Lost soul


「そういえば、わたしのテレビ出演にゴーサインを出したのもワタルなんだよ?」


気分を変えよう、と思って持ち出したのはわたしの芸能活動について。およそツワブキダイゴが興味が持ちそうな話題だ。ツワブキダイゴはテレビ等を介してわたしを知っていたみたいだったし、テレビ番組等の裏話は受けが良くて、興味を引きやすいというのを心得た上での選択だった。


「そう、なんだ」
「最初は断ってたんだけど、ワタルがやってみろ、って言ってくれてそれで。リーグに関係無いのに良いの? って聞いたら『リーグとか関係無く、人の役に立つことは進んでやれ!』って言われて」
「そうだったか?」
「わ、忘れちゃったの!?」


信じられない!
そう目で訴えてもワタルの反応は鈍い。本気で覚えていないみたいだ。


「わたしはその言葉で『人の役に立つなら良いかな』って思えたからテレビに出たのに……」


自分の考えを動かしてくれた名言だと、感銘を受けていたのはわたしだけみたいだ。
言った本人にとっては忘れてしまうくらい当たり前のことだったらしい。そういうところもワタルらしいと言えるけど、ちょっと寂しい。あの言葉は今も自分の胸に留めてあるのに。


「テレビ出演は人のため、ねえ」
「実際、こうかはばつぐん! だったけど?」


テレビの宣伝効果は本当に強かった。自分の活動が原因のすべてじゃないけれど、ホウエンは目に見えてにぎわいを増した。

わたしのような女の子がやってのけたと知ると、若いポケモントレーナーが次々に旅に出るようになった。効果がリーグに来るまでは時間がかかったけれど、ジムには明らかに人が増えたと聞いた。
ポケモンボール、きずぐすりなどのトレーナーズアイテムの売り上げが急に伸びた。
聞いた話では、ポケモンセンターの回復マシーンが新しいタイプへの置き換えにもつながったらしい。
テレビは強い、というのは分かっていたけれど実際に体感した時はあまりの影響の大きさに背筋がふるえた。

もちろん余計なものもたっぷりついて回ったけど、そのデメリットに代えられないメリットがたくさんあった。何より素敵だったのは、自分ががんばることで笑顔になる人がいたことだ。やったことに対しての後悔は全く無い。


「まあは顔だけは恐ろしく良かったしな」
「顔だけってどういうことよ」
「なんていうか、顔だけが完成されたみたいに綺麗だった。もちろんスタイルも悪くなかったが、その頃はまだ、胸がな……ああ、今もか」


自分の胸元に走った視線。


「ワタルのあほ」


酔っぱらい親父のそれを感じたのでワタルの頭をバシリとやらせてもらった。


「でもそれだけじゃなくて、なかなか言うことがおもしろい子供だったんだよな。それでたしか……」


完全に酔っているワタルはどことも言えないような空間に目をやりながら言う。その空間に描いた何かを目で追っているようだ。


「俺は思ったんだよな。には可能性がある、って」
「可能性、かぁ……」
「ポケモンバトルは抜きんでて上手い。けどこいつにはまだ余力がある。いろんなことやらせてみよう。まずは人前に出してみよう。そんな感じだ」
「いろんなこと、ですか」
「実際やらせてみたら、器用になんでもこなすから俺も驚いたよ」
「そんな……」


ワタルの言葉は間違っている。わたしがなんでもこなせるような人間なわけがない。たくさんの人の目がある中では繕い、繕いの連続だった。
美しさを繕い、笑顔を繕い、耳障りの良い言葉を繕った。簡単な言葉で済ませてほしくない苦労を、何度も重ねた。

……別にこれくらいで怒ったりはしない。相手はワタルで、酔っぱらいだからだ。


は12才だったんだよな。ほんと、子供の可能性は無限だな」


今の台詞でなんとなく、ワタルが何を思い出しているのか分かった。予想でしか無いけれど、たぶんレッドくんだろう。幼くも、圧倒的強さを誇った少年は今はどこで何をしているのか分からないらしい。


「なんか話題が年寄りっぽくありません?」
「この仕事やってると老けるんだよねー、精神が」


ワタルだってまだ、27才なんだよ?
予想そのままに、ツワブキダイゴは大きくリアクションしてくれた。

ツワブキダイゴにからかわれるとあんなに鳥肌がたつのに、彼をからかうのはひどくおもしろい。やりこめられてばっかりだから、ちょっとした仕返しができるのが快感だ。
なんだか何もかも愉快だ。愉快で愉快でたまらない。鼻に笑い声をふくらませながら、今度は赤ワインを口に寄せた。


