ひえぇーーー!
わたしの内心はこんな悲鳴でいっぱいだった。
「悪いな、個人的感情を少しいれさせてもらった」
「そんな、ワタル……」
自分が殴られたわけでもないけれど、思わず自分の頬を押さえてしまう。
なぜだろう、見守る人よりも当人たちの方がよっぽど冷静に見えるのは。
「分かり、ました」
衝撃からようやく顔をあげたツワブキダイゴ。頬が少し赤くなっているが、怪我らしきものは見あたらない。男の人ってタフだ……。
「理解したか。ならこれで終わりだ。おい、君もちゃんと見たな?」
別にワタルは怒りを露わにしてるわけじゃない。なのに、ワタルの一瞥に支部長は震え上がった。
「みみみ、見た、けど……」
「よし、バッチリだ」
「えぇ!?」
ワタルが終わりを告げても、握りあったままだった手がようやく離れても、事務室の空気は簡単には変わらなかった。誰一人動こうとしない。カチカチカチ、とわたしの腕時計の音が聞こえてくるほど場は静まり返っていた。
真っ先に耐えきれなくなったのはわたしだった。
「も、もう何やってんの! 時間が無いの分かってるでしょー!」
「イテッ、書類で叩くなよ!」
無理矢理なひきつり笑いでも効果はあったようだ。事務室の時はようやく動き始めた。
「ツワブキくん大丈夫? ごめん、だれか氷嚢持ってきてくれる?」
「あ、私行ってきます!」
「ありがとう、よろしくね!」
「はい!」
空気は完全には変わらなかったけれど事務室にはまた、足音が広がった。
時計を確認すると15時半。16時の記者会見には、ほとんど余裕が無い。
「はいこれ、予想される質問とその返答例。読んでおいて」
「読んでおいてって言われても……時間的に全部は読めないだろ、これ。なあ、ダイゴくん?」
「僕に言わないでくれますか」
ビジネスの笑顔を浮かべたまま辛辣な言葉を吐くツワブキダイゴ。まったくもう、忙しいって言ってるのに……。気持ちはわかるけどさ。
悪い空気を無視してわたしは続ける。
「上の方から重要度が高いから、見れるだけ見ておいてほしいな。ここに書いてあるのが君の肩書きの正式名称。……チェック入れといてあげる」
わたしは書類に赤丸を施した。
今している心配のほとんどは、ツワブキダイゴには無用なことだろう。けれどあんなことがあったのだ。わたしは彼に同情的になっていた。
運ばれてきた氷嚢を頬に当てているツワブキダイゴ。あれは“処分”だったとはいえ、今の姿は痛々しい。
わたしの語調が優しくなってることへのワタルの視線を感じるけれど、わたしにはツワブキダイゴのやる気の方が心配だった。
「これ、結構参考になるよ? わたし、ダイゴくんに是非記者会見成功してもらいたいな」
「さんがそう言うなら読んでおこうかな」
「………」
……扱いやすい男だ。
うん、ツワブキダイゴは問題無し。
彼の身なりを軽く――本当に軽くで済んでしまった――整えたり、会場のポジションを説明したりしているうちにあっと言う間に本番はやってきた。
「はいはい! それじゃあ頑張ってね!」
背中を押してツワブキダイゴを会場裏へと押し込んだ。まもなく16時。彼の記者会見が始まる。
彼が会場で記者たちにとらわれている間、わたしは休憩をとらせてもらっていた。
暖かなコーヒーを入れ、事務室に行くとテレビの前には多くの人間が集まっていた。その中には四天王の姿もある。
「みんな、お疲れー」
「ちゃんもお疲れ」
みんなの表情は、渦中の人物がとりあえず会見に行ってくれたのでこの隙一息ついている、という感じだ。
初会見に臨むツワブキダイゴのためじゃく、興味のためでもなく、自分のために。
コーヒーを唇でつつきながら、やっぱりみんな考えること同じなんだな、なんて思ってしまった。
『本日はこの場にお集まりいただきありがとうございます。改めまして、今回新しくチャンピオンをつとめさせていただくツワブキダイゴです。どうぞよろしくお願いします』
ちょうど始まったところみたいだ。
この場でもツワブキダイゴの華麗さは失われていない。真摯な言葉、まっすぐとした視線。あの若さでは普通、出来るはずのない振る舞いだ。メディアの人たちもきっと、彼の様子に驚いていることだろう。“手強いやつが出てきたな”、くらいは思っているはずだ。
「ダイゴくんとワタルさんだとやっぱり、安定感が違うなぁ!」
「支部長それ、わたしだと不安定って意味ですか!」
「い、いやいや。そういう意味じゃなくて……。ちゃんの前だと彼、何しでかすか分からないからさ」
「そういえばさっき、デートに誘われてたって聞いたよ!」
「ほんと、フザケたやろーよね」
「あ、ほんとの話だったんだ……」
ワタルとダイゴ。それぞれタイプの異なる美男子が並び、画面の中には良い絵ができあがっていた。
ワタルにあまり美男子というイメージは無いかもしれないけれど、彼も彼で男らしい、整った顔をしている。ツワブキダイゴはそのまま美男子、美丈夫といった感じだ。
二人の雰囲気は……、直前にあった事を思えば上々である。
「ダイゴくん、堂々としてて良いね」
「うん、オーラはワタルに負けてないよ!」
「ちょっと可愛げがないとも言えますわ」
「だなぁ」
上から支部長、フヨウ、プリムさん、カゲツ。ゲンジさんは黙したままテレビ画面を見守っている。
四天王たちは先ほどあった“処分”については知らされていないようだ。まあ、わざわざ言い触らすこともないよね。彼だって男なんだし。
そうして皆が彼を認めた、というのに場面は問題の話題へ突入していた。
『ツワブキさんは元チャンピオンとはどういったご関係ですか?』
聞きたくない、と強く思う。けれど事実からは逃げていられない。コーヒーの湖面に視線を移し、わたしはテレビの音声をただただ受けとった。
『そのまま、先輩と後輩の関係です』
『でも、キスしてましたよね?』
『あれは事故なんです』
事故、ねえ……。突っ込みたい気持ちは山々だけれど、事故ということにしてしまうのが最善の策だろう。真実を言うことは面倒になる。わたしもこの線で口裏を合わせよう。
『その事については申し訳なく思っています。お騒がせして申し訳ありませんでした』
『どちらかに気持ちがあった、というわけじゃないんですか?』
『本当に僕の片思いで……。ほら、彼女は有名でしょう。僕は彼女がチャンピオンになって以来のファンです。まさか、こんなに近づけるとは思ってなかったんですけどね』
『それじゃあ嬉しいでしょう?』
『夢を見ているみたいですよ!』
思わず、といった風にツワブキダイゴが笑うと場の空気が和らぐ。
「やぁっぱりファンだったんだ」
フヨウがぼやいた。
当たり前だ。初対面の女の子にしていた、なんて事だったら不気味すぎて笑えない。もしツワブキダイゴがそんな男だったら、わたしはチャンピオンを継がせようとは思わないだろう。真っ先に警察に連絡していた。
『ホウエン地方リーグチャンピオンの名に恥じないポケモントレーナーとしてこの地位を全うすることを誓います。どうぞ、よろしくお願いいたします』
若さ溢れる、輝いた笑顔で決意を述べ、ツワブキダイゴはマイクを置いた。
「なんか、ツワブキダイゴってフレッシュだよねー」
「……ちゃん、彼のプロフィール見た?」
「え、見てませんけど?」
「ちゃんとダイゴくん、同い年だよ」
「……はい?」