It's the exact man


「ワタル? ワタルはね、わたしの恋人よ」


そう言い放たれ、あっさりツワブキダイゴは言葉を失った。ほとんど落とされるようにして彼のグラスが卓上へ着地した。いつも自信満々に細められてる目が子供のそれに戻っていくのはひどくおもしろい。

してやったり。そう思った瞬間、わたしの手はぞんざいに振り解かれる。
この場に早々耐えきれなくなって流れを断ち切ったのはワタルだった。


「バカ、。やめろ」
「ぷっ……」
「へ?」
「嘘だよ、こいつの」
「あはは、冗談でしたー!」
「………っ」


机へ沈みかけているところを見るとかなり信じていたみたいだ。
一気に脱力するツワブキダイゴ。常にすましたような彼のその一面にはニヤニヤしちゃう。
性悪の顔したわたしとツワブキダイゴにワタルもさすがに苦笑気味だ。


「わたしとワタルが恋人なわけないじゃない、ねぇ?」
「だな」


沈んで沈んで、ついにツワブキダイゴの顔がテーブルクロスにつくか、と思われた時に料理がいっせいに運ばれてきた。ツワブキダイゴの切ない目線の下に良いタイミングで置かれたハンバーグのBプレート。その光景はまるで、ツワブキダイゴがハンバーグをひどく待ち焦がれていたみたいで、またわたしは笑ってしまった。

ハンバーグの油がはじける音、ナポリタンスパゲッティのケチャップの香り、オムライスが崩れまいと揺れる様子が食欲をそそる。
余裕のない手つきでそれぞれがスプーン、ナイフ、フォークを握った。


「いただこうか」
「いただきます!」
「……いただきます」




このお店のことを外観であれだけ誉めちぎってしまったのは失敗だったかもしれない。オムライスを夢中でほおばりながらも、わたしがそんな風に考えるのは、今、目の前の料理へ送る言葉が見つからないからだ。
わたしはお世辞にも語彙が豊富とは言えないんだから、誉め言葉は料理のためにとっておくべきだったな、なんて現在絶賛後悔中である。

この感動をどう伝えたら良いんだろう。とにかく、期待に応えてくれた!という爽快感がたまらなかった。来る人を安心できるお店の空気で包み込んでくれた、と思ったらとびきり美味しい料理で心に感動を、身体に栄養を与えてくれる。どこまでもよく出来たレストランなのだった。


「美味しー……」
、さっきからそればっかり」
「だって美味しいんだもん……」


美味しいのは言うまでもない。言うまでもないんだけど、ついつい言葉が漏れてしまう。

ワタルのナポリタンも食べさせて、とはちょっと言えない。すごく言いたいけど。自分がそんな事を言える年齢じゃないのは自覚している。
ツワブキダイゴのハンバーグも美味しそう。こちらの方も、一口分けてとは絶対に言えない。彼に気を許したくない、という意味で絶対に言いたくない。向こうから分け与えてくれたとしても断るだろう。

見つめすぎたみたいだ、ツワブキダイゴが視線を返してくる。今考えていたことが知られたくなくて、すぐにわたしはチキンライスに視線を戻した。



「ワタルはお兄ちゃんというか、父親というか……そんな感じかな」


料理に舌鼓を打ちながら、わたしはさっきの話題を掘り返した。不意に続きとなる言葉が思い浮かんだからだ。


「俺ものこと、娘っぽいなぁと思ってたよ」
「あはは、やっぱり?」


そんな気はしていた。ワタルの行動は端々がやはり、父親っぽいのだ。さりげなく気にかけてくれているところとか、大事なときにはすっ飛んできてくれるところとか。
撫でるつもりで、頭をぐしゃぐしゃにしてくるワタル。ふらりとわたしのためにホウエンに来てくれるワタル。でも「俺がにしてやれることなんてあんまり無い」と謙遜するところもわたしのお父さんと似ている。
ワタルはいつも、ほど良い好意のもと可愛がってくれる。

いろんなワタルを思い出すうちに、ワタルとの思い出が大量にあふれ出す。イモヅル式、というやつだ。
ワタルと過ごした日々は別に甘いものじゃなかった。でも、輝いていたと思う。


「ワタルはほんと、お父さんみたいな感じ」


しゃべりながら同時に、今から自分は長い話をしてしまうな、と予感した。
長話とか、説教じみたことはしたくないけれどわたしの口は動きをやめない。今からの長話、ツワブキダイゴに知ってもらいたいと強く思っているからだ。


「実際、わたしをリーグの人間として育ててくれたのはワタルだよね」


わたしは横に座る、この男に大切にしてもらった過去を持つ。だから今がある。
このことを伝えなければ、ツワブキダイゴに。自分の地位を継ぐ者に。せっぱ詰まった感情がわたしの中にあった。


「前のチャンピオンはわたしに業務の引き継ぎはしてくれた。けど、それだけだった」
「………」
「あの人は、チャンピオンという仕事の本質については何も教えてくれなかった。四天王のつきあい方とか……、リーグチャンピオンがポケモントレーナーたちにとってどういう存在でいなくちゃいけないかだとか。本当に大事なことを教えてくれたのは全部、ワタルだった」


わたしを子供として扱い諭してくるワタルを煩わしく思うこともあった。

子供扱いしないで、一人でもわたしは立派にチャンピオンとしてやれる、だってわたしは勝ったのよ。
今思えば12才らしい背伸びの仕方だった。わたしは年齢相応に粋がった、ただの子供だったのだ。

人よりポケモンバトルが上手いだけで、中身はただの子供。あんな生意気な子供にワタルはよくつき合えたものだ、と今でも感心してしまう。


「ワタルがいなかったら今のわたしは無い。それどころか、最低のチャンピオンとしてリーグ史に名前を残してたかもね」


ただそこに立っているだけでチャンピオンであれると思うな。それがワタルの言葉だった。

自分の存在を変えろ、立ち方を変えろ、それが出来ないならやめてしまえ、俺がやめさせる。
ワタルからは想像もしてなかった言葉をずいぶんぶつけられた。


「先代のチャンピオンにも感謝してないわけじゃ無いんだけどね」
「まぁあの人は不器用な人だったからな。良くも悪くもポケモン一筋な人だったんだよ」
「そうなんだよねぇ……」


気づけばツワブキダイゴは悲しい目をしていた。哀れむ視線。何を哀れんでいるのかは分からない。
不安にさせてしまっただろうかと思い、あわててわたしは取り繕う。


「あ、安心してね、ツワブキダイゴにはわたしがついてるからね!」
「え、あ、うん……」


ツワブキダイゴの不信の目は消えない。ああ、そんな目、しないでほしい。分かるよ、わたしじゃちょっと頼りないよね。
自覚はあるぶん、そんな目を向けられると悲しかった。


「前のチャンピオンに感謝してる。それは本当。けど、わたしはツワブキくんのこと、そういう風には扱いたくない。そう思ってるからね」


とにかく伝わってほしい。その思いで必死に気持ちを口にした。

ツワブキダイゴにしっかり、自分の地位を明け渡す。これが今わたしに与えられてる試練だ。越えなくてはいけない壁なのだ。

どうやらわたしは考え方の芯まで、ワタルの娘のようだ。ワタルがポケモンリーグや人とポケモンの関係に献身してきたように、わたしもこの身をリーグに捧げたいと思っている。

ワタルにしてもらった事を、わたしが返す時が来ているのだ。返す相手はワタルじゃない。ツワブキダイゴだ。
それは、親孝行の一種でもある。


「精一杯、やるからね!」


ああ、ツワブキダイゴが悲しげな目でわたしを見ている。わたしを哀れんでいる。
あなたはわたいを頼りないと思っているんだろうか。もちろんワタルに全部任せた方がツワブキダイゴの未来は明るいだろう。それは分かる。分かるけどできないんだ。わたしがやらなくちゃいけない事なんだよ。

いつか、わたしはワタルに聞いた。

『こんなに助けてくれたワタルにわたし、どうやってお返ししたら良いんだろう……』

自分が越えることのできない存在をどうすれば助けることができるのか、分からなくてわたしは聞いた。
ワタルは一笑した。

『次にチャンピオンになる奴に返してやれ』

あの言葉が今現実になっている。
ワタルのようには上手くできないかもしれない。けれどツワブキダイゴにチャンピオンとしての未来を与えるのは他の誰でもない。わたし、なのだ。