And we lost the world


キャモメのさえずりがBGMの朝。自宅のベッドから起きあがってみればわたしはなんと下着にキャミソール姿だった。どうやら昨日、パジャマも着ずにベッドにダイヴしたらしい。
ズキズキ痛む頭を抱え、鏡をみるとそこにはボサボサ髪にうっすら目の下にクマをつくった、見事な二日酔い娘ができあがっていた。

ああ、そういえば今日はホウエン版「ポケモン講座」の収録があったな……。

またわたしはシーツの中に逃避した。








心地よいシーツの中から自分を叱咤して起きあがるのはずいぶん苦労した。本当に苦労した。朝を思い出すとつい重いため息が出てしまう。

二度寝の気持ちよさを知らなければ、あんなに時間がないと朝から騒ぐこともなかっただろうに。
身なりを整え、お酒の匂いを消し、ポケモンたちの具合を見、片手間で朝食を食べ……。無駄な時間を過ごしたつもりがなくとも時間は泡のように消えていき、正直悲鳴をあげそうにまで追いつめられた。
二度寝は気持ちいい。それを熟知してしまっている自分がちょっと憎くなってしまったくらいだ。

朝は一人で修羅場を演出していたわたしだけれど、事態を察してくれスピードをぐんぐんあげてくれたクロバットのおかげもあり遅刻はしないで済んだ。

そして今、どうにか収録を終えたところだ。


「お疲れさまでした」
「ああ、ちゃん。お疲れさま」


テレビ局内のロビーにて、今挨拶させてもらったのは彼はオダマキ博士。今日も少年のような短パン姿の彼は、同じくポケモン講座の出演者だ。
ポケモンに関する有識者として有名な彼とは、何度も同じ番組に出演したことをきっかけにおそれ多くも仲良くさせてもらっている。
どこか少年っぽい彼と年の割にキャリアを持つわたしは意外と画面の収まりが良いようで、よくセットにされ扱われる。
セットにされた、といってもわたしの知識は博士にはとうてい及ばない。いつも彼には学ばされる、というのに彼はわたしの実戦経験をバカにしないで受け止めてくれる。深く頷きながら、学問的にはメチャクチャだろうわたしの考えを聞いてくれたのだ。
そんな彼をわたしは尊敬し、博士はわたしにポケモントレーナーとしての敬意をはらってくれた。

親子ほどの年の差はあるけれど、彼とわたしはポケモンという糸で繋がる友人だ。


「ニュース、見たよ。複雑だなぁ。おめでとうと言うべきか、残念だと言うべきか……」
「あはは、わたしのことは気にしないでください」
「新しいチャンピオン、か」
「こんど博士にも紹介します。変な報道もありましたが、彼は優秀なトレーナーですよ」
「ああ、アレにはオレも驚いたよ。あのニュースのせいでオレ、コーヒーで舌をやけどした!」


やっぱり、オダマキ博士もアレを……ツワブキダイゴとわたしのキスシーンをご覧になったようだ。ああ、あの時突入してきたリポーターとカメラマンが憎い……!
ホウエン全土に見られてしまったという恥ずかしさもあるが、身近な人に見られてしまったという恥ずかしさはまた違うものがある。どちらかというと後者の方がわたしにとっては耐えがたい。


「その節は……すみませんでした……」
「いやいや。君は若い女性なんだから、ああいうこともあって当然だろ」
「お恥ずかしいばかりです……」
「長らくつき合ってもらってすっかり忘れていたよ。君が20代だってこと」


そう、わたしは現在ハタチである。
博士と出会ったのは12才の時だから、ほとんど人生の半分はこの人と関わって生きてきているのだ。長いつきあいだな、ととは感じているけれど人生の半分、という実感は無い。


「それで。君はこれからどうするんだ?」
「ほんと、どうするんでしょうねぇ」


わたしはチャンピオンの座を降りることに伴って、きっと様々な番組が企画――もといわたしの扱いの練り直すだろう。

現在、わたしが出させてもらっている番組のほとんどが“今”を求める情報番組だ。いつだって新鮮なナマモノを扱う彼らに、過去の存在になりゆくわたしはふさわしくない。自分でもそう思う。
そしてツワブキダイゴへの注目はすでに高い。テレビ局の人々がより生きのいい素材へとシフトしていくのは想像にたやすいことだ。

