僕はここまで来たんだ』
本当に、何なんだこの男は。初対面だよね? 初対面のはずだ。こんなインパクトのある人、普通忘れられない。
じゃあ、知らない間に恨みをかってしまったんだろうか。
その可能性を考えるとつい、ため息が出てしまう。
わたしはホウエンでは顔を知られている方ではあるから、可能性は否定できないのが悲しい。こちらにその意図が無くとも、人に何か影響を与える。わたしはそういう地位の人間である。
なんだか執念深そうなその感情は、向こうが勝手に膨らませたものでありますように、と願った。
殿堂入り以降の手続きはそのままプリマさんが引き受けてくれた。
地味に傷心しているわたしはその言葉に甘えさせてもらった。
わたしにも、まだウブな部分が残っていたみたいだ。たかが唇のひとつ、なんて思えそうにない。
余韻がまだ自分の中にあることも信じられない。信じたくない。
相手が重要なのではなく、行為が強烈だった。
ファーストキスではなかった。けど、キスなんて数えるほどしたことない。もうひとつ言うと、20代になって初めてのキスだった。
あーあ……。
リーグの中へと戻ると、そこはひどい騒ぎになっていた。
BGMは必死に対応にあたるテレフォンガール。
どうも、すみません、今事実を確認中でございます、こちらもまだ状況が把握できていません、申し訳ありません、はい、本人の方に伝えさせていただきます、ご迷惑をおかけしています、また改めておかけなおしいただけますか……。
「あ、さん!」
「ちゃん……」
待ち受けていたのは四天王に、ポケモンリーグホウエン支部長や、受付の女の子。ジョーイさんに、ショップ店員。
警備員はさすがにいなかったけれど、リーグ内で働くほとんどの人間がわたしを待ち伏せていたのだ。
「……えーと、彼は次期チャンピオンになるらし」
「ちゃん! どういうことなの!?」
触れられたくない部分を後に回しての報告。それをぶち破ったのは、通信クラブの受付嬢だった。
「どういうことって聞かれても、わたしもさっぱりで……」
「知り合いだったの?」
「さんって恋人いたんですか!?」
「まさか! ぜっんぜん知らない人! 初対面も初対面よ!」
「え、じゃあいきなりあっちが襲ってきたってこと……?」
「でも、あの人ってツワブキダイゴさんでしょ? たしか、デボンコーポレーションの御曹司で」
「ええっ!? さんうらやましい……!」
「ど、こ、が……!!」
それにしても電話がひどい。ひっきりなしとはこのことだ。
対応を聞いている限りだと、電話の内容は新チャンピオン誕生より、やはりさっきの事故についてが多いようだ。並べられる謝罪の数が多すぎる。
あの光景が全国生中継されたのは本当のようだった。
悪夢だ、悪夢以外の何ものでもない。
「迷惑かけて……ごめんなさい」
「なに言ってんの。ちゃんは迷惑かけられた方なんでしょ?」
「そうですけど、でも……」
おかれた、と思えばまた鳴る電話。わたしがここの仕事を増やしているのは一目瞭然だ。
「さん、気にしないでください!」
「ていうかこれくらいの仕事、なんとかなるでしょ」
「ですよねぇ。ちゃんが殿堂入りした時の方が何倍もすごかったですし」
「そうそう!」
「あ、ありがとう……」
「そんなことより、ちゃん」
この場をまとめあげたのは支部長だった。
「は、はい」
「彼がリーグチャンピオンを継ぐ。それで間違い無いね?」
事件を“そんなこと”の一言で片づけれくれ、動揺を見せない支部長にわたしも背筋をただされる思いだ。
支部長はおしゃれメガネが似合う、妻子持ちの男性だ。
少々茶目っ気がありすぎる人だけれど四天王のゲンジさんとの相性が良くって、頼りになる人物である。
「はい。彼は成人済みだそうで、さっきその意志があると言ってくれました。むしろ、チャンピオンになるために来たそうです。今は応接室に待機してもらってます」
「よし、ちゃん。ホウエンリーグの方針は決まった。今日すべき君の仕事は終わったよ。だから、今日はもう帰りなさい」
「そんな、良いんですか?」
「これから忙しくなるだろうから、帰って明日に備えなさい。重いバトルをして疲れてるだろ」
「ありがとうございます……」
心の整理がつかないわたしに、支部長の言葉は適切だった。
ひんしとなったポケモンたちを回復させている間に手早く身を整え、わたしは逃げる帰るようにしてリーグを出た。実際、逃げるような心境だった。
クロバットに乗って空へと出る。
リーグやチャンピオンロードの入り口に溜まる人たちが見えた。
「うわ、すごい人……」
たぶん、報道関係の人たちだ。
その黒山がこちらを向く。そらをとぶのが、クロバットとわたしであると気づいたらしい。
今はそっとしておいてほしいと思うのに。けれど、そっとしておくという言葉を知らないのがマスコミなのだ。
しょうがない。その言葉でしか片づけられないと思うと、無意識のため息がでた。
「あ、ごめん……」
無意識のそれは、クロバットを不安にさせたみたいだ。
揺れている瞳がこちらを見ている。
「わたしは大丈夫よ。クロバット、高度を上げて」
近所の人たちの視線を避けて、自宅になだれ込む。その様子はアジトに逃げ帰った犯罪者さながら。玄関で座り込んで、息を整えていると本当に自分が何か悪いことをした気分になってくる。
悪いのはわたしではなく、ツワブキダイゴだと言うのに。
「はぁ……」
自宅は静かで、誰の視線もない。そう思うと、ようやく気分がほぐれた。
温めたご飯をしっかり食べて。
ジョーイさんが言ってくれた通りお風呂に入って。
寝る前に、根性でポケモンたちにブラシをかけてあげて。
睡魔に導かれるままお布団に入って。
自宅でわたしは普段通り振る舞った。今日は別に、特別な一日ではなかったと、自分に思いこませる。そうでもしないとどうにかんってしまいそうだった。
本当は今日の敗戦について考えたかったのだけれど、自動的に嫌な記憶がセットになって出てくるのでわたしは思い出すのをやめた。
寝転がり、うつらうつら天井の暗闇を見つめていると意識がぼんやりして心のすさみが少しやわらいでくる。
なのに、瞼が落ちようとしたときわたしは気づいた。
気づいてしまった。
明日もあの男と会わなければいけないことに。
わたし、もうだめかも……。