Peaks and trough


「あの場での、不適切な行為を行ったことを謝罪します。申し訳ありませんでした」


頭を下げる瞬間に一斉にたかれるフラッシュ。かなり強引なその光は閉じた瞼を突き破ってわたしを暴く。

ツワブキダイゴの就任から一週間。今日はわたしがマスコミの前に出る番だった。今ようやく設けられた取材の場には、わたしの身に余るたくさんのレンズが構えている。

さっきも言ったけれど、ツワブキダイゴの就任から一週間経った。取材を最低限に控え続け、日程をギリギリまで引き延ばし、もうあのキスについてのほとぼりは冷めたであろう、と思われていた。なのにこの騒ぎ、この記者の数。
最後だし、もはやわたしに興味ある人はそんなにいないんじゃないか。最後だし会見はきっと静かでしめやかなものになる。完全にそうなると信じ込んでいたので、わたしは内心ちょっとびっくりしている。

退役に関する挨拶、騒動への謝罪、それらが終わった。あとわたしを待っているのは、不躾な類の質問だけだ。


「8年間もチャンピオンをされていた割にはあっさり引かれるんですね?」
「彼は実力でわたしに勝ちました。記録はぬりかえられるべきものです。強者にチャンピオンという仕事を引き継ぐのは当然のことです」
「名残惜しくはないんですか?」
「彼の強さ、優秀さはわたしが一番知っています。彼になら任せられますので」
「ツワブキ氏にはかなわないとおっしゃるわけですか?」


だ、か、ら! わたしはツワブキダイゴに負けてるんだっての!

と、思ってもまあそのままの言葉は言えない。


「はい、彼はチャンピオンにふさわしいトレーナーです」


そうツワブキダイゴを持ち上げながらもわたしは紙面に目を走らす。重厚な書類には、リーグに関する情報、想定される質問の羅列がびっちり記されている。
いろんなカメラに視線を配り、記者の質問を聞きながらもそれにサッと目を通し記憶する。
こういう度胸はずいぶん育てられた。


「芸能活動はどうされるんですか?」
「それは、リーグが決めることです」
「個人事務所を立ち上げる等、芸能活動に関して何か……、この先の展望について教えてください」
「私個人の私益のために活動を行っていく、ということは考えておりません」
「まさか、慈善活動をされるんですか?」
「そうではありません……」


たしかにわたしは名前を売った。
メディアに出ることでもちろん特別な手当を受け、お金を得た。
それでも様々な活動は、わたしにとってはリーグの仕事の一環なのだ。それ以上でもそれ以下でも無い。


「わたしの芸能活動のすべては、ホウエンリーグチャンピオンとしての活動です。リーグに属する人間としての活動であり、“”という個人の活動ではありません。それは今後も変わりません」


こう言えば、伝わるだろうか?


「……引退されるわけですか?」
「………」


期待は次の質問ですぐに失望へ変わった。含ませた意図は、半数には伝わったようだけど、理解しきれていない者もいるらしい。
恥も外聞も捨て、形式なんてものも予想される面倒も無視して思ったまま言えたらどんなに良かっただろう。

“アイドルが専門職じゃないんだ。歌ったり踊ったりができるわけじゃないんだ。そんなこと、した覚えも無い。わたしは言わばリーグの差しがねなの! 本当に、ただの差しがねなの! 自分のためにやる気にはなれないの!!”

こんな風に、叫びだしてしまいそうだ。

ネガティブな感情がわたしを捕らえ始めていた。後ろ向きの考えも、ヒステリーに走ろうとする理性無き自分もグッと押さえ込んで、わたしは微笑みを作る。


「リーグの意志がわたしの意志です」


この言葉で分かって欲しい。わたしはまだ、下手なこと言える立場じゃないんだ、と。



「でも、さんはリーグを辞められますよね?」


真実の刃がわたしをえぐった。











会見を終わらせたわたしを一番に迎えたのはワタルだった。わたしを一番に探しだし、そして頭をわしゃわしゃ撫で回された。


「よく頑張ったな」


自分を認めるワタルの言葉をわたしはずっと望んでいた。恩師に喜んでもらえる働きをいつも心がけていて、ワタルからの誉め言葉は紙面で活躍を持ち上げられることなんかより100倍わたしの勇気に繋がる言葉なのに。
なのに、せっかくの言葉を、傷ついたわたしの胸は慰めの言葉として吸収してしまった。

さんはリーグを辞められますよね?”

あの言葉は痛かった。今思い出して、また痛みが深くなる。
端から聞けば何気ない質問だっただろう。けれどアレは自分が気にしていた事に切り込んできた質問だった。だからこそ、一番えぐく感じた。


「これであらかた終わったな」
「そう、だね」
「やったじゃないか。もっと明るい顔しろよ」
「だいじょうぶ。ちょっと、会見の余韻が抜けないだけだよ」
「そうか。じゃあ、俺は行くよ」
「……え?」


伸びをしながらの明るい顔のままリと告げられて、思わず聞きなおしてしまった。


「帰っちゃうの……?」
「知らなかったのか? 今日で俺はカントーに帰る。もっと居たい気持ちもあるんだが、いったん帰らなきゃいけないみたいだ」
「……あ」


ワタルの話を聞くうちに思い出した。ワタルがほんとは昨日、帰るはずだったということを。
日程を引き延ばした原因はわたしに他ならないだろう。わたしが記者会見を無事済ませるのをワタルは待っていたんだ……。
ワタルという人間を知っているわたしにとって、これは自惚れじゃない。今のタイミングで帰ることを言い出したのもその証拠だ。

彼だっていくつもの肩書きを背にした忙しい身なのに……。わたしはバカだ。会見の先送りがワタルのスケジュールに影響を及ぼしていたことに今気づいた。


「ごめん……」
「謝るなよ。俺が心配だっただけなんだ。ほんとはもっと居たいくらいなんだけどな、ちょっとキツい。」
「しょうがないよ」
「……そんな顔しないでくれないか。俺はのそういう顔に弱いんだよ」


うまく笑顔を作れないわたしの頭を、ワタルはまた捕まえる。捕まえて、グリグリと撫で回す。
首がゆるんだお人形みたいにわたしはされるがままだった。


「また来る。明後日で許してくれるか?」
「ううん、大丈夫だよ」
「だよな」
「え……?」
「じゃあな!」


サラリと、マントの端が扉の向こうへ消えていくのをわたしは愕然と見つめた。立ち尽くす他、無かった。










複雑だ。開け放した窓からカイリューに乗ったマント姿を見送るわたしの心境は、まさにマーブル模様だった。晴天に、ワタルが消えていく。


「寂しいっていうよりは、不満そうな顔してるね」


不意の声にわたしはなぜか、ギクリとしてしまった。


「……いつの間に」
「結構最初からいたよ。ドラゴン使いに先は越されたけど」
「ごめん、気づかなかった」
「だろうね」


虚をつく言葉ばかり言う声の主はツワブキダイゴだ。

彼がそばにいたこと、それに気づけなかったこと、そしてわたしの複雑な感情を読みとられたことにわたしはすっかり狼狽していた。
わたしはまず、どれについて話せば良いんだろう。


「彼が行ってしまったことが不満?」


先に口を開いたのはツワブキダイゴで、そして出たのは会話の行方をリードする言葉だった。

参ったな。内心でそうつぶやく。
作為は感じられないけれど、わたしの迷いを見透かしてのことかもしれない。彼ならそれくらいやってのけそうだ。何せ、ツワブキダイゴは器用な男なのだ。

次の言葉を導く問いに甘えて、わたしは素直に口を開いた。


「……ううん。けっこうアッサリ行っちゃうんだなぁと思っただけ」


去り際のワタルを思い出すとまた、二色の感情が絡まりあう。
彼に必要以上の迷惑はかけたくない。ワタルにはワタルの仕事を頑張ってほしいとも思う。けど、もっと心配をかけたかったような気もする。彼にもっと、自分を気にかけてほしかった、そんな心がわたしの中には残っていた。

さよならだと言うのに彼は頭をグリグリ撫でただけだった。大丈夫だ、という言葉が虚勢であるとワタルなら気づいてくれると思った。また会おう、なんて言葉も欲しかった。
けど、ワタルはさっさとカントーへ帰ってしまった。

言わなかった気持ちを分かってもらえなくて、それで不満をくすぶらせる、なんて。我ながら、なんてめんどくさい女なんだろう。


「彼に、心配して欲しかった?」
「……なんで分かるのよ」
「そりゃあ僕だから」
「………」


今日のわたしはどこまでも子供じみている。

(あなたに理解されても嬉しくない)

気遣ってくれる彼にそんなことを思うなんて。
たとえ苦手意識のある相手だったとしても、だ。


「彼の判断は正しいんじゃないかな。だって、今のさんには僕がいる」
「冗談はやめてよね」
「………」
「………」


ツワブキダイゴがどれだけ心配そうにこちらを伺おうとも、わたしは自嘲をやめられなかった。