ツワブキダイゴと違って、わたしには経験がある。それを買ってくれる人も中にはいるかもしれない。けれどわたしは自分の“これから”にほとんど期待できないでいた。


(だって、相手はツワブキダイゴだもんなぁ……)


彼とは一度ポケモンバトルで負けてるし、彼の様々な面を目の当たりにして(あと諸々の、呆れた所業も手伝って)、わたしの中には彼への苦手意識が形成されつつある。


「まあ、テレビの世界とはサヨナラってことになるんじゃないかなって思います。元々リーグの許可あっての仕事で、わたし個人の活動じゃありませんでしたし……」


そう、リーグがあってわたしの芸能活動があったのだ。

リーグが仕事の選別をし、わたしをテレビ局などに派遣させる。
わたしは仕事が得られる代わりに、リーグの顔になる。宣伝を行い、ポケモンバトルの文化を活性化させるために動く。

ポケモンリーグとという存在は持ちつ持たれつの関係なのだ。


ちゃんがステージとかに興味がないってことは知ってたけど、さ……。本当にお別れなのかい?」
「メディア側だって、チャンピオンじゃないただのトレーナーを取り上げたいとは思いませんよ」
「そんなこと言うなよ!」
「な、泣かないでくださいよ!」
「オレが何度ちゃんに助けられたか! ちゃんだって優秀トレーナーだ!」


うるみ目で急に熱くなりだしたオダマキ博士。
純朴な彼の涙にわたしも胸が熱くなる。わたしを惜しんでくれる気持ちは嬉しい。
けど……、


「しょがないんです。時代は変わっちゃうんですよ」
「……そう、だね」


君はこれからどうするんだ?
オダマキ博士の何気ない言葉はしっかりわたしに突き刺さっていた。わたしの身は今、明日を知らない。ツワブキダイゴが現れたことによって慣れた親しんだ職は手放すことになり、次の勤め先もまだ決まらない。
世代交代ではあるが、言ってしまえばわたしはリストラされたのだ。

ワタルがリーグの中にまだ仕事はある、に必ず声をかけると言ってくれたが、そのような話はまだひとつも耳に届いていない。
今まで仕事にばかりかまって派手にお金は使ってこなかったから、当分暮らしていけるくらいのお金は持っている。けれど、もっと大きな脅威がのしかかってきている。

このままでは自分の居場所がなくなってしまう。そんな不安がわたしを襲っていた。


「寂しくなるなぁ……」
「そんな、また会えますよ。わたし、死ぬわけじゃありません」




















スタジオからは予想以上に早く上がれた、のでわたしは早々にリーグに舞い戻ってきた。終業時刻までそんなに時間はないけど、なるべく早く済ませたい仕事があるのだ。

お疲れさま、というかけ声に同じ言葉を返しながらまっすぐ、その部屋――チャンピオン待機室に向かう。

チャンピオン待機室。名前そのまま、チャンピオンが普段待機するための部屋。実質チャンピオンのプライベートスペースだ。
なるべく早く済ませたい仕事とは、わたしのデスク周りの整理だった。

この部屋は会社でいう、社長の椅子みたいなものと言ったら分かりやすいだろうか。もちろんここも、あと少しで次期チャンピオン・ツワブキダイゴのものになる。なので早々に私物を片づけなければならないんだけど……実を言うとまだ三分の一も片づいてない。
一生懸命片づけて三分の一なんだから嫌になってしまう。


(そこまで物を持ち込んだ覚えは無かったんだけどなぁ)


そこはやはり8年間、入り浸り続けた部屋みたいだ。意識して見るとさまざまな物が部屋には貯まっていた。ちょっとしたもらい物とか、お気に入りの飴とか、数年前に購入したっきりにしてたキズぐすりなんかも見つかった。……キズぐすりに使用期限ってあるのかしら。今度ジョーイさんに聞かなければ。

