お店の中はたっぷりのソースの匂い。そしてちょっと混じるアルコールの気配。他人がもらす、ささやかな笑い声。机の上に置かれたキャンドルがチラチラ踊っている。
店内のいろんなものが、わたしを虚構の世界へ手を引いているようだった。わたしをエスコートするツワブキダイゴもまるで、ファンタジー世界の案内人みたい。で、わたしもすんなりと引き込まれた。
初老のウェイターが、和らいだ笑顔でわたしたちを一番奥の席へ導く。異様な三人組が店内を横切る様子はかなり人目を引いた。入り口横の年輩カップルが、口をあんぐり開けたくらいだ。
まあ、変な組み合わせだよね。わたしとツワブキダイゴは朝のワイドショーに散々でてきた二人組だ。ワタルもワタルで有名人だし、実際に見るマント姿は異様としか言いようがない。誰だって思わず注視してしまうだろう。
「ようこそ、ツワブキさま」
上着を渡す瞬間の談笑。そしてウェイターがうやうやしく頭を下げる。彼とツワブキダイゴは顔見知りのようだった。さりげなく、奥からもウェイター・ウェイトレスが集まってくる。ツワブキダイゴは明らかに、他の客以上の扱いを受けていた。
「デボンコーポレーションが飲食店に影響あるってどういうこと?」
こっそりワタルに耳打ちする。
「単純によく使う店なんじゃないか? あの様子じゃダイゴくんじゃなくて、会社の方で。あとはデボンはかなり手広いからな、サービス業にも力を入れているってことも……」
「なるほどー」
あっさりとワタルが疑問を解決してくれた。あ、マント無しのワタルを見るの久しぶりだ。
マントの下のそれは、スーツといったらいいんだろうか。不思議な、ピッチリとした服装。それはこの場にあまりに不向きで、ツワブキダイゴに「TPOをわきまえろ」と言う言葉はこの時をもって説得力がなくなった。
窓から遠い、人目からいっそう隠れた円卓。隣にワタル、向かいにツワブキダイゴが着いた。
店内の照明に彩られた男二人はいつもと違う雰囲気だ。10人が10人、良いというであろう容姿を持つ二人に囲まれて、わたしはにわかに緊張してきた。
メニューへ視線を逃がしながら、息を整える。2体1なんて、参ったな。ここはワタルだけじゃなくてフヨウも誘うべきだったのかも。そうすれば2対2に……いやいや、やましいことを想像したらわたしの負けだ。
「わたし、オムライスで良いかな」
「俺はナポリタンスパゲッティー」
「了解。僕はハンバーグプレートのB」
滅多に出会えない良いお店。ここにきてみんなが頼んだものにわたしはつい、笑ってしまった。
「なんだよ」
「いや、みんな味覚が子供っぽいなーと思って」
「だってそうだろ」
「誰もコース頼まないの?」
「そう言われても、今日はナポリタンの気分だからな……」
「僕はここに来るといつもこれなんだ」
笑い混じりに挑発しても、二人の腹は決まっているようだ。ちなみに言うと、ツワブキダイゴの頼んだハンバーグのBプレートはエビフライ付きである。彼、エビフライ好きなのかもしれない。
二人の様子にわたしは心の中で安堵していた。だってツワブキダイゴだ。デボンコーポレーションの御曹司だ。行く先が高尚なマナーを要求されるお店だったら……と不安を膨らませていた。杞憂に終わってくれて本当によかった。
このレストランは決して安くない。メニューに乗っていたペリエは目が飛び出る値段だった。でもお店の空気はわたしに何も強要してこない。むしろ受け入れてくれている。実際に周りのお客もなんだか自由で、おのおの肩を丸くしていた。
テーブルマナーの心得が無いわけじゃない。けどわたしは、平凡で気を使い過ぎないお店の方がやっぱり好きだ。人間やっぱり、自分の身に合うものが一番だと思う。オムライスというチョイスはわたしの身の丈にぴったりだ。
みんなの注文を代表してツワブキダイゴがウェイターに伝えてくれた。程なくして、ワインが通される。
運ばれてきたのは白ワイン。これもツワブキダイゴが選んだんだろうか。その薄黄色からわたし達の食事は始まった。
「二人とも、ワイン似合うね」
「そんな事無いよ、さんも似合ってる」
「いや、は似合ってない。ジュースって感じだな」
「………」
ツワブキダイゴのフォローを華麗に崩すワタル。
ワタルのこういうところにツワブキダイゴ君には是非慣れてほしい。慣れていかないとやっていけないぞ、ツワブキダイゴくん!
「ツワブキくん、めげないめげない」
「さん、僕がめげないために、僕のこと“ダイゴ”って呼んでくれないかな」
「お断りしようかな!」
「あははは! ダイゴ君、めげるなめげるな」
「………」
今日のツワブキダイゴはいつでも中心であり続けていた。だから振り回されているツワブキダイゴは新鮮だ。
初仕事では華麗に立ち回ってみせた彼。けれど、さすがにワタル相手ではそう上手くはいかないみたいだ。
こうやって触れ合ってようやく、“ツワブキダイゴは同い年だ”という実感がわいてくる。
「でもきっと、これからなるよ。さんは」
神妙に言うツワブキダイゴ。そのグラスを持つ手はこなれていた。ツワブキダイゴとわたしは同い年らしいのに、彼はすごく立派にお酒を味わっている。
まあ、美味しそうに飲むという点ではワタルに軍杯があがるだろう。ワタルの飲み方は、全身で「染みる!!」と叫んでいる感じなのだ。
「俺もは化けると思ったんだけどな。今、はたちだって? 思ったより子供っぽいままだよな」
「化けるって何!?」
「女は化けるんだよ。良い意味も悪い意味もあるけど、の将来は期待してるよ」
「ワタル好みの女の子になりそう?」
「あーそれは、どうかな?」
「ねえ、ずっと聞きたかったんだけど……」
じゃれあうような売り文句。それに対する軽い返答。なのにツワブキダイゴは顕著な反応を見せた。
「二人の関係って何?」
整った顔を歪めるツワブキダイゴ。この場の空気を壊すことが怖くないみたいだ、不信感を隠そうなどはしない。
この人、本当にわたしが好きなんだ。グラスの口でわたしは笑いをかみ殺す。
ワインにすっかり惑わされてる頭でわたしは過去をまさぐっていた。わたしにも他者にも、こんなズケズケと愛を見せつけてくる男、今までいただろうか。いたかもしれない。けど忘れてしまった。
「関係? そんなの……」
「ワタルのこと?」
わたしはワタルの言葉をわざと遮って、斜めの角度から彼をのぞきこむ。ワタルの腕を絡めとって見せつけ、そして言い放った。
「ワタルはね、わたしの恋人よ」
おもしろいくらいにツワブキダイゴの目が丸く、見開かれた。