Transparent word


……リーグでツワブキダイゴに会うことは覚悟していたけど、まさか空の上で会うなんて。
出勤するわたしとクロバットの前に現れたのは、エアームドに乗った彼でした。


「おはよう!」
「……おはよう。それじゃあお先に!」
「まあ、待ってよ」
「……じゃあお先にどうぞ」
「一緒にいこう。せっかく会えたんだしさ」


今朝、テレビでかなり多分にツワブキダイゴの魅力を知らされた。生まれ、容姿、才能……。ツワブキダイゴが、人がうらやむ物の多くを備えた希少価値の高い男なのは分かった。けど、そんなものにほだされるわたしではない。
対面すると、やっぱり彼への嫌悪感がふつふつと沸いてくる。騒ぎに巻き込まれたこと、強引に迫られたこと。つい昨日のことだ。忘れられるわけないし、気持ちの整理がついてる訳がなかった。


「よくそんな事言えるね」


また何をされるか分からない。
そんな気持ちでわたしは彼と目を合わせないようにし、防御の体勢をとった。


「申し訳なさを感じてしばらく距離をおこうとか、そういう考えはないの?」
「申し訳なくは思ってるよ。だからお近づきになって許しを乞おうかな、って。距離を置こうにも、これからの事を考えると、僕とさんはつき合っていかなければならないんだから、気まずいムードは早めに解消しておこうかな、と」


図々しい人。けれどツワブキダイゴの言う通りだった。これから押し寄せるであろう仕事の数を考えると、新旧チャンピオンとしてわたしとツワブキダイゴは力を合わせていかなくてはならない。

お互いのため、そしてポケモンリーグに関わる多くの人のためにも、事はスムーズに運ばせたい。
ぐだぐだと、気まずい感情を抱えるのは面倒を呼ぶ。妥協が、建設的。

これからのため、か。


「正論ってムカつく」


そして今言われた事柄に手が届きそうな自分が、嫌だ。かんに障る。

ツワブキダイゴとのキスに妥協するのはわたしにとって難しいことではないのだ。簡単では無いけれど、手が届かない、なんてことはない。
だって自分も今朝から考えていた。この怒りは忘れた方が様々な事が滞りなく進むんだろうな、って。

わたしが平気なフリをすれば、周りの人はわたしに気を使わなくて済む。ツワブキダイゴもこれからの職場において気まずさを抱えずに済む。ニュースは三日もすれば記事にならなくなる。平和は簡単に想像された。



「ねえ、これだけは聞かせて。あなた、したかったらしたのよね?」
「う、うん」
「じゃあもちろん、自分の行動に責任持ってるよね?」
「持ってるよ」


ずっとエアームドの頭を見ていた彼がようやくこちらを向く。下がり眉の表情だったけれど、こちらをまっすぐと見て彼は言った。


「そう、したくてキスしたんだ。したくてしたくて、しょうがなかった。さんの事見た瞬間に『ああ、やばいな』と思って、名前を呼ばれたらたまらなくて。君の唇の、その味を知りたくてたまらなかったんだ。それは本当の気持ちだよ」


ツワブキダイゴの明るい髪は、朝の空によく似合っている。毛先が朝靄に溶けて、色は同化しかけていた。


「好きだよ、さん」


どうやら、昨日会ったばかりのこの男は本気でわたしを求めていたらしい。言葉の端々が熱烈だ。
真剣な気持ち。寒空の中なのに、わたしは少し熱を覚えた。


「……わたしはあなたの責任に応えるわ。ハッキリ言う。ごめんなさい。わたしはあなたを好きじゃない」
「………」
「今日からきっと大変だと思う。だから仕事仲間として、やっていきましょう?」


わたしの恋の経験は多いとは言えないけれど、恋愛においてはいろんな事がどうしようもなくなるという事はよく知っている。ツワブキダイゴはそれなりに本気でわたしの事を好きでいてくれたみたいだ。

どうしようもなかったのだ。
そう思えばどことなく感情のやり場をわたしは見つけられた。

真剣な好意ならそこまで悪い気はしない。
もちろん今以上はごめんだけれど、キスのひとつくらい許してやらないでもない。そんな感じだ。


「ありがとう、わたしを好きになってくれて」
「……こちらこそ」
「今日から本当に大変だと思うけど、がんばろうね。わたしも一生懸、君のこと助けるよ」
「うん、よろしく」


わたしはスッキリとした気分でいた。変な話だけれど、ツワブキダイゴに惑わされていた心はツワブキダイゴと話すことによって整理されたようだ。
彼が招いた出来事だけど、ちゃんと妥協点を示してくれた彼にはもう一度、ありがとうと言いたい気分だった。

これで多分、わたしはわたしに戻れるだろう。