無数の物たち。片づけの進行が遅れがちなのは、それぞれに宿っている思い出が作業の邪魔をしてくれるからだ。
たとえばこれ。壁紙にうっすらついてる焦げあと。


(懐かしい……)


わたしとカゲツが喧嘩したときについたしまったものだ。理由はひどくくだらないものだったと思う。けれどなんだかふたりとも譲るということができなくて、ついに事態は室内でのポケモンバトルへと発展した。
チャンピオンと四天王のポケモンが室内で戦えばそれはもう……。

あの後、ゲンジさんにかなり絞られたのもよく覚えている。
格式高いこの部屋でなんてことしてくれるんだ! 正座をしながら説教されたのはあれが初めてだった。あのときのゲンジさんはギャラドス+バンギラス×10したみたいな形相で、怖すぎたゆえに今も忘れられない。

こんな壁の傷さえも思い出なのだ。
物に宿る思い出に心を捕らわれ、さらなる記憶を掘り返しているうちに時間は残酷に過ぎていく。


(だめだ、これじゃ片づかない)


なるべく何も考えないように。
そう胸の中で唱えながらわたしはあるもの片っ端から、バケツをひっくり返す要領で段ボールに詰め込んでいった。

最初は引き出しの上段、次は真ん中、次は下段。
引き出しの中身が終わったなら、その次は本棚を。その流れにのって、わたしはソレをただ“片づけなければならないもの”として掴みとった。


「うわ、……」


掴んでから、ソレが何かを認知する。
写真、だった。棚の上に並べておいてあった、いくつかの写真立て。それを手にしたわたしは、まるでまひになってしまったように動けなくなっていた。

それは殿堂入りを果たしたときの写真だった。時とともに色が逃げていった写真の中では、今よりも若い四天王、当時のチャンピオン、そして背の小さなわたしが当時のベストメンバーに抱きつきながら歯を見せ笑っている。
写真の中には、寿命に近づいたため引退させたポケモンもいた。ちょっと気むずかしい性格のトロピウスは今、実家で面倒を見てもらっている。
そういえば最近彼の話を聞いていない。そうだ、仕事がひと段落ついたら実家に帰ろう、そして彼に会いに行こう。


「……っ」

別に、悲しいことは何も無かった。写真の中ではみんな笑顔だし、わたしのトロピウスもまだ生きている。リーグとはお別れだけど、トレーナー人生が終わるわけじゃないし。

なんにも悲しいことなんて無い。泣く理由はどこにも見あたらない。
なのに、わたしは写真を前に泣き出していた。


みんなの笑顔に涙が降る。ああ、汚しちゃう。とっさに袖で写真を拭くと、今度は袖がどんどん雨濡れのようになっていく。
拭いても拭いても両目からは次々涙が降ってくる。このままでは写真がふやけてしまいそうで、今度は涙がこぼれないようにと上を向けば棚の上、ワタルとわたしの写真が目に入った。今度こそ涙は手に負えない量になった。

手に負えない感情。それをわたしは涙としてかたちにしてる。のどにワケの分からない閉塞感が絡みつき、逆に泣かなければ感情のどれかが壊れそうだ。そんな涙は生理現象というのにふさわしい。
生理現象的涙にコントロールは全く効かなかった。本当に、微塵も効かない。まいっちゃう。

大丈夫だと自分に言い聞かせても、なにも泣くことないじゃない、と口元だけで笑ってみても涙腺は止まる気配を見せなかった。
止まらない涙に困り果ててまた泣けてきてしまう。あぐあぐ、という喘ぎの声は我ながら醜かった。
完全なる悪循環にわたしはいた。


……さん……?」


まったくもって、どうしてなんだろう?
こんなどうしようも無いこんな時に限って、どうして君が来るんだろう。呼んだわけでもない。誰も、ワタルさえもわたしは求めてない。

なのに、ツワブキダイゴ。君はどうしてこんなわたしを見つけてしまったんだろうか?


ねえ、ほんと、どうして……。