、あんまり飲みすぎるな」
「……まだ大丈夫だもん」
「完全に酔ってる」
「酔ってない!」
「酔っぱらいはみんなそう言うんだよ」


まさかそれを酔っぱらいに諭されるとは……。


「時間的にはそろそろになりますね」


ツワブキダイゴが袖の下から引き出した腕時計。
そのきらびやかな文字盤を見なくとも、すでに夜が深くなっているのは明らかだった。店内にあれほどあった他人のささやきはとっくにピークを越えて、静に帰ろうとしている。

もともと残業上がりだったんだもの。時間が早く過ぎたというよりは、わたしたちが来るのが少し遅かったのだ。


帰る前に少し、お手洗いへと席を立たせてもらう。鏡を見るとすっかり赤いほっぺたで、目尻のとろけたわたしがそこにいた。たしかにわたしは酔っているみたいだ。
前髪が少し割れていたので慌てて直す。わたしいつからこの前髪のままだったんだろう。最初から、とかだったら最悪だ。

席へ戻ろうとしたけれど、男二人の会話が聞こえてきてわたしは立ち止まった。


「俺が払う。就任祝いだ。っと言っても正式なのは後で送ってやるけど」
「僕が払います」
「顔に入れたことはこれで許せ」
「あまり引きずるのは男らしくないですよ」
「その通りだが……」


どうやら勘定を取り合ってるらしい、けど、この間もわたしはただただ聞こえないふり。まだ戻らないふり。


「この場は僕が良いカッコしたいんです。分かってくれるでしょう?」


男の人はちょっとめんどくさい。そういう生き物なんだ、って教えてくれたのもワタルだったな。







外の風は身体にしみた。包まれるような店内の暖房からではなおさらだった。思わず自分で自分の肩を抱くと、自分の芯のところに食べたばかりのオムライスとワインの熱が灯っている。このふたつをとったばかりの今は夜風には負けることはないだろう。


「ごちそうさまでした」
「いいえ」
「ほんと、美味しかったし楽しかったよ」
「なら良かった。明日もよろしくね、さん」
「おうよー!」


おちゃらけた返事を返すと、ツワブキダイゴが吹き笑いした。
行くときはどうなるものかと思ったけれど、最後はみんな笑顔でお店を出れた。それだけで来て良かったな、と思えた。
こういう風に、仕事の仲間としてつき合えるのならツワブキダイゴは悪く無い。わたしは心の30%くらいは彼の持っているものにほだされていた。それは生まれとかお金とかそういうものじゃなく、彼の器用さとかセンスの良さとか、さりげない優しさだ。
今もツワブキダイゴはわたしのそっと寄り添っている。風上に立ってくれていて、わたしがあまり風に当たらないようにしてくれているのだ。

もし何も知らないでツワブキダイゴともう一度出会ったなら、わたしだってお近づきになりたいくらいは思うだろう。


「うおっ、ちゃんと前見て歩け!」
「ワタルこそ!」


そう突っ込もうとした手は空を切った。手をスカし、その拍子によろけて体勢を崩したわたしを受け止めてくれたのはツワブキダイゴだった。
後頭部を彼の胸にぶつけたらしい、上を向くとすぐそこにツワブキダイゴの驚いた顔がある。


「ツワブキくん、ごめん。ありがと」
「う、ううん……」


振り返ると彼は彼らしくない顔をしていた。焦ったような余裕の無い表情。
わたしに触れてわたしから離れていく手の動き。それは幾度も行く先を迷った。
ツワブキダイゴ。悪い人じゃない。けれどわたしと彼じゃ簡単に友達になれない。なぜって、恋心という邪魔者がいるからだ。


その後、家まで送るというツワブキダイゴに丁重に、何度も、諦めずお断りを入れ、空中でそのままわたし達は別れた。

帰り道、わたしはツワブキダイゴの就任祝いについて考えていた。実を言うとすっかり忘れていたんだけど、ワタルの「俺が払う。就任祝いだ。~」という言葉で思い出した。そういうところまで頭が回るあたり、さすがワタルだ。わたしはすっかり引き継ぎのことで頭がいっぱいになっていた。

でもわたしはツワブキダイゴに何を与えてやれるというのだろう。クロバットの背にゆられ、夜空で酔いをさましながらわたしは考えていた。
だってツワブキダイゴの家はお金持ち。ツワブキダイゴ自身もそれなりの資産を持っているんだろう。印象では彼はなんでも持っていそうだ。ツワブキダイゴが似合いそうなものなんかは特に、彼が買い求めなくとも周りの人がこぞって贈っていることだろう。

わたしが彼にあげられるもの。結局、何も思い浮かばなかった。

何でも持ってる人はやだな、苦手